きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.7.14(金)
青少年健全育成会の会議に行ってきました。本来はPTAの会長が行くんですけど、会長が他の会議と重なったため副会長のお前が行け、ということで出席したものです。出席して驚きましたね、メンバーが。民生委員、子供会会長、青少年指導員、青少年補導員、小中学校PTA会長というのは予想していたんですけど、小中学校長、おまけに駐在所の警察官まで出席するんですね。私なんか中学生の頃は補導される側だったから、なんか居たたまれない気持ちでしたよ(^^;;
まあ、小さな地区なんで、小学校長もお巡りさんもみんな顔なじみですから、そこはうまく切りぬけましたけど、こうやって社会は成り立っているのかと勉強しましたね。あんまり子供をがんじがめにする気はないけど、昨今の中学生を見ていると多少の看視も必要なのかなと思います。でも一番看視が必要なのは大人。「恥」を知ろうぜ。
○季刊・詩と童謡誌『ぎんなん』33号 |
2000.7.1 大阪府豊中市 島田陽子氏発行 400円 |
せんたくばさみ/までのこうじ
まき(6歳)
せんたくばさみは
がんばってる
かぜに まけずに
がんばってる
さかだち しながら
がんばってる
『ぎんなん』をいただく楽しみのひとつが、までのこうじさんの作品に触れることです。今回も期待通りで満足しました。「さかだち しながら」という視点は新鮮で驚かされますね。大人が失ったものを知らせてくれます。
ワイパーの独り言/萬里小路 百合(13歳)
ガラスの上で
せっせ せっせと 働く オレ
働く日は
よりによって 雨の日ばかり
オレの お世話に なってんだから
たまには オレも ふいてくれ
まきさんのお姉さんでしょうか。「働く日は/よりによって 雨の日ばかり」に思わず、うん、そうだよなと笑ってしまいました。そういえば私の車のワイパーもずっとふいてあげなかったっけ。あわてて一年ぶりに洗車しましたよ。
○季刊詩誌『ゆすりか』45号 |
2000.7.1 長野県諏訪市 藤森里美氏発行 1000円+税 |
不連続線/大野理維子
蒸し暑い夏の昼下り
表のバス通りに面した二階家
仲の良すぎる夫婦の家の上を
気紛れな 不連続線が通過した
不快指数 百パーセント
途端に家の中から 男の一喝
----愚図愚図言うな
続いて 甲高い女の声
煎り豆のように弾けて道路に飛び出し
通行人を驚かす
これも みんな お天気のせいでしょうか
おもしろい作品ですね。それと同時に作者のあたたかい眼を「仲の良すぎる夫婦の家の上を」というフレーズに感じます。「これも みんな お天気のせいでしょうか」という最終行にも夫婦のせいにしないあたたかさを感じますね。それにしても最近は終連のような光景を見なくなりました。誰もがオリコウサンになって、感情を制御しているんでしょうか、17歳以外は。
○藤森里美氏詩集『湖國抄』 |
2000.9.20 長野県諏訪市 ゆすりか社・藤森裕基氏発行 2000円+税 |
故里がえり
− 悼・高橋渡様 −
生活の代償に消された
肉体の破れ法
無二の先達詩人の 遅すぎた故里がえり
空も自然も変わっていないのに
眩しい永遠の閉じ方に
すっかり呆気にとられて
(語り合いたい)の
便りを握りしめ
茫然と泪ぐむばかり
昨年11月に亡くなった日本詩人クラブ前会長の高橋渡さんを悼んだ作品です。ここでは視点の違いに驚かされました。私たちは高橋前会長を送った≠ツもりでしたが、藤森さんにあっては迎えて≠「るんですね。調べてみると高橋渡さんの生地は長野県中野市ですから、諏訪市の藤森さんにとっては迎える≠アとになると気づきました。立場が変われば作品の内容も変わるという見本のようなものです。改めて高橋渡さんのご冥福を祈ります。
○岡田響氏詩集『わが煉獄の主題にむけて』 |
2000.6.20 神奈川県横須賀市 私家版 2000円 |
26
岬よりたそがれの墓地にむかって走る犬
の燃える舌 夕やみの中では 泣かない
家々に告げる唐鋤の荷重にひきづられ
凶猛な臨界角を 高い塔が見える失楽園
の入口まで 駆けてくるのは私の母なの
だ
バイク事故で二日間意識不明になった、臨死体験をもとに作品化した、とあとがきにあります。一篇の作品にはタイトルがなく1から107までの番号が振られています。非常に難解で、言葉を調べるだけでもかなりの時間を要しました。その中から比較的理解しやすい「26」を紹介しています。雰囲気はお判りいただけると思います。この詩人の作品は個々の言葉の意味にとらわれず、分析的な解釈をやめて全体のニュアンスを楽しむ方がよいと思いますが、いかがでしょうか。
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