きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
nasu
新井克彦画「茄子」




2000.9.12(火)

 大先輩詩人・田熊健さんの詩集『断層』の出版記念会が「神楽坂エミール」でありました。田熊健さんって、タグマケンさんだとばっかり思っていて、皆さんもそう呼んでいたんですが、詩集の奥付に「たくま たけし」とありました。それが結構話題になった会でした。筧槇二さんは挨拶の中でそのことに触れ、いつかお電話した時にお孫さんから「うちのおじいちゃんはタグマケンではありません、タクマタケシです」とお叱りを受けたそうです。
 今回は田熊さんの息子さんがカメラマンとして来ていまして、いい息子さんですよ。彼のお礼の言葉が良かったですね。「父は私には何も財産を残さなかったけど、皆さんという大事な財産があることが判りました」なんて言われると、これはもう大喝采でしたね。
 こんなことも言ってました。「娘がタクマタケシだと抗議したそうですが、皆さんにとってはタグマケンなんだから、それはそれでいいんではないでしょうか」と。これも大受けでしたね。

000912
花束を貰って恥かしそうな タグマ ケン さん

 お名前のことはそのくらいにして、詩集の中身も評判良かったです。このHPでも取り上げた「冨士山」という作品は田熊健さんの代表作品として後世に残るんではないか、という方(確か中正敏さん)もいました。私と同じことを考えている方がいらっしゃってうれしいです。うれしさ余って再掲載しちゃいましょう。

 冨士山

大きなハンガーが
沈みそうな列島を
懸命に吊り上げている

 詳しい解説は
2000年5月20日の頁に書いてありますから、興味のある方はご覧ください。


宮内孝夫氏詩集『砂嘴』
sashi
2000.9.20 東京都東村山市
書肆青樹社刊 2200円+税

 ザ・シティ・オブ・ナガノ

バーミンガムからサマランチさんの声が
地球を駆け巡った

 The・City・of・NAGANO……

'98冬季五輪開催都市決定の知らせで
僕の手にあったオンザロックの氷塊は輝き
テーブルクロスには
写真でみたアルベールの白い街が浮き上がる

その夜
あふれる旗と叫びが
アルベールビルの街からNAGANOの山岳地帯に向かって
移動する夢ばかり見ていた

翌朝 障子に人影が映ったとき
気早い選手の到着かと驚いたが
彼等は土地測量の技師だった

測量が終わって計器類をワゴン車に積み込むと
ヘルメットに三本 筋の入った技師が申し訳なさそうに言った

お宅のこの辺り 新幹線と高速道通過の予定候補地となりました

 詩集の巻頭作品です。この作品で作者の自宅が長野オリンピックの犠牲になったことが判ります。この後に「主(ぬし)」「雪の朝」という作品が続き、作者の自宅が取り壊されていく状況が判ります。その意味でも重要な最初の作品と言えるでしょう。
 さらに長野の街がオリンピックのために変貌していく作品が続きます。しかし、それに対する作者の眼は反発しているわけでもなく賛同しているわけでもありません。淡々と事実を書いているだけです。この作者の態度が大きな詩集の特徴と言えると思っています。あるがままに受け入れる、そんな作者の思想を読み取ることはあながち間違いではないと思うのですが、さてどうでしょう?
 私個人としてはオリンピックも万博もまったく興味がありません。むしろ嫌悪感に近いものを持っています。特に競争という原理が働くオリンピックは好きではないですね。戦争よりはむしろいいんですが、国家の名誉をかけたような競争は見たくもありません。今回のシドニーオリンピックでの南北朝鮮の統一入場には賛同していますが、国境を越えた競技にならないと本来のオリンピックではないように思います。
 ちょっと作品から離れました。すみません。作者が私と同じ見方をしているかどうかは判りませんが、何か近いものをこの詩集から感じました。


木村孝夫氏詩集『鏡』
kagami
1989.6.30 福島県福島市
海流詩の会発行 500円

  ベル
 呼鈴

不在を
確かめるために
玄関の呼鈴
(ベル)
押す

いつも
押し続けた
時間の長さだけ
不在の確かさが
告げられる

無言のまま
納得して
引き下がる時間を
もう一度
慎重に
確かめる

波のように
引き際の
先に立ち
押し続けた
時間の長さだけ
思い切って
時間を
巻き戻してみる

誰もいない
部屋の空間に
取り残された
呼鈴
(ベル)の音

壁かけに
沈黙は一人
すっかり
呼鈴
(ベル)聞く
耳を忘れている

 これは下司の勘ぐりですが、著者から同封された手紙には「銀行員生活に一つの区切りがつき、…関連会社に出向…役員は私含めて3名」とありますから、銀行員時代の体験ではないかと思っています。とすると、借金取りの状況? 最終連はひっそりと家に閉じこもって壁にを身を寄せている、と考えられなくもありません。
 家のローンがまだ残っていて、私も銀行には頭があがらない状況ではありますが、幸い順調に支払っていて銀行員が自宅に来ることはありませんが、家に閉じこもっている人の気持ちは判りますね。それが判るから逆の立場の人が「押し続けた/時間の長さだけ/不在の確かさが/告げられる」というのも理解できます。
 最終連の理解が問題ですね。家にいる側のことなのか、外にいる銀行員のことなのかで大きく分かれてしまいます。「壁かけに」を主眼とすると家側、「沈黙は一人」とすると外側。この判断は正直、まだできていません。それより、借金取りの状況、という大前提が覆る可能性もあります。ハラハラさせられる作品です(^^;



 
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