きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画:ムラサメ モンガラ |
2001.10.20(土)
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○詩誌『燦』詞華集2001 |
2001.11.1
埼玉県さいたま市 燦詩文会・二瓶徹氏発行 500円 |
あしあとの月/ぷらちな銀魚
たんぼにのこったあしあとは
のうかのおじさん、おばさんが
いっしようけんめいはたらいた
あせのおもみでできたあと
たんぼにのこったあしあとは
いつのまにやらみずたまり
やっとこふとったお月さま
そらからのぞきこんだので
おかおがうつっておりました
たんぼにのこったあしあとの
ひとつひとつにゆらゆらと
月がうかんでおりました
まんげきょうのようでした
「田毎の月」という言葉を想起しました。山の斜面に作られた田圃毎に映る月のことですが、ここではそれが「あしあと」毎になっていて、それもおもしろい見方だなと思います。「あせのおもみでできたあと」という発想も「まんげきょうのようでした」という視点もなかなかのものだと思います。
作品からちょっと離れますが、私の家の裏には小さな畑があります。嫁さんのお母さんは本職で農業をやっていましたが、今は趣味でやりたいということで、野菜を数種類作っています。消費はわが家の仕事です^_^; 私は農業の経験がまったく無いんですが、小さな耕耘機を買ってもらって、それで畑をうなうように頼まれて、楽しみながらやっています。うなった側に私の足跡が残るんです。「たんぼにのこったあしあと」には比べられないほど浅い足跡です。それでも土を耕して、汗なんかかきませんけど「あせのおもみでできたあと」のような勘違いをしています。
作者に農業経験があるかどうか判りませんが、農耕民族の基本的な行動をとらえてくれたことに、農家でもないのに、なぜかうれしい気持になっています。
○詩誌『海嶺』17号 |
2001.10.20
埼玉県さいたま市 海嶺の会・杜みち子氏発行 300円 |
五年目の鉢/河村靖子
寿命だと思う頃
今度こそ捨てようと思う頃
決まって 蕾(つぼみ)をつける花
ヒメシクラメン
みずみず
瑞々しさの代りに
ギリギリまで伸ばした細い茎
問いかけるような不思議な色
終りは必らずある
でも 今ではない と
扉詩です。表紙をめくってこの詩が飛び込んできて、思わずうなってしまいました。私が感想にもならない、的外れなことを書く必要はないと思います。うーん、参った。心がけて生きていこうと思います。
○詩と童謡誌『ぎんなん』38号 |
2001.10.1
大阪府豊中市 ぎんなんの会・島田陽子氏発行 400円 |
願い/原瑠璃子
そよ風を下さい
熱のある頬に
朝露を下さい
かわいた唇に
やわらぎを下さい
走る痛みに
ああそして何よりも
これらを受け入れる
くず折れた霊と
膝まずく素直さを
「詩と童謡」誌にふさわしい作品が続く中で、ちょっと異質な作品だなと思って気になっていました。編集後記で作者が亡くなっていて、この作品が絶筆であることを知りました。胆嚢癌だったそうです。再度読み直して、最終連の深い意味を知った次第です。もちろん合ったことも文通をしたこともない詩人ですが、詩人としての最期の仕事に胸の熱くなる思いをしています。いずれ私も、この方のいる世界に行きます。それまでに「くず折れた霊と/膝まずく素直さを」獲得できるかどうか…。ご冥福をお祈りいたします。
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