きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「ムラサメモンガラ」 |
2000.7.25(火)
24日〜25日と埼玉県戸田市に出張してきました。検収と言って、メーカーさんに特注した製品を検査するのが目的です。本来は私の仕事でないんですが、担当者が忙しいので私が行くことになりました。私一人で検査するならどうということはない仕事ですが、今回は新入社員と定年ま近の社員という両極端を引率しての検査になりました。両者とも出張はほとんどありませんから、そちらの方が気を使ってしまいましたね。特に新入社員にはメーカーさんとのつき合い方まで教えなければならず、これはマニュアルにないことですから伝え方が難しかったですよ。具体的なことは書くのが憚られますので控えますが、私のような立場の方にはお判りいただけると思います。
で、検収は無事修了。先週末から出張、遊びと続き、家には1日おきにしか帰っていない状況でしたので、ちょっと疲れました。なによりHPの更新ができないのが辛い。毎晩毎晩コンスタントに書かないと追いつかないですからね、いただいた本の感想もだいぶ溜まってしまいました。寄贈していただいた皆さん、そんな訳でほぼ1カ月遅れになっています。すみません。
○大木一治氏詩集『ぼうふらのうた』 |
1948.7.20初版
2000.7.22復刻 大阪市淀川区 寺島珠雄事務所刊 非売品 |
大木一治というのは故・寺島珠雄さんの本名のようです。このあとに出てくる寺島珠雄事務所の『ぶらつく通信』に詳細が出てきます。
日本的な学問のこと
「六月八日夜、警視庁では上野地下道の
大カリ込を行い、浮浪者約千名を収容し
指紋検出、写真撮影を行つた。当局では
今後も取締を強化し、関東一帯の犯罪の
温床絶滅する方針であるという」− 六
月九日各新聞
親きょうだい、家、食物、職業、そんな
ものをみんな強奪され、神様に見放され
た人間という生物は、うつちやつて置く
とどうなるか。
かくれたる生物学者H氏の実験テーマ。
これは海底の微生物研究より容易である。
コンクリートの地下道を温床とし、大規
模な実験は成功した。
この日、H氏が象徴的に微笑し、報告に
ついて「ああ、そう」、とうなづいたこ
とはまちがいないであろう。
48.6.10
H氏とは昭和天皇のことです。「生物学者」、「象徴的」、「ああ、そう」でそれが判ります。寺島さんの反天皇制への意識がはっきりとわかる作品だと思います。それにしても今で言うところのホームレスへの当局の態度はひどいですね。「指紋検出」「写真撮影」というのには驚かされました。それとも私が知らないだけで今でもやっているんでしょうか。1948年という時代だからで、今はマシになっていると思いたいです。
「親きょうだい、家、食物、職業、そんな/ものをみんな強奪され、神様に見放され/た人間」への共鳴が寺島さんの本質ではないかと思います。それほど寺島作品をたくさん読んでいるわけではありませんから、軽々しく書けませんけど、たぶんそうでしょう。これから勉強させていただきます。
○寺島珠雄事務所通信 『ぶらつく通信』第0号 |
2000.7.22
大阪市淀川区 寺島珠雄事務所発行 500円 |
寺島珠雄さんの一周忌に合わせて発行と序にあります。0号ですから、まだ準備段階と受けとっていいのかもしれません。しかし、それにしては立派な内容です。前出『ぼうふらのうた』の発見から復刻までのいきさつが述べられていて、さらに寺島さんと近かった方々のエッセイが寄せられています。寺島珠雄研究には欠かせない資料になっていくように思いました。ご入用の方は、 http://www.emp-t.cx/warera/ に入ってみてください。メールは、 warera@emp-t.cx です。
○月刊詩誌『柵』164号 |
2000.7.20
大阪府豊能郡能勢町 詩画工房・志賀英夫氏発行 600円 |
電話の声/今泉協子
いつものことだが
受話器をとって
用件を聞いている
男の気分も仕事の意欲も
自然に伝わって安心する
電話の声に
話をそらす表情が
今朝はありありと見えている
私の耳は判断する
男は後悔を抱えて煮えている
むきだしに表れた精神(こころ)とはうらはらに
ぎこちない言い訳が
私を傷つけ
受話器を切ることができない
こんなにもあからさまに
内なる声を剥がしてみせ
「許してほしい」
と言う声より早く
許しを乞う電話よ
影の男よ
一体どちらがあなたなのだ
今泉さんは『山脈』の同人ですから、仲間褒めを避けるという意味からもここで紹介するのは躊躇したんですが、最終連が良くて思わず書いてしまいました。電話の主と電話の声という二つの観点がおもしろいと思いました。頭の中では判っていることですが、こうやってきちんと書かれることは、まず無いのでは、と思います。
確かに、そうですね。電話の相手の息使いで、本当は何が言いたいのか判るときがあります。直接会って話しているときよりも、声だけの電話の方がよく判るものかもしれません。相手の顔が無い、ということが微妙に精神に影響しているのかもしれません。「男」はご亭主なのか息子さんなのか、違う他人なのかは判りませんが、それを超えた普遍性を感じました。
○詩誌『すてむ』17号 |
2000.7.20
東京都大田区 甲田四郎氏方・すてむの会発行 500円 |
愛だ!/閤田真太郎
枯れたのは
管理不適切だと言うが
ひとりが植えた部分は
三分の一の枯死株を出し
もうひとりが植えた部分は
一株も枯れていないのは
何故? と問うことはしないが‥‥
苗を苗箱から
抜き取る時の小さな差異
根の一筋をも傷つけまいとする
その指先に籠める意識の差‥‥
開けてゆく植え穴の深さ大きさの
微妙な違い
据えられた苗に
寄せられる土の量
鎮圧の手加減‥‥
それを
愛だ
と言うのは
舌がこわばるけれど
ひとりが植えた部分は枯れ
もうひとりが植えた部分は枯れないことの差は
技術などという無機質なものではなく
やはり愛だ
と言うしかないのだ
枯死株の
補植をするそばを
愛の総量では
あんたなんかとは
比較になんないよ
と 自信に充ちた顔と手足が
黙って
通り過ぎてゆく
稲作のお話でしょうが、愛が出てくるところがおもしろいですね。確かに技術的には第2連のようなことで説明できねんでしょうが、作者はそれを「やはり愛だ」とこだわっているところが何ともおもしろい。作者自身も「舌がこわばるけれど」と断わっていますが、どうしてもそこに持っていきたくてしょうがないようで、読者としてはそれが読み取れて微笑みたくなります。
でも、この作者の感覚は普遍的なものだと思います。私自身は農業の経験はほとんどなく、化学工場の現場の技術屋ですから、技術的に説明することを好みます。しかし「愛だ!」というのは実感としてあるんですね。製品の、あるいは実験の最終的なツメは、実はこの「愛」なんです。今の我々の技術ではきちんと説明できないことで、場合によってはセンスなどという言い方をしますが、確かに個人差は存在します。それは何故かという研究も始まっているようですよ。
農業も化学も、この地球上での行為ですから、共通点があるのは当然とも思います。こんな作品には初めて遭遇しました。なんだか晴れやかな気持ちになっています。
[ トップページ ] [ 7月の部屋へ戻る ]