きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科




2001.11.2(
)

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詩誌『ハガキ詩集』214号
post poems 214
2001.10.28 埼玉県所沢市
ポスト・ポエムの会 伊藤雄一郎氏発行 非売品

 E−MAILのこない部屋/安倍慶悦

朝の光に押し出されるようにして目覚める
ガラスが雲母に輝いて
窓辺の雨蛙が眩暈を起こしている
陽気な春が憂いを含んで咲いている

誰もいない部屋は
聞香を楽しむ影法師ひとりの賑わい
なつかしい匂いを喚ぎとって
煙とともにキントン雲に乗って
あなたへと飛翔する

疲れた部屋の空気は
爆発寸前まで密閉され
古い畳の隙間から苦しい呼吸をして
部屋の主の帰りを待っている

部屋の中は空間と時間に満たされ
空気は鏡のように澄んでいる
微かな吐息が襖を開けると
部屋の中は一面沈黙の雪が降っている

E−MAIL特集」号となっていますが、「E−MAILのこない部屋」という逆の立場を書いた作品で、その発想がおもしろいと思いました。E-MAILは使えるけどあえて使わない、ともとれますけど、ここは素直に受け取ってよさそうです。
 「
聞香」という知らない言葉が出てきましたので調べてみました。「ぶんこう」「もんこう」または「ききこう」と読み、香道で、香の匂いをかいで、その種類をあてること。また、香をかぐこと(Microsoft/Shogakukan Bookshlf Basic)とありました。香道については全く門外漢ですが、うちでもたまに香を焚いているようです。何の匂いか?との問に「香」という返事が返ってきました。お線香とはちょっと違った匂いですね。確かにその匂いを嗅いでいるときはパソコンに向う気はしませんでしたね。
 この作品の特色は、非常に孤独な雰囲気があるということでしょう。世の、だインターネットだと浮かれた様子を斜に見て、ジッと部屋を見、「
あなたへと飛翔する」夢を見ている、そんなひとりの人間の存在を感じました。E-MAILもパソコンもただの道具ですから、この作品の視線は正当なものだと思います。



平野秀哉氏詩集『天山逍遥』
tenzan shouyou
2001.11.6 大阪府豊能郡能勢町
詩画工房刊 2100円

 わがアンティーク

鉱石が電波を検出する
バリアブルコンデンサーを静かに回す
蜘蛛の巣
(スパイダー)コイルの向きを変える
とレシーバーにかすかな応答
少年は天空からの声を聴く

赫いフィラメントが怪しく灯る
真空管の錬金術
プレートに電子が飛び交い
カソードが巧みに操る
少年は確かに視たのだ

ペーストをちょっと塗って
半田鏝を当てるんだ
ジュッという音とろける匂い
抵抗器とか蓄電器
少年は魔法の回路を器用に繋ぐ

なんたって五球スーパーへテロダイン
並四ラジオなんてもんじゃない
重いトランス頑丈なシャーシー
ダイナミックスピーカーのハイファイ音
少年は夢の世界の牛耳を執る

 この詩集の中では異色の作品ですが、おそらくあまり書く人がいないと思いますので、あえて紹介します。いわゆる鉱石ラジオから始まって真空管ラジオの世界を描いています。ラジオを手作りしたことのある詩人としいうのは、意外と少ないんではないでしょうか。楽しい作業なんですよ。今でも小・中学生用にキットで売っていると思います。
 「五球スーパーへテロダイン」というのは、昔の人は知っていると思いますが真空管5本の、当時の高級ラジオです。正式には五球スーパーへテロダイン検波受信機≠ニいうもので、私もそんな詩を書いたことがあります。各連の最後に「少年」が出てきて、「天空からの声を聴く」「確かに視たのだ」「魔法の回路を器用に繋ぐ」「夢の世界の牛耳を執る」と続きますが、この喜びはよく理解できますね。
 著者は僧侶ですが、略歴によりますと電通大にも在籍していたようですから、理系の頭脳もお持ちなんですね。「バリアブルコンデンサー」通称バリコン・可変コンデンサーが出てきて、「プレートに電子が飛び交い/カソードが巧みに操る」真空管の世界が描かれて、懐かしさでいっぱいです。こんな分野も詩になるんだという証明です。この1作しか載せられていないのが残念なほどです。



正岡洋夫氏詩集『海辺の私を呼び』
umibe no watashi wo yobi
2001.11.1 大阪市北区 編集工房ノア刊 2100円

 キャピトル・ヒルで

男はふらふらとして
発車間際のバスに飛び乗ってきた
「すまんね」と言いながら
通路に転がって起きあがれない
みんなで抱えてシートに座らせ
ようやくバスは発車した
男はひとりで笑いながら乗客を見回した
乗客は酒と服の臭いを気にした
運転手は前を向いたままだ

やがて男はポケットから写真を取り出した
いつもの家族の写真
ひとりで話し続けて
キャピトル・ヒルで男は降りた
それからバスは海の方に向かった
後ろを振り返ると
男はバス停で
いつまでもじっとしていた
ぼくは落書きのある壁を目で追った
夢という言葉が浮かんだ
夢をなくすという言葉も

彼は兵役から帰ってドラッグ漬けになった
彼の妻と娘は一緒に
カリフォルニアへ去った
このあたりなら誰でも知っている
いつになったら
彼の傷は癒されるのだろう
シアトル
ぼくは冷たい石を滑るように
この町の名前を呟いた

 米国には行ったこともなく、まして「シアトル」なんて全く知りませんが、なぜか懐かしい感じがしました。初出一覧を見て、この作品が今は廃刊になっている『月刊近文』の1988年10月号に載せたものであることが判りました。今頃になって、私にもやっと80年代の米国の雰囲気が理解できるようになったのかと思いましたね。
 「男」がよく描かれていると思います。「彼は兵役から帰ってドラッグ漬けになった」というフレーズは想像か、当時の米国の一般的な風景なのか判りませんが、作品の中では違和感なく存在しています。それを見ている「ぼく」の描き方も「落書きのある壁を目で追った」「冷たい石を滑るように/この町の名前を呟いた」と象徴的で、作品によく合っていると思います。80年代の米国を描いた詩とは思えず、現在にも通用する作品と言えましょう。



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