きょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画:ムラサメ モンガラ




2001.10.20(
)

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 高校のクラス会が静岡県御殿場市でありました。地ビールの「御殿場高原ビール」という所でやったんですが、私にとっては実は今年3回目の場所なんです。またかヨ!と思いましたけど、集るメンバーが違うから、まあいいか、と納得しています。
 およそ10年振りの再会でしたが、50を過ぎると個人差が大きいことを改めて感じました。若く見える連中は、どう見ても10年若く見えますね。女性は、下手をすると30代ではないかと思えるほどです。うーん、一番老けて見えるのは私かもしれませんね。白髪頭を揶揄されて、悔しいから「これは白く染めているんだ!」と炒ってりましたけど、失笑をかってオシマイでした。



現代詩の10人『アンソロジー 豊岡史朗』
2001.2.20 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2500円+税

 こつじき
 乞食

銀座を歩いていると
若い托鉢僧の姿を見かけた
華やかな街角にはおよそそぐわない
風景のなかの異物のような
あまりに孤独なかれの存在
(そこにはこの混迷する時代にこそふさわしい
一種独得の趣だってあるのだが……)
きみはふと 山頭火のことが
「解くすべもない惑ひ」を背負って
行乞流転の旅に出た
ひとりの男のことが思い出されて
うららかな春の日だというのに
そこだけ霰が降りしきる
少しこわい   
てつぱつ
そのくろぐろとした鉄鉢のなかに
百円銀貨を一枚 そっと置いて
足早に立ち去る

 鉄鉢の中へも霰
----山頭火

 豊岡さんが今まで発行した2冊の詩集、『虹を渡った男の話』(詩学社・1984年)と『サラマンカのオリーヴ』(火箭の会・1996年)の中から選んだ作品と、未刊詩篇を合せた40編ほどのアンソロジーです。豊岡さんの主な作品をこの一冊で知ることができる、私にとっては貴重な本となりました。
 紹介した作品は第2詩集に収められていて、初出は1995年2月刊の詩誌『谷蟆』2号とありますから、今から6年ほど前の作品と考えられます。「若い托鉢僧の姿を見かけ」るのは、今でも変りはありませんから、作られた時代は関係ありませんけどね。それよりも「風景のなかの異物のような/あまりに孤独なかれの存在」が、今でも同じだろうかという興味を持ちます。私自身を考えても、6年前に托鉢僧を見た意識と最近の托鉢僧を見る意識がかなり違うと思うからです。私企業で利益追求に従事し、そのおこぼれで生活している自分を考えると、托鉢僧の姿に羨望を感じ始めています。そう思う人が増えているような気がしています。
 「行乞流転の旅に出た/ひとりの男」とは、この場合は山頭火ととれますが、実は作者自身であり私たちなのではないかと思います。精神的な「行乞流転の旅」も含めて、そんな時代に置かれているように、この作品を通して思えるのです。「百円銀貨を一枚 そっと置いて/足早に立ち去」った、その瞬間から旅は始まっていたのかもしれません。



詩誌『人間』137号
ningen 137
2001.12.1 奈良県奈良市
鬼仙洞盧山・中村光行氏発行 1500円

 トカゲ/笠井忠文

庭の隅の
僅かばかりの草むらに
一匹のトカゲが住みついた
時々草の陰から出てきては
眼を瞑って日なたぼっこしている

ひき締まった胴体から更に細く長く
伸びている尻尾は
彼の美意識を鋭く示す
余分なものを削ぎ落とした
生のあり方を

わたしとしてははびこる雑草を
抜いてしまいたいのだが
彼の生活に与える影響を思うと
それも出来なくて
わたしは地主の権利を放棄し
彼との共生に努めている

ある日わたしの中から
わたしの日常を切り裂いて
細く鋭いものの幻影が去って行く
トカゲの形をして

 トカゲは確かに美しい生き物だと思います。蛇のように長過ぎもせず、太古から存在していたのではないかと思うほどの「余分なものを削ぎ落とした」姿であろうと思います。しかし、「彼の美意識を鋭く示す」とも、まして「生のあり方」に直結しているとも考えつきませんでした。この作品の中で、まず第一にうなってしまった点です。
 そして最終連には、それこそ「尻尾」を巻きました。第2連とうまく呼応していて、ああ、こうやってトカゲを見ることができるのか、と感心しましたね。「彼との共生に努め」た結果ととらえました。小さな生き物への感情移入の仕方を勉強させてもらいました。



詩誌『東京四季』81号
tokyo shiki 81
2001.10 東京都八王子市
東京四季の会発行 500円

 迎え盆/三瀬千秋

新しいインテリアをどう生かそうかと
頭を悩ませている私のそばで
昼寝をしていた夫が起き上がり
あれは確かにお経だよという

隣の家へ行き 当方にも来て
お経をあげて下さいと
頼んできて欲しいという
お寺さんに引き受けて頂き
仏壇の先祖にお経をあげてもらう
僧侶は毎年お盆に来て下さる

五年位経ってから隣家と我が家の宗派が違う事に気付いた
和尚さんにそのわけを言って断ったが
宗派は違っても元祖は一つだからかまわないと
二十年程続いていた
和尚さんが亡くなられ
来られなくなった
間もなく夫も他界した

お盆が来るたびに
背すじを伸ばして耳を傾ける
夏の澄んだ青空から
二人の読経が聞こえてくる

 なんとものんびりしたと言うか、東京という大都市ならありうることなのか、ほほえましい気さえしました。「当方にも来て/お経をあげて下さい」と頼むこと、「五年位経ってから隣家と我が家の宗派が違う事に気付いた」こと、「宗派は違っても元祖は一つだからかまわないと/二十年程続いていた」ことなど、田舎暮しの私には信じられないことですが、事実はそうなんでしょうね。
 私の実家の寺は、たまたま住職が高校の同級生だったこともあって、気楽なつき合いをしています。墓地も叩きに叩いて、市価の半値以下で強引に買った記憶があります。私が特殊なのかもしれませんが、寺とのつき合いはそんなものだとばかり思っていました。隣の家にいた坊さんをつかまえて来てもらうという事実に、失礼ながら思わず笑ってしまいました。
 しかし、それで良かったのかもしれませんね。最終連には、思わず胸を熱くさせられました。どんなきっかけであろうと、「元祖」を思い、亡くなったお二人を偲ぶ姿に、宗教とは違う次元での信仰を感じます。都市に住む作者と、田舎住いの私との共通点を知らされた思いです。



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