きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2001.12.4(火)
その2 その1へ
○個人誌『パープル』19号 |
2002.1.16 川崎市宮前区 パープルの会・高村昌憲氏発行 500円 |
詩/いしい
さちこ
詩を書くということは
おのれを言葉でかたちにすること
心にたまった思いの切れ切れを
つなぎ合せてそっと葉っぱにのせること
凡人に詩は書けないと人はいう
人それぞれに生があり
それを轆轤(ろくろ)でまわしつづけたら
ときには驚くような器が立ち現れる
高村さんが年に一度、個人で提供している「パープル賞」の入選作です。詩の根源を見事に表現していると思います。詩は「おのれを言葉でかたちにすること」であり、「人それぞれ」の生を「轆轤でまわしつづけたら/ときには驚くような器が立ち現れる」ものだと、確かに思います。第2連は凡人であっても詩が表出する、と受取ってよいでしょう。
4行2連という制約で書くことになっていますが、それはそれでおもしろい志向だと思います。何でもありの自由は、かえって不自由なのかもしれません。制約の中での創作というのは、やってみると意外に出来やすいのかもしれませんね。
○詩誌『叢生』117号 |
2001.12.1 大阪府豊中市 島田陽子氏発行 400円 |
ならずもの国家/佐山 啓
どろぼう言うもんがどろぼうや
そんなことは子供の頃から
みんな知っていて
向う三軒両隣
こちとらが機嫌よく
ハート・ブレイク・ホテルを歌っていると
年下の中学生が向いの窓から
じゃがいも と
ぬかしおった
じゃがいも だって?
言われてみれば
言い得て妙だが
ちょっと待ってくれ
それはこっちの言いたかったこと
じゃがいも と
思っていた相手に
じゃがいも と
言われては声も出ない
じゃがいも と
思われていたのを
感づいていたのに違いない
じゃがいも と
言われる前に
じゃがいも と
先制攻撃してきたのに違いない
人を捉まえて
じゃがいも だなんて
言ってはいけない
じゃがいも と
決め付けてはいけない
じゃがいも と
思ってもいけない
人が
じゃがいも
であるはずがない
ふたりは
そのひとことで
終わった
もちろん「じゃがいも」は「ならずもの国家」と読み替える作品です。最終連がよく効いていて印象深い作品ですが、現実に立ち返ると怖い詩と言えますね。「そのひとことで/終わっ」てしまったあと、世界はどうなっていくんでしょうか。人類はやはり救い難い存在なのかもしれません。
最近の世界情勢について、作品には「ならずもの国家」と「先制攻撃」のふたつの言葉しか出てきませんが、充分ですね。うまい作り方だと思います。声高に叫ばない、変に萎縮しない、そのバランスがこの種の作品を書くポイントだと思っていますけど、その点でもお手本になるでしょう。
○個人誌『むくげ通信』6号 |
2001.12.1 千葉県香取郡大栄町 飯嶋武太郎氏発行 非売品 |
病んだ時代/オ・セヨン
二十一世紀は空虚の時代
機械化の終末の時代
あほうを量産する時代
固い料理の食えない時代
「手」だけ忙しく先の見えない時代
冷血動物が乱れ舞う時代
言葉の機先を制する時代
弱者にたかる詐欺の時代
友情に背信する時代
長幼有序の無い時代
朱子の儒学の無知の時代
恐喝・奇計の蔓延る時代
無知の漢字が勇猛する時代
破廉恥なうぬぼれの時代
国家の金を横領する時代
主人の意識は無い時代
判りすぎるほど判る作品ですが、それだけに考えさせられる作品だと思います。私は特に「あほうを量産する時代」「言葉の機先を制する時代」「弱者にたかる詐欺の時代」「国家の金を横領する時代」「主人の意識は無い時代」などに共感します。作者は韓国の方ですが、韓国の現状を憂いている作品だとしたら、日本はその数倍のレベルになるのではないでしょうか。
「主人の意識」という定義は難しいのですが、私は国家の指導者、会社の管理者、家庭の戸主などを念頭に置いています。「主人」と言うと語弊がありますけど、いろいろな場面でのリーダーととらえると判り易いかもしれません。率先すべき人にはそれなりの「意識」が必要ということです。その意識の最たるものは自己犠牲≠ニ言ってしまうと偽善と思われるでしょうか。自己利益誘導に対抗するには、偽善と言われようが自己犠牲≠オかないと思うのですが…。そんなことを考えさせられました。
その2 その1へ
(12月の部屋へ戻る)