きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.6.27(火)
中学校PTAの役員会がありました。9月に行われる運動会などについて話し合いました。この運動会というのがおもしろいんですよ。中学校全校生徒が集まっても60名に満たない小規模校ですから、そのままでは運動会が成立しません。で、どうするかと言うと、小学校と中学校の合同運動会という形になるんです。小学1年生から中学3年生までの児童・生徒が一緒になっての運動会というのは、なかなかありませんね。毎年、実は楽しみにしています。
今回の会合は珍しく1時間を越えてしまいました。1時間半ぐらいですかね。いつもは45分程度で終わるんですが、今回は倍。司会者としてはテキパキと早く終らせるのが腕だと思っていますが、まあ、議論もあったからショゲることはないでしょう。早く終ることが目的ではありませんからね。
○斎藤幸雄氏詩集『夢袋』 |
2000.6.20 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2000円+税 |
タバコ
冬の日ざしを浴びながら
ふと一本のタバコに火をつけてみる
紫煙がたなびいて
美しい光景にあたりはおおわれた
こんなに美しい紫煙がなぜ体に悪いのだろう
それはバラにトゲがある様に
美しいものには毒もいっぱいだ
ニコチン中毒なるものもあって
タバコ依存症なるものもあって
これら処々の理由で
もう何年も吸っている
そこでもう一本つけて見る
紫煙は相変わらずきれいだ
二本のタバコを美しくしている冬の日ざし
炬燵に足をつっこんで
手枕で横になり
しばし紫煙を見つめている
ポウポウとくねっては立ち上る紫煙
今愛煙家達は
肩身のせまい思いで
紫煙をくねらせる
又美しさに会いたくて
三本目に火をつけて見た
日ざしが傾いて
紫煙が鉛色に変わった
やっぱり体に良くないんだ
最後の2行で思わず笑ってしまいました。「やっぱり体に良くないん」ですか…。この道30年(と公式には発言しておきます)の私には、返す言葉がありません。自分でもいいと思ってないもんなあ。
煙草談義を始めると分が悪くなりますから、作品に戻ります。「美しい光景」から「紫煙が鉛色に変わった」までは、「日ざし」の変化できちんと説明されていて、そこでの破綻はありません。素直に読み続けることができます。それはそれでおもしろいんですが、私は作者が「炬燵に足をつっこんで/手枕で横にな」っている光景の方が印象的ですね。そういう時間がポッと訪れて、タバコについてあれこれ考えている作者というのは、きっと普段は忙しく働いていて、そういう時間をたのしんでいるんだろうな、と思います。
そんな時に安らぎを与えてくれるのは、実はタバコ……とやると煙草談義に戻ってしまいますね。この辺でやめておきましょう。さあ、一服(^^;;
○志崎純氏詩集『風騒春秋』 |
2000.6.20 東京都東村山市 書肆青樹社刊 2200円+税 |
長い夜に
街路の
やまぼうしの球形の実が
赤く熟すころは
もう初秋
台風の接近を知らせる報が
しきりに届き
不穏な気配をかき立てている
身に心に
まだ炎暑の記憶が焼きつき
抜け出せるのはいつ
岩に砕け散る白い飛沫よ
遥かな雲と
光る星
群舞する海猫
潮騒
得たものと
失ったものと
それらは
やがて訪れてくる長い夜に
充実した電極となれ
最終連の「電極」にパッと惹かれました。どうも、私にはこういう言葉にすぐ反応する癖があるようです。で、じっくり読み返してみると、なかなか大変なことを言っているんだなと思いました。「得たもの」はプラスで「失ったもの」はマイナスですから、それが「電極」につながっていくのはよく理解できます。
問題は「やがて訪れてくる長い夜」の解釈でしょうね。季節は秋で、これから長い夜を迎えるということは判ります。1連から3連まではその布石です。4連目は「台風の接近」を受けて、解釈してもいいんですが「光る星」は夜であり、「群舞する海猫」は昼の光景で、これは最終連に係っていくのではないかと思います。すなわち昼をプラス、夜をマイナスと考えれば「電極」に行きつくというわけです。
しかし「得たものと」「失ったものと」「やがて訪れてくる長い夜」というイメージは、死ではないかな、という気がします。ここの解釈がこの作品のポイントでしょうが、私は外しているかもしれません。「充実した」という言葉が死のイメージと遠いような、あるいはまさに正しい死を暗示しているような、どちらをとってもいいようにも思います。
作品は作者から離れて、読者のものになっていくわけですから、私は私の解釈で楽しめばいいんですが、死というのは無理があるかもしれませんね。「充実した」死と思っていますが…。
○季刊『映画芸術』392号 |
2000.6 東京都新宿区 編集プロダクション映芸発行 1700円 |
日本詩人クラブ会員の船木倶子さんよりいただきました。このHPでも6月7日の頁で紹介した、粟津號さんの追悼が組まれていますので送ってくれたものです。35頁に渡る追悼特集として組まれていて、粟津さんの生涯が判るようになっています。6月7日に紹介した『俳優(わざおぎ)がゆく』も紹介されていました。内容の一部が『俳優がゆく』ともダブッていますが、小説『季節はロマン・ポルノ』も特別掲載されていまして、粟津號という俳優を知るには貴重な資料だと思います。
それにしても「主な出演作品」を見ると、商売とは言えすごい数の作品をこなしているんですね。「戦争と人間」「遥かなる山の呼び声」「キネマの天地」など私も見た映画にも出ていたんです。テレビドラマでは「峠の群像」「鬼平犯科帳」あたりは見ています。もっと早く知っていればその気で見たんでしょうが、残念です。
○月刊詩誌『柵』163号 |
2000.6.20 大阪府豊能郡能勢町 詩画工房・志賀英夫氏発行 600円 |
山峡の湯宿で/大貫裕司
皺を刻んで
足腰が弱った鈍い動きだが
久し振りに交わす挨拶は
昔のままの軍隊口調だ
徴兵された末端の兵たち
消耗品の醜の御楯は
何も知らされず
命令のままに
硝煙のなかをさまよってきたのだ
生き残って
いま 盃を上げている老いの
共通する話題は軍隊のことだが
敗戦から五十年以上も経つと
哀しみや不条理は錆びついたのか
可愛いい孫がいるだろうに
あの戦争は仕方がなかったのだと
日の丸と君が代の制定を支持する
反撥へ
しらけた沈黙が流れて
疎外される席の酒は冷えた手酌
独り 露天風呂へ起つ
おそらく戦友会での一齣でしょうが、複雑な気持ちになります。「あの戦争は仕方がなかったのだ」という親父の年代、それに「反撥」するのも親父の年代。この年代が私たちの父親の年代かと思うと、あの戦争はいったい何だったのだろうかと思います。すべてが「あの戦争は仕方がなかったのだ」と言っているわけではなく、少なくとも作者は「反撥」しているわけですが、その結果は「疎外される席の酒は冷えた手酌」になるわけですから、それに同調する戦友≠烽「ないわけですから、父親の世代は本当に愚かしいのか、と思ってしまいます。
作者のように「独り 露天風呂へ起つ」人がいることに、日本の良心を感じますが「独り」という点に引っかかります。作品としては、ひとり≠ナはなく「独り」としている点に作者の憤りを感じさせて成功していると思います。しかし、私には作品論より同調者がいないという点に危機感を覚えます。嫌な言葉ですが、仮に作者が先に亡くなったとすると、この戦友会では全員が「日の丸と君が代の制定を支持する」ことになります。日本人はいったい何を学んだんでしょうか。
○詩と散文・エッセイ『吠』11号 |
2000.6.15 千葉県香取郡東庄町 「吠」の会・山口惣司氏発行 600円 |
東夷/金容克(飯嶋武太郎
訳)
我らは海東国の子孫
女真族の夷字の開放は誤りであった
中国最初の辞典説文解字は
「東方に暮らす人、弓を上手に作り
上手に射、善良に昔から住んでいた」とある
孔子は夷字を仁の字の如くし
我が朝鮮の大地に住みたいといった
四書五経もまたそのようにあり
慈しみ多く
弓を上手に射る大人が暮らす国
我が古き朝鮮できなかったか
周の国第十代の夷王は
女真族の王に他ならない
そのようであった我が国が
いつから
どうして
しみったれて
卑しくなってしまったのか
訳者注 海東国−昔の朝鮮の別称
この作品には考えさせられました。格調高い1連・2連を見ていて、最終連で愕然としました。これは朝鮮だけの話ではない、日本のことだ! と思いました。朝鮮民族、日本民族は根は一緒でしょうし、それぞれにいい所がありますが、むしろ現在の日本より朝鮮民族の方がいい所が多いと思っていました。ですから、この最終連には驚きました。
具体的に何が「しみったれて/卑しくなってしまったのか」判りませんが、おおよその想像はつきます。おそらく工業化の波が原因だろうと思っています。工業立国日本を凌駕する韓国を考えると、ちょっと前までの日本の状況に考えが至ります。日本と朝鮮の祖国、中国の「衣食足りて礼節を知る」という言葉はどこに行ってしまったんでしょうか。あくまでも「衣食」を考えているだけで良かったものを、DNAまで操作するようになった報いでしょうか。少し、頭を悩ませています。
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