きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科




2001.11.10(
)

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庄司進氏詩集『漁師』
ryoushi
2001.9.1 千葉市中央区
(株)こくぼ発行 1000円

 

浜風がクジラ山を吹き上げる
クジラ山は白く光る

鉄道線路の脇の物干し場
われた竹竿の先で
母の麦わら帽子がまわる
カサカサと音をたててまわる

母は働いた
箱打ちの仕事
クジラの解体
土俵の砂入れの仕事
飯炊きの仕事
一時間二十五円の残業を喜んでした

母が他界して半年たった
夏のことだ
段ボール箱いっぱいの軍手が出てきた
新しく支給された軍手を残し
使い古した軍手を使い続けた

つらかったか
悲しかったか
楽しかったか
貴方は何を求めて生きた

与謝野晶子の好きな貴方
チョコレートの好きな貴方
洗濯の好きな貴方
貴方は何を求めて生きた

浜風がクジラ山を吹き上げる
クジラ山は白く光る
われた竹竿の先で
母の麦わら帽子がまわる
カサカサと音をたててまわる

私は貴方より長く生きた。

 私より2歳ほど先輩の方ですが、第一詩集のようです。全編に優しさが感じられる詩集です。肉親、同級生、地域の海に生きる人々と、一貫して優しい眼差しを向けています。それがこの詩人の良い面で特徴でもあると思うのですが、詩はもう少し深く突っ込んだ方が作者の持ち味を出せるでしょうね。
 紹介した作品の「一時間二十五円の残業を喜んでした」「段ボール箱いっぱいの軍手が出てきた」などのフレーズは具体的で、母上のお人柄が良く出ていると思います。しかし「与謝野晶子の好きな貴方」というようなフレーズはどうでしょうか。通り一遍の印象しか与えず、ちょっと損をしているように思います。具体的に晶子の詩の一遍を口ずさんでいる母上の姿などが表現されていれば、読者はそこから、なぜ母上はその詩好きなのか、その詩を選ぶ背景や母上の感性を想像して、母上のお人柄を考えることができます。詩が立体的になってくると言っていいでしょう。
 詩集全体を通じて、同じ思いをしました。ここをもっと書いてくれ、この背景を見せてくれ、と何度も思いましたね。ひとつの壁だろうと思います。その壁を別の方法で破るキーワードが、実はこの詩にあります。最終連です。「私は貴方より長く生きた。」とたった1行置かれた連のインパクトは強烈です。この1行に作者の母上への思いがいかに深いか、読者は読み取ることができます。これは手法の問題ではなく、作者の心からの叫びだと受け止めました。
 拙HPには珍しく
(でもないか?)、生意気な批評めいたことを書いてしまいましたが、詩集を通じての作者の優しい人柄には惹かれるものがあります。精進を願って止みません。



原圭治氏詩集『海へ 抒情』
umi e jyojyou
2001.11.6 大阪府豊能郡能勢町
詩画工房刊 1260円

 旅立ち 球形の海を超え

  7

こんどこそ ほんとうの旅立ちで
旅立ち、出発とつぶやき
忘れていた幾つもの可能性を
少年のような手つきで
鞄につめる
冒険や勇気、憤りや哀しみも 愛も
やさしさと 人間性も
交響曲も スケッチブックも
一枚の地図と旅を 追いつづける夢も
残っているものすべてをつめて
遠くへ出発! と号令をかけてみると
いままでの日常でなくなって

ありふれた人間として旅立つことに

 「旅立ち 球形の海を超え」という総タイトルのもとに1〜7の詩が収められています。紹介した作品はその最後のもので、詩集の最終を飾る作品でもあります。1〜6までは精神的な旅も含めて様々な旅が出てきますが、その締めくくりにふさわしい作品だと思います。
 最終連の「ありふれた人間として旅立つ」という言葉に惹かれましたね。結局、人間はそこに戻るのかと思うと、安心感さえ覚えます。特別な人間や特権を持つ人間など、本来はいるはずもなく、人間社会が作り出した錯覚なのかもしれません。詩人の面目躍如と感じました。



倉田茂氏詩集
平野と言ってごらんなさい
heiya to itte gorannasai
2001.10.25 宮崎県東諸県郡高岡町
本多企画刊 2000円+税

 平野と言ってごらんなさい

利根川下流沿いの平野にある自分の町を
案内することがある 江戸時代は河岸(かし)で栄えた町
みなさんには まず
ブローデルの喩(たと)えを聞いてもらう慣わしだ

「山と言ってごらんなさい。するとこだまは、
峻厳(しゅんげん)さ、厳しさ、後れた生活、まばらな人口と答える」
「平野と言ってごらんなさい。するとこだまは、
豊饒(ほうじょう)、容易、豊かさ、甘美な暮らしと答える」

こだまが返すのは 事実と逆の中身
おだやかにみえても水害に襲われることの多い湿地が平野で
昔から人が住み始めるのは小さな丘や高地や山の周辺であった
誤った思い込みがいかに堅いか----こだまは欺(あざむ)く、のだ

房総半島の北部一帯に広がる下総(しもうさ)台地
私の町は 川に向かって台地がとぎれ
一挙に低地となったところ 平野と川だ
発掘される奈良時代の役所や倉庫跡はみんな台地の上

大昔には 魚を捕り水を汲むときだけ
人々はこの低地に降りてきた
そういうところでしたと言うと 集まった人は
世界の地勢まで頭に入ったという顔をする

地理的な条件を正しく記憶すると歴史が見えてきて
史跡の説明もうまく受け取ってもらえる
『地中海』を心ゆくまで見せてくれた
ブローデルの方法である

ところで二十世紀末から二十一世紀初頭のこの国の
指導者たちが示す地理をしっかりと記憶しておこう
「日本と言ってごらんなさい。するとこだまは、
美しい山河、清貧、安心できる暮らし、公平、思いやりと答える」

----こだまは欺(あざむ)
私たちは悲しみを記憶するのである
夢中で支えた時代、あれは何だったのだろう

 *Fernand Braudel(仏 1902-85)ロレーヌ生まれの歴史家。
  第二連は著書『地中海』(浜名優美氏訳)から。

 どれを紹介しようかと迷うほどの名作揃いです。T〜Wの4部構成になっていますが、なかでもUは愛犬に関する詩がまとめられていて、犬好きにはたまらないですね。特に「犬は口を利けない」「動物のあきらめのよさが」などは心に残ります。
 紹介した作品はWの最後で、詩集最終を飾る作品でもあります。唯一「日本」が出てくる作品です。「夢中で支えた時代、あれは何だったのだろう」というフレーズに忸怩たるものを感じます。著者は私より一回りも上の方ですが、同じような思いがこの10年ほど、私の胸にもわだかまっています。高度成長期を支えた一人と自負して、化学工場の合理化・オートメーション化を仕事としてきましたが、自分の子供さえ就職できないような状況を作り出してしまったと思っています。
 「私たちは悲しみを記憶する」しかないのかもしれません。そう思いながらもUの愛犬シリーズには甘えてしまいます。双方のバランスがうまくとれた詩集で、今年の日本詩壇と収穫と言えるでしょう。



投稿文芸誌『星窓』12号
hoshi mado 12
2001.10.31 大阪市中央区
星湖舎刊 1000円+税

 前号に引き続いて現代書籍事情という特集があり、ある個人書店の方がお書きになった「書店より・・・」という文章がありました。再版制度を守るという立場からの発言です。角川書店と紀伊国屋書店が共催で「お客様感謝市」(10〜50%割引セール)への抗議です。8月頃、新宿の紀伊国屋本店でやったようですが、新刊本の割引というのですから驚きです。
 私は個人的には日本文藝家協会や日本ペンクラブの会員ですから、再版制度を守る側の立場なんだろうと思います。しかし、それほど多くの原稿料を受け取るわけでもなく、月々の本代の方が圧倒的に高い人種です。作家の側より読者の側に比重が傾いているでしょうね。首都圏に近い読者という立場からは、再版制度なんて無い方が個人的には有利です。しかし、次の文章で目が醒めました。

<出版社側が、新刊本を割引で販売するということが私などには理解できない。その本の定価設定は何であったのだろうか。それならば出版社の方でもっと安く印刷・編集できる努力をして、定価を低く設定するべきだろうと思う。>

 その通りです。定価の設定がおかしいと言われても仕方ないでしょうね。客寄せに赤字覚悟で「お客様感謝市」をやるんだったら、それは本好きをバカにすることにもなりはしないか、とまで考え至りました。私は作家(ではないけど)、読者という2面でしかモノを見ていないので、書店側の言い分も聞く必要がありますけど、小売書店のこの方の意見は重要だと思います。



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