ょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画「ムラサメモンガラ」




2000.7.31(月)

 職場の歓送迎会で小田原にある「銀座・ライオン」に行ってきました。なんで「ライオン」が小田原にあるんだ?とも思いましたが、店舗拡大をやってるんでしょうね、正真正銘の「銀座・ライオン」でした。
 歓迎されるのは二人の女性、送別されるのは男一人です。この男がおもしろい。まだ30台ですが、このリストラ時代に会社を辞めます。辞める理由がすごい。奥さんのためなんですよ。
 私の勤務する会社の現地法人がアメリカにあります。彼は独身の頃、そこに技術指導で何年か行っていました。で、男と女には国境が無くて技術指導していた米国女性と結婚したという次第。海外駐在が終わって帰国したときには当然奥さんも一緒です。
 数年、日本で暮らしていましたが、奥さんは日本語が全然ダメでアメリカに帰りたい、となったようです。彼も奥さんのためなら会社を辞めようとなったんですね。こんな男は今の日本じゃなかなかいませんよね。で、後日談。辞めてアメリカに行って何処に就職するか。なんと以前技術指導していた現地法人に現地採用されてしまったんです。嘘みたいな実話です。
 どこまでうちの会社が関与しているかは知りませんが、関与していたとしたら、なかなか会社も粋なことをやるね。給料は本社に比べれば現地法人なんで安くなりますが、アメリカの田舎の工場ですし物価が安い。まあ、なんとかなるよ、と彼は言ってました。何より勝手知ったる工場ですから、仕事がやりやすいと思います。応援してるぜ、しっかりな。


柏木勇一氏詩集『虫の栖』
mushi no sumika
2000.7.21 東京都千代田区 沖積舎刊 2000円+税

 変哲のない土曜日

二千年二月十九日
東京もあすは大雪という予報だけがうるさい
何の変哲もない土曜日

ニューヨーク株式市場の大幅続落を伝える
夕刊を一枚めくれば
パリでは
ロマン・デュマ元外相が横領罪で起訴され
インド北西部のダラムサラでは
ダライラマ十四世の即位六十周年式典にカルマパ十七世も現れ
北京では
毛沢東を説明する辞典からマルクス主義者の項目が削除された

さらに六枚めくれば
渋谷のマンションで五十八歳の菓子デザイナーが焼死
カリフォルニア大バークリー校とセレナ・ジェノミック社が
ショウジョウバエのすべての遺伝子解読を終えたことを明らかにした

地球のどこかで透明な巨木が倒れ
透明な巨木の若芽がまたたくまに成長した
そんな錯覚が横切ったが

日曜日が雨なら
テニスもできない
社会人ラグビー準決勝をテレビで見るだろう
みかんの汁がしみついた夕刊を
毛沢東の顔写真の所で折り畳んで
古紙回収用の紙袋に
いつも通り収納する

夕食を呼ぶ声が聞こえる
予想通り鍋

 一貫して「何の変哲もない土曜日」の夕方を表現していて、事件としての新聞の扱いも巧みで、唯一作者の口を挟んでいるのは第4連だけという作品ですが、奥が深いですね。行間で読ませる詩の典型ではないでしょうか。最終連がよく効いていますね。第5連にも作者の顔が見えますが、最終連が最もよく見えていて惚れ惚れさせられます。
 しかし、こうやって見るとつくづく詩人とは怖い存在だなと思います。ただ夕刊を見ている土曜日、今夜は鍋、それだけのことしか言ってないのに、世の中の全てを見抜いている。そんなことを読者に思わせるのは、作者の力量の成せる技と言っていいでしょうね。


山崎森氏詩集『航跡』
koseki
2000.8.1 大阪府豊能郡能勢町
詩画工房刊 2000円

 共感できる言葉

ぼくは小さいときから
悪いことをしても
すなおに謝らなかった
つい魔がさしても知らなかった
ワシントンのように
正直に吐かなかったし
先生の円形脱毛や痣を数えながら
笑いをこらえていた

だが年々人間ずれしてくると
つい魔がさして……
が無罰的で便利な言葉だと分った
前歴のある人たちも
しばしばこの科白を用い
お努めの期間の短縮を仄めかす
ぼくが反対側の椅子に坐っていたのは
たぶん魔がさしたせいだ

いつの世もそうだが
お巡りがヤクザに情報をもらす
議員が賄賂をとる
役人が豪華な接待を受けるのも
つい魔がさして……のことで
超自我に欠け計算ができぬとはいえぬ
ぼくにはこの循環構造を通らなかった
という確かなアリバイがある?

 山崎さんは長い間家庭裁判所にお勤めになっていた方です。「ぼくが反対側の椅子に坐っていたのは」というのは、そういう意味です。終連は私も耳が痛いですね。民間企業ですから法に問われることはありませんが、あまり気持ちのいいものではありません。一緒に仕事をしてもらっている会社の営業マンが「ご自宅の住所を」なんて聞いてきますが、さすがにこれは断わります。どこでケジメをつけるかは必要と思っています。
 「つい魔がさして」は確かに便利な言葉で、これで救われることもあるでしょう。しかし私は犯罪を犯すとしたら確信犯でいきます。逮捕されて頭からすっぽりジャンバーを、なんて無様なことはしたくありません。
 この詩集には「子どもの情景より」と題した4頁にも及ぶ作品が1から7まであります。子どものカウンセリングもなさっていた作者が、子どもの気持ちになって書いたものです。非行、いじめ、不登校と現在問題になっている現象が子どもの立場で書かれています。お子さまをお持ちの方には一見の価値があります。私もひとつの方向が見えた気がしています。推薦します。


小林尹夫氏詩集         .
『時間の橋から渚へ、水の童たち』
jikan no hashi kara nagisa e mizu no warabetachi
2000.8.1 大阪市北区 編集工房ノア刊 2100円

 

 南島。誰もいない小学校の白い校庭。ガジュマル一人、子供たち
の夢を見ながら立っていた。やわらかい手のひらや足の裏、細い指
や髪や、黒い瞳。くるくる輝く子供たちを、一人一人思い出しなが
ら。
 天気はいいが波は高い。黒いうねり。眼下、接岸出来ない、夢。
人魚姫の髪、沖で濡れている。近付けない。沖で、待っている。ガ
ジュマルの奥で眠っていたキジムン(樹の人?)、蝶になってどこか
へ行った。

 100頁あまりの詩集の中に、たった4編しか作品が無いという長篇詩集です。紹介した作品は「ひびけ、とどろけ」という大きなタイトルの中の作品で、最も短いものです。作者はあとがきの中で「元来、土地の名や風の名など民族的な事柄にひかれてきた私である。ようやくその源を見い出した感がある。ありがたい。」と書いています。この小さな作品からも作者の願望を読み取ることができますね。大きな荷物を背負おうことを厭わない作者に拍手を贈ります。



 
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