きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.7.23(日)
7/22〜23群馬県榛東村の現代詩資料館「榛名まほろば」に行ってきました。気の合う仲間、山田隆昭さん、阿蘇豊さん、水島美津江さん、水島さんの友人・金原さんの5人です。22日は池袋の東京芸術芸術劇場で肌勢とみ子さん、田中眞由美さん他の展覧会「2000
サロンDEボンドールの会」展もやっていましたので、そこを集合場所にしての出発です。肌勢さん、田中さん、変な使い方をしてごめんなさい。展覧会は作風にとらわれない自由なグループだなあ、というのが集合した山田、阿蘇、村山の共通した認識だったことを申し添えておきます、、、ってエラそうだな(^^;;
で、なんで「榛名まほろば」に行ったかというと、4/28に水島美津江さんの個人誌『波』の10号出版記念会をやって、その時の幹事にお礼の会をしたいと水島さんが言ってくれたからなんです。普通の呑み会じゃあつまんないから、どうせなら富沢さんの「榛名まほろば」に行こうよ、となった次第です。7/22はちょうど第4土曜日に「榛名まほろば」でやっている土曜会にぶつかりました。群馬の詩人たちも5人ほど見えて交流でき、いい会になりました。
水島さん、村山、山田さん、金原さん |
富沢智さんの奥さん、阿蘇さん |
群馬の詩人たちの写真もいっぱい撮ったんですが、載せ切れない、ごめんなさい。クソッ、なんで阿蘇豊だけが2ショットなんだ!? しかも顔が大きい(^^;;
夜は「榛名まほろば」のゲストルームで5人で雑魚寝しました。ちゃんとお布団もあったけどね。で、水島さんの後日談、「誰も手も握ってくれなかった」。冗談じゃねえ、あとが怖い(^^;;
○富沢智氏詩集『酒場のももんがあ』 |
1982.6.15 群馬県伊勢崎市 書肆いいだや刊 1000円 |
入口に置いてあった最後の一冊をむりやりふんだくってきました。第2詩集ですが、富沢さんの原点のような詩集だと思います。当日、酔った頭で一読しましたが、おもしろかった。こんな青春が確かにあったな、という思いです。
泥酔して目覚める部屋
女を抱いている夢をみる
あけがたのシーツをまるめて
わたしは眠りの栓をゆるめはじめる
どこのベッドで漂っているのか
パジャマをつけるのが習慣なのだが
どうやらくつ下をはいたままだ
挿入感がつづいている
顔のない女はあれはなった夢の外へ
ゆっくりとはいだそうとしている
わたしは窓のようなあかるさの移りを
あおむけになってながめている
この家にはドアがいくつあったろう
何者かが次々にノブをあやつり
わたしはねこみをおそわれるのだろうか
もどかしい女の顔をたぐりよせれば
ふいに蛇口からはげしい水が放たれる
これは誰のベッドだろう
おそらくひかりはまつ毛に触れ
わたしは確認されている
思い出せないのだ
波打際でわたしは眠りつづける
耐えがたい尿意がやってくる
身悶えて夢を拡げようとするのだが
夕べの衣服がべっとりと重い
貨物列車がしっかりと枕木を踏んでゆく
いずれにしろ生きてはいる
毛布をふかぶかとひきよせて
わたしは注意深く目をひらいた
これは誰にでも経験があるんじゃないでしょうか。女性や今時の若い男はどうだったか知りませんが、70年代に青春を過ごした男共には一度や二度はあるはず。私はこんなこともあると思って、いつもパンツと洗面用具は持ち歩いていました。平日はきちんと会社に行っていましたけど、土日になると今夜はどこで泊まるんだろうという週末でしたからね。みんなもそうだったよね?
「毛布をふかぶかとひきよせて/わたしは注意深く目をひらいた」という終行にはうれしくて泣かされます。そうなんだよね、目覚めた時の不安。昨夜、オレはなんかやったんではなかろうか? 呑んでいても記憶ははっきりしているから、それは大丈夫。しかし寝たあとが不安なんです。一度は男に抱きついて寝ているところを撮られたからね。それ以来、眠ったあとは責任持てないということがよく判った(^^;;
そんなこんなで歳を取って、バカみたいな生活から開放されたけど、そういう生活をしても平気なんだという事実だけが残って、変な開き直りが出てきたように思います。そうでなければ富沢さんが長い勤めをやめて「現代詩資料館」なんて金にもならない事業を始めた理由が説明つかないと思いますよ。
○富沢智氏詩集『影あそび』 |
1989.6.15 東京都千代田区 花神社刊 1500円 |
ヴイ
……だが復讐はまだだ
季節を潮に寝返る者ら
ぐねぐねとわたしはたどりつく
あとかたもない街の
不思議な止まり木
スナック・ヴイ
感傷の雪降り 雪が降り
すてきだ
ママさんは憶えていない
たしかな一千日のおよそ三百日
ビールをください
いまでも過剰である
わたしのようなものが積もり
愛しいものが変容しつづける
遠くからの声は聞こえない
このごろは植物と暮らす
若芽のエロティックな
緑の影
娘たちが香をちりばめてゆく
名前があってはならぬ
うらみはどこへいった
季節には人の名がある
なぶってゆく人々の その名
恐怖のコミュニケーション
そんなあたりで一服する
いったいどんな刺すようなことばで
磔刑の朝におびえたのか
Hが指を詰めそこなった(笑)
とある日暮れに頭を丸めてきた
二人の女が発狂した
いまはすずやかにそれらが流れる
……だが復讐はまだだ
ときおり夢の中をタクシーが走る
どこにもない街の
スナック・ヴイ
雪降れ
憤怒の
わたしの理由をおおいつくすまで
前出の詩集から7年経って出版された第4詩集です。作者の意図とはズレているかもしれませんが、70年安保が終わったあとの挫折感を感じます。私たちの上の世代は60年安保で挫折しています。その轍を踏むはずがない、と思っていた70年安保ですから、結局同じ結末に終わったことに、私なんか個人的には大きな衝撃を受けました。そんな中で書かれた作品ではなかろうかと想像しています。
年齢的にも40台にさしかかって、第2詩集とは違った重みを感じます。いろいろな物事に一歩距離を置いた態度、ととるのは読み過ぎでしょうか?「ビールをください」「そんなあたりで一服する」というような展開のし方にそれを感じています。そして「憤怒の/わたしの理由をおおいつくすまで」という最終行には誰にでもなく自分に向けた「憤怒」を感じます。そうやって私たちはこの20年なり30年を生きてきたんだなあ、と思いました。
○詩誌『銀猫』4号 |
2000.6.6
群馬県前橋市 飯島章氏発行 250円 |
こちらも「榛名まほろば」で飯島章さんか中澤睦士さんよりいただきました。ごめんなさい、酔っていてどちらからいただいたか忘れてしまいました(^^;;
1999年8月28日創刊とありますから、まだ1年足らず、若々しい詩誌です。
線路/池田瑞輝
おじさんはもう行ってしまったろうか
おにぎり好きのおじさんみたいに
みたいに僕は
レールの上を歩いてみたんだ
その日 教室で僕の弁当箱は
ひっくり返った
ごはんつぶだのウィンナーだのが
抽象画のように床に散らばって
やがてそれは ごみ箱の中に沈んでいった
くよくよすんなよ 俺の少し食べるか
一緒に買いに行こうか
とつぜん泣き出した僕の肩を
みんなは次々にたたいたけれど
そうではなかったんだ
僕が泣いてしまったのは
床に散らばった弁当を
肩を震わせて拾い集める母を
ちっとも悪くないのに
ごめんねと小声で謝る母を
いるはずのない母を
教室に
見つけてしまったからだった
一丁前に反抗などをしていた頃だったけれど
いつもとは違う理由で空になった弁当箱を
いつものように家に持ち帰ることができず
さよならと
おにぎり好きのおじさんみたいに
みたいに僕は
レールの上を歩き出した
曲がりくねって
どこまで続くのか分からない
ひんやりとしたレールの上を
歩けば歩くほど
引きずる影が重くなって
空の色が変わる頃
とうとう僕は家の方を振り返ってしまった
ずっと遠くに小さく揺れている点が見えた
風は懸命に背中を押していたけれど
もうちっとも前には進めなくなってしまった
今 遠くで揺れていたあの小さな点は
やがて賑やかにサンダルの音を響かせて近づき
僕の腕を掴むだろう
その手をずっと待っていたくせに僕は
しらばっくれて振り払うだろう
いつものように
「うるさいな」
とかいって
とかいって
少年の心理が見事に描かれた作品だと思います。特に第2連の「僕が泣いてしまったのは/床に散らばった弁当を/肩を震わせて拾い集める母を/ちっとも悪くないのに/ごめんねと小声で謝る母を/いるはずのない母を/教室に/見つけてしまったからだった」というフレーズはなかなか書けるものではないでしょう。私の少年時代には無かった感覚です。最終連も同じように少年の心理がよく描けていると思います。
母親の姿も目に浮かんできて、「ちっとも悪くないのに/ごめんねと小声で謝る母を」で実像が見えたように思いました。作者の年代は判りませんが、確かにそういう母親が存在していました。現在では見うけられないと思いますから、ある時代の日本の代表的な母親を久しぶりで見た思いです。
○新井啓子氏詩集『水曜日』 |
1999.10.10 東京都新宿区 思潮社刊 2000円+税 |
こちらも当日、会場でご本人からいただきました。今年度のH氏賞選考で最終まで残ったそうで、さすがに中身の濃い、いい詩集です。ちなみに「水曜日」は「みずようび」と読みます。
管
こどもをみごもると
じぶんのからだが
じぶんのものではなくなってしまう
連休明けの朝
急に おなかがせりだしていて
地球儀を抱え込んだ足元が
見えなくなってしまっていたり
待機室で 陣痛促進の点滴をうけていると
じわじわと広がってくる子宮口に
拳をいれることだってできそうなのだ
その自然のなりゆきのしまいには
呼吸法なんかふっとんでしまって
地震がおきようと 大波が揺れようと
これ以外はどうでもよくなる
産みたい産みたいと全身が叫んで
産ませてくださいとセンセイにたのんで
わたしは ただ 産みだす管になる
そうしてぬるっと産み落として
繕いの針が触れるまで しばらく
管のまま横たわっている
これだけは女にしかわからない感覚、とよく言われますが、そうだろうと思います。しかし私も50を過ぎて、子供もいて、いろいろな作品を拝見してきて、頭の中では判るというか、擬似体験をしているような気になりますね。ほんとうのところはよくわかっていないんでしょうが…。
「地球儀を抱え込んだ足元」というのは、いい表現だと思います。これから産まれてくる子が全世界をしょっているような気にさせられます。子供はみんな地球≠ネのかもしれません。女性を「管」と捉える発想も新鮮です。人体は口から肛門へのドーナツ形状ですが、子宮を含めて管というのは、我々男共には出来ない発想でしょうね。
その他「家族」「銭湯」「求心力」「ふこうのはなし」「とりあげる」など女性的な作品の中に、性にとらわれない自由な発想の作品が多くあり、本年度の中でも特筆される詩集と思いました。
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