ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.4.14(金)

 半蔵門の東京ダイヤモンドホテルで行われた、陳千武著・保坂登志子訳の『猟女犯』出版記念会に行ってきました。100名近く集まって、予定時間を大幅に越える盛会でした。版元の洛西書院・土田英雄さんとも1年半ぶりにお会いでき、有意義な会でした。

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著者の陳千武氏と訳者の保坂登志子氏

 『猟女犯』はこのHPでも紹介していますが、いろいろな意味で重要な本です。台湾で出版された、自由な本であること、台湾人の元日本兵の小説であることなど、歴史的にも意味を持った本だと思います。内容も当時の東チモールの風俗などもあり、従軍慰安婦の問題も絡んで、ぜひ一読を薦めたい本です。ご希望の方は私にメールをいただくか、下記にご連絡ください。
 洛西書院 〒616-8302 京都市右京区宇多野馬場町30 電話 075(462)4745


詩誌『青焔』52号
sei-en 52
2000.3.31 東京都北区
島木綿子氏発行 600円

 指定席/波多野マリコ

掌の闇が枝ずれの音をたて
幼年期と少女期の隙間をさ迷う
水道の蛇口から部品が散乱し
訛ってしゃべる
冷笑を脇ポケットにつっこみ
逆説的な世紀をひもとく
どこに違いがある?

男はヴェールを脱ぐのを見守った

 この詩人の言語感覚にはいつも驚かされます。ロートレアモンの『マルドロールの歌』の最後の章「第6の歌」に出てくる有名なフレーズ、「ミシンと洋傘との手術台のうえの不意の出逢いのように美しい!」(栗田勇訳)をいつも思い出します。ご本人はシュールリアリズムを意識なさっているかどうか判りませんが、私はまずロートレアモンを思い浮かべてこの詩人の作品を拝見するという癖がついてしまいました。ご本人には失礼とは思いますが…。
 しかし、この「指定席」は以前に比べると変ってきたな、というのが第一印象です。私の読みが浅いせいかもしれませんが、ずいぶんWetになったな、という印象を持ちました。「水道の蛇口から部品が散乱し/訛ってしゃべる」というフレーズにそれを感じます。訛りという言語の地域性について、少なくとも私の記憶では書いたことがなかった。詩人の出身地は知りませんが、ご自分の訛りについてお書きになっているとは思えませんので(あくまでも部品の訛りであるから)、他者の言語に興味を持つようになったのか、という安堵感があります。
 この詩人の今まで発表した作品を思い返すと、私が知る限りでは、他者の存在が希薄だったと気づきます。それがこうやって他者との距離を測る姿勢を見せたことに、何とも言えない安堵感を覚えるのです。まったく見当違いの読み方をしていることは承知しています。私はその点だけを主張したいと思います。


個人詩誌『犯』20号
han 20
2000.4 埼玉県浦和市
山岡遊氏発行 300円

 今のところ一度しかお会いしていないが、おもしろい男である。そのおもしろい男が作っている個人詩誌だから、おもしろいに決まっている、と思ったらやっぱりおもしろかった(^^;; 長いから途中を省略しようと思いましたが、結局、省略する部分が無くて全部紹介します。

 つれづれに

 ≪俗性・悪意の辞典≫
 A・ピアスの『悪魔の辞典』を真似て、私なりの辞典を作ってみた。題して『俗性・悪意の辞典』 あーそ。
[愛 ] 存在しなくても執拗に愛撫を続ければ生まれるもの。
[鮎 ] 自分のテリトリーを持つ者と侵入者の諍いの絶えない淡水魚。時折、人間が群でこれを真似る。その本能を利用して死に導く猟を『友釣り』という。
[生きがい] 社会の許容範囲の夢。
[井の頭公園]ホームレスの間で「水がうまい」と評判の公園
[鵜呑み] ある事件について、警察発表をそのまま新聞、テレビが報道すること。またそれを大衆がそのまま受け入れること。毒入りの酒。
[永遠] 背中の黒子。
[延髄] かつて、対戦するプロレスラーがアントニオ猪木の攻撃を一番恐れた肉体の一部分。
[女] 心の奥底で、男を軽蔑しつつ、しきれない肉体を持つ。
[男] ちっぽけな二千年の歴史の上に胡座をかき、女より優れているなどと勘違いも甚だしい雄。
[革命] 実際は見失っただけなのに、敗北、敗北と多くの者が、がなりたてた建築現場の杭。
[学校] 日の丸が旗めき、君が代が合唱される牧場。調教師たちは給料の明細書を睨み、言動のバランスを取る。
[虚無] 喜怒哀楽にあてはまらない感情表現。詩人が安易にすがる言葉。
[教頭] 現校長の推薦がなければ校長になれない管理職。よって望まれれば校長にケツも貸す。ヤクザの組織に例えれば若頭。
[携帯電話] 孤独にたえられない人間たちの持ち歩く玩具。
[公務員] 自分たち以外の誰もが認めるなまけもの。
[この野郎] 人間が激昂したときに出る言葉。これを外に出すか、噛み殺すかでその日の、あるいは人生の岐路が決まる。
[差別] 文化。教育。
[裁判所] 罪の値をつける市場。財力・権力と罪の値段が反比例する例が多い。
[詩] 飽きない言語詐術者たちのおまじない。
[信頼] 疑いの無いままにこの領域に入ると命取りになる場合がある。この言葉を多用する人間には、近付かない方がよい。
[素通り] 日暮里駅を行く快速の京浜東北線。
[選挙] 石を並べておいて、ダイヤモンドを選べ、という制度。
[性善説] 世を哀れむものが最後にぶら下がる細い糸。
[性悪説] 世を哀れむものが最初にぶら下がる細い糸。
[相談したがる人々] 多くの場合、被害者としての己の正当性の御墨付きを貰うために、他者に語り掛けること。あるいは利益拡大のための奔走。

 どうです?こんな感じです。頭を柔らかくするために、この続きをやってみてもおもしろいですね。私は[素通り]、[選挙]に思わず喝采してしまいました。[素通り]は、小田急線も京浜急行線もそうなんです。そうそう、東海道新幹線の「こだま」は頭にきますね。なんで高い金払って40分も待つんだよお。


鈴木俊氏訳『リンゲルナッツの放浪記』
ringelnatz no horoki
2000.4.10 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2400円+税

 日本詩人クラブ会員でもある訳者の鈴木俊氏よりいただきました。1996年に翻訳出版したヨアヒム・リンゲルナッツの『僕の見習水夫日記』の続編ともいうべき作品集です。リンゲルナッツは1934年に51歳で亡くなったドイツの詩人です。
 時代が違うと言えばそれまでかもしれませんが、リンゲルナッツは第一次世界大戦前のドイツで裕福な家庭に育ちながら少年時代に家を出て、見習水夫をやったり旅行代理店に勤めたりしながら、ミュンヘンの文芸キャバレーで朗読詩人となった人です。詩もそうですが、生き方そのものが詩人だったと言ってもいいかもしれません。
 ナチス・ドイツのもと失意のうちに亡くなっていますが、死後50年たってドイツやスイスで名があがったそうです。「今彼の名前はミュンヘンやベルリンを走るタクシーの運転手だって知っている。」と訳者の鈴木さんはお書きになっています。
 亡くなる4年ほど前にはジャン・コクトーやヘルマン・ヘッセとも親交があったようですから、日本でも知る人ぞ知る、なのかもしれません。私は浅学にして『僕の見習水夫日記』で初めて知りました。確かにおもしろい詩人だったようです。なにより人生にきちんと向き合っている印象を受け、ただのボヘミアンと詩人としては違うのだということを教わりました。ご一読をお薦めいたします。



 
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