きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.7.7(金)
日本詩人クラブの理事会が「神楽坂エミール」でありました。今回、速報でお伝えできることは8/2〜6まで第10回詩書画展をやるということです。有楽町の「ステージ21ギャラリー」という所で、40名ほどの会員が出品します。実は私も初めて出品します。朗読会とか詩書画展というのは好きな方ではなく、今まで一度も出品しなかったのですが、今回は理事ということもあって出すことにしました。構想はできていますが、まだ形になっていません。
有楽町・泰明小学校そばの「数寄屋橋ビル」1階が会場です。よろしかったらおいでください。午前10時から午後6時半(最終日は2時)まで展示しています。私は8/1に搬入をした後は、一度も顔を出さないつもりですけど(^^;;
○桜井さざえ氏詩集『ひとの樹』 |
2000.7.9 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2500円+税 |
幽霊島
倉橋島の東側には 大情島じゃ小情島じゃけと
若い男と女の果たせぬ恋の話もありゃあ
南西の方にゃ 柱島じゃの続島の惨い話も仰山あるのよ
戦争中は軍の秘密の基地にされて
幽霊島じゃいわれ
釣り人も寄りつけんほど恐れられとった
進栄丸の船長は 内緒話を始めてうちあけるように
台風の直撃を受けた進栄丸が
続島海岸にぶちあたり 崖崩れしてから
大きな樹がひっくり返り 逆さになった根の先に
宙吊りになっとる塊が たまげたのなんの
人骨じゃったんで 頭蓋骨がそのままのかたちでのう
潮けむりのなかで揺れとるのよ
荒れ狂うとる怒涛の中から
亀裂の走る地底から 人魂の声がわしを呼ぶけん
横殴りの雨風に逆ろうて 陸に転がり出てみりやぁ
噴き出る水のなかに骨とも小石とも貝殻とも
見分けもつかんもんが散乱しちょる
続島の沖で爆沈した 戦艦陸奥の兵士等じゃわいや
島の人等も 言うたら銃殺されると思いこんじょるけん
見ざる聞かざるで 口を噤んだのよ
船方等に口が裂けても言うてはならんと言うたが
陸奥も永いこと そのまま海底に放っとかれたのよ
十九歳で靖国神社に祀られたマサオも
南方の海で撃沈されて
村葬の祭壇に白木の箱におさめられとったが
抱いて家に戻って見りゃあ中は 空っぽじゃった
何処どの島に打ち上げられて
小石や貝殻と混じりあうているんか
海底のヘドロと藻に埋もれているんか思うたら
身をひき裂かれる気がするわいや
戦争が終わっても人に言うたことはありゃあせん
言い終えた船長の まなざしは深く蒼い海底だった
この詩集の中では異質な作品ですが、惹かれています。おそらく戦艦陸奥に関する詩作品としては初めてではないでしょうか。少なくとも私には初見です。それが「進栄丸の船長」の話として作品化されていることに驚きもあります。地元の人は戦艦陸奥についてはなかなか話したがらないそうですから。
戦艦陸奥については吉村昭氏の『陸奥爆沈』という有名なノンフィクションがあります。記憶が薄らいでいましたので、この作品に刺激されて読み直してみました。一兵曹による火薬庫爆破とありました。吉村氏は巨大組織の暗部をテーマにしていますが、この作品では口の固い「進栄丸の船長」がひとつのテーマでもあり、日本人を考える上でも好材料と思います。「十九歳で靖国神社に祀られたマサオ」も詩作品として描かれて、浮かばれていると思います。
○滋賀銀行PR誌『湖』134号 |
2000.7 滋賀県大津市 滋賀銀行営業統轄部発行 非売品 |
毎号、西本梛枝さんが「近江の文学風景」と題するエッセイを書いています。今回は森鴎外の「小倉日記」。鴎外は石見の人と思っていましたから、なぜ近江?と疑問でしたが、解けました。鴎外のおじいさん、森白仙の墓が以前はあったんですね。九州小倉で軍医をしていた鴎外が東京出張の途中で、おじいさんの墓のある滋賀県土山町の常明寺に寄ったことが「小倉日記」に書かれているんだそうです。
西本さんは「小倉日記」の土山の部分を丹念に調査したようです。11枚の写真とともに鴎外の足跡を訪ね、土山の人々の人情を詩情豊かに伝えています。詩人であり、旅行ペンクラブ会員のエッセイストでもある西本さんならではの文体に惹かれます。滋賀県の人は滋賀銀行の各支店にも置いてあるようですから、ご覧ください。そういえば滋賀県栗東町在住の女流書家にお会いしたとき、PRしておいたんだけど、読んでくれたかな?
○個人詩誌『ひとり言だもんね』10号 |
2000.6.30 東京都国立市 小野耕一郎氏発行 350円 |
風の気配
軒下に干した洗濯物が揺れる
窓を開け放つとカーテンがゆらゆら
外に出ると体中を明日へ運ぶ
こんな時
遠くから訪れる風の気配を感じる
ふと振りむくが
そこには何もみえない
いたずらな神の仕業かと思い
遥か遠方を見渡す
しかし
この風というものは
何処からやって来るのだろう
無臭な風の気配を感じ
とまどいながら
両手で掴まえようとする
あっというまに
逃げ去り彼方へと消える
つかのままたやって来て
世界中をゆらゆら
地球も揺れている
風は怒っているのだろうか
嘆いているのだろうか
一見さわやかに見える
この縦になり横になりする風は
感情もあらわに
この世を攪乱する
「地球も揺れている」「この縦になり横になりする風は」などというフレーズを見ていると、非常に感覚的な視点だなと思います。小野耕一郎という詩人の見ている風は、このように映るんだろうなと感心しました。私は物理的にしか風を見ていないようで、このような視点はついぞ持ったことがありません。
私が一番記憶している風は、空中からのものです。ハンググライダーやパラグライダーで浮遊していると、常に風を受けていて情緒的な気分に浸れません。緊張の連続ですから、そんな余裕もないわけです。そんな中で唯一余裕が出るのは、風が読めた時です。下界を見ていて、湖の漣や木々の揺れ方で風を判断します。思った通りの強さと方向で風がやって来たとき、ようやく余裕が出るのです。
そんな風の見方しかしていませんでしたから、この作品の「風」に接するとホッとしますね。物理的ではなく精神的な風の捉え方もしなければいけないな、と教わりました。
[ トップページ ] [ 7月の部屋へ戻る ]