きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2001.12.2(日)
その1 その2へ
12月1日〜2日、恒例の『山脈』冬の合宿で伊豆高原に行ってきました。今回は合評もなく、ひたすら呑むだけでしたから、いい会でした^_^; やはり全部で5升くらいは呑んじゃいましたかね、私は少々(升々ではない!)の、たしなむ程度でしたね。皆さんが呑んでいる間に不覚にもうたた寝をしてしまい、醒めたらまた呑めてしまいました。結局、最後まで居汚く残って、皆さんがお休みになるまで呑んでいました。
おもしろい体験をしました。手相を生れて初めて見てもらったんです。同人の女性で見ることができる人がいて、戯れ半分で見てもらいました。昔、病気したことなどもちゃんと当てて(同人だから知っていると言えばそれまでですが)、生命線が長いこと、芸術分野も良いことなど、かなり褒めてもらいました。はっきり言えば良いことだけです。で、ふと不安になったんです。
「悪いところは何?」
じっと手を見て、
「女に甘い」
この人の手相見は信用できると思います^_^;;;
次の日は久しぶりに伊東の「池田20世紀美術館」に行きました。特別展をやっている作家に筧槇二代表が招待されていたもので、我々もお供することにしました。ちょうど作家がいて、自作を説明してくれました。観る方は深刻に見ているのですが、説明によると結構気楽に描いているようで、何やらホッとしたものを覚えましたね。
ちょっと画像が46KBと大きくてごめんなさい。タクシーの運転手さんに池田20世紀の玄関で撮ってもらいました。今回、初めて3台のタクシーを連ねて、2時間半のコースで回ってもらいましたけど、意外に安いので驚きました。一人あたり3000円ほどです。バスを待ったりタクシーを何度も乗りかえることを考えると、高くない値段だと思います。運転手さんに紹介してもらった伊東の蕎麦屋さんも皆さんに好評で、そんな余禄付きですからね。
○筧槇二氏詩集『同志シンディーの帰還』 |
2001 神奈川県横須賀市 私家版・筧槇二氏発行 非売品 |
1977年にVAN書房より発行された、同名の詩集のコピーです。私も持っていない幻の詩集です。その中の9編の作品が「書燈」という書の雑誌に、2001年2月号から11月号まで掲載されました。いずも原稿用紙に手書きされたものを版に起こして、という味のあるものです。
帰還
あいつが還つてくるといふのだ
こともあらうに アメリカの船に乗つて
チチカカ湖の酸欠臭い風を背中いつぱいにし
よつて
乳房切り落したアマゾネスの写真などをちら
ちらさせながら
還つてくるといふのだ あいつが----
ラパスにゐられなくなつてから いつたいど
こに雲隠れしてゐたのか いはく トクニダ
ッドの女のところにシケこんだといふ説 い
はく グアキからプーノへ脱けて姿を消した
といふ説 好きもののあいつのことだから
旧式なライカで ぱちぱち女ばかり撮りまく
つて時間を潰したにちがひないのだが……
とにかく 春だ
あいつが還つてくるといふのだ 日本へ
こともあらうに アメリカの船に乗つてだ
同志
シンディーよ
私の師匠にあたりますので、感想めいたものは控えます。作者自身が「チェ・ゲバラと共に、ボリヴィアで革命戦を闘つたコードネーム<同志シンディー>が、どういふわけか一時的に日本へ帰国したときに語つた内容が骨子になつてゐる物語です」と解説しています。鑑賞の一助としてください。
○桜井さざえ氏詩集『擬宝珠の咲く家』 |
2001.11.30 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2500円+税 |
桔梗
「患者との関係は?」 若い医師に聞かれ
一瞬ことばにつまり
あのーもと妻ーの 口ごもりながら
眼は真っ直ぐ 医師を視つめる
視線をそらしたのは 若い医師だった
鼻ばかりつんと尖り
病人は 赤ん坊のような瞳で
じーっと宙をみつめ 手を泳がす
看護婦は借り物の浴衣を剥がした
風呂敷包みから 浴衣を取り出すと
胸に羽織らせ手荒く袖に病人の手を突っ込む
「突然だったので とりあえず わたしの」
「女物だってわかりゃしないわ」言い捨て
看護婦は出ていった
お茶箱の底からひっぱり出し筒袖に直した
藍色の浴衣の桔梗の模様が
あの人の呼吸のたびにかすかに揺れる
嫁いではじめての里帰り
わたしたちは 母が用意していた白絣の浴衣と
藍色の桔梗の花柄の浴衣を着て
盆踊りの輪をくぐり 月明かりの浜辺に出た
沖に小石を放り投げながら
「僕のお嫁さん船主の娘だ」大声で叫んだ
飛び散る夜光虫の光を両手で掬い
沖に漂う進栄丸を「本当に君の家の船」
「波止場に繋いどる釣り船も 伝馬船もそうよ」
都会育ちのあの人は本でしか分からない世界
海好き 釣り好きなあの人の島の娘は
物語の中の島の乙女 愛したのは
海だったのでしょうか 船だったのでしょうか
帰るからと 差し出したわたしの手を握りしめた
痛いほどの力強さに 大丈夫これなら良くなる
時がたてば言葉もかえってくるだろう
振り向き おもわず可笑しさがこみあげた
わたしの浴衣と気付いたら情けないでしょう
別れた女房の浴衣など剥ぎとりたいでしょうが
それにしても なんて馬鹿力なんだろう----
あの人の あれが最後にふりしぼった力だった
あとがきに「今までの間に、落ちこぼれた花の詩を、まとめようと思いました」とあります。しかし花の詩と言っても、紹介した作品のように、女子学生が思い描くようなヤワな詩ではありません。あとがきはさらに続きます。「花の詩集といえば、甘く華やいだものを連想しますが、わたしの花たちは、哀しく、辛い記憶につらなるものばかり、故に、愛しくもあり手放すことができず、埋もれた花たちを呼び戻すことにしました」
紹介した作品に立ち戻ってみれば、その作者の思いはすぐに理解できようというものです。「もと妻」の行動、言葉の端々から、なぜこの夫婦が別れなければならなかったかという疑問が出てきますが、それは他の作品をご覧いただくしかありません。そこには、今の若い人たちが簡単に離婚に至る甘さ(私も含めて)はありません。それだからこそ、もと夫に対する純心な行動がとれるのだと思います。なお、この後、「あの人」は亡くなっています。
故郷・倉橋島を描いた詩集で骨太な印象を与えた著者の花の詩集≠ネぞ、平穏な生活を描くだけのことだろうと予想していましたが、見事に裏切られました。人間が生きるということとはどういうことなのか、改めて考えさせられています。一読をお奨めします。
○山岡遊氏詩集『覆面力士伝』 |
2001.10.20 東京都新宿区 思潮社刊 2000円+税 |
覆面力士伝
夜の闇にピザ配達のスクーターが急ブレーキのあと
乾いたアスファルトとねんごろになるその横を
振り向きもせず 天に向かって手刀(てがたな)を切り 摺り足で歩いて行く首の見えない青白い
炎
よもやあれは
センセーショナルなデビューだった おおいちょう
両国国技館の花道から疾風の如く現れた金色の大銀杏 バッファローの覆面
不意を突かれた大観衆は 土俵上に釘打たれ 水を打ったかのように静まりかえる
幽雅なる天覧相撲日の怪
時間前の奇襲 猫だましから河津掛け!トルネード
升席椅子席に巻き起こる不可解と驚愕の竜巻
右肩から巨象の如く落ちる横綱アケボノはその瞬間 喉の奥でちちろむしのように鳴
いた
「フッ、ファック!」。
謎は謎を呼び マスコミはいくつもの祭壇にきみの正体を供えたものだ
「私が真実です」の八百長告発者の板井 親方夫人を殴り倒して迷走した北尾
借金王輪島 引退したはずの技のデパート舞の海
はたまたその昔 国技館工場で作られた風船爆弾の生き残りか
だれも知らない だれも知らない
知っているのは砂に書かれた三秒間 一五○キロの詩
すぐさま天に向かって手刀を切り 遁走した宇宙で一番遅い流れ星よ
あれからきみ いったいどんた目にあったのか
今きみは 闇の中で青白く光っている
だが 自ら光を放射することはできない
他者とぶつかることで丸い光を得るプエルトリコ・モスキート湾からきた○・五ミリ
の
プランクトン
巨大化したピロディニュームかもしれない
すベてはぶつかることから始まる
人と人の 人と物質の 人と世界の 物質と物質の 人と言語の、言語と言語の…
その時生まれる呼び出しなき地上の閃光たち
とまれ 詩とはぶちかまし 知覚の格闘技である!
突き倒したピザ配達のスクーターに追い越されて行く
身長一七三〜一八○センチの帰らざる山
私と同じ一生一人相撲の勇み足によろめく追放者東西南北山よ
きみの思いの丈(たけ)は何センチだ
迫り来る四トントラック し こ
眩惑と死をよぶヘッドライトに向かって 四股を踏む路上のバッファロー
きみにはこの国道十七号線が電車道に見えるというのか
襲いかかるエンジン音 不敵な微笑(えみ) 塵を切る両腕 呪いの仕切り線を拳で叩きつけ
覆面力士東西南北山が いざっ 参る!。
本には詩集≠ニは銘打たれていません。中身は立派な詩の集りですので、便宜上詩集≠ニ付けさせていただきました。
紹介したのは詩集のタイトポエムです。相撲を題材としていますけど、相撲に限らないことはご覧いただいた通りです。「すベてはぶつかることから始まる」というフレーズは物理学や化学の真理を言い当てているようで、そこにまず惹かれました。そこから「詩とはぶちかまし 知覚の格闘技である!」という表現もよく理解できますね。おもしろい見方で、納得できます。
いわば狂言回しの「覆面力士東西南北山」ですが、それはとりもなおさず私たち一人一人のことなのかもしれません。偽善者たる私たちへの痛烈な批判とも受取れます。詩集全体にその傾向が強く、一作一作に冷や汗を感じながら拝読しました。妙にやさしく物分りのよくなった詩集が多いなかで稀有な存在、衝撃を与える詩集と言えましょう。
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