きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2001.12.7(
)

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 日本詩人クラブの理事会が神楽坂エミールで開催されました。通常は2時間かかりますが、今回は1時間で済ませました。理事会後、専門委員を招待しての忘年会があったからです。専門委員とは、各理事が担当している業務を手助けしてくれる会員のことです。日頃の貢献に報いるべく、理事と専門委員の忘年会を開くことが慣例になっています。
 私の担当する広報には、島崎豊さんと三上透さんが専門委員として協力してくれています。お二人には、なかば強制的に来てもらいました。私も以前は専門委員として招待されたことがあり、それを機に当時の理事の皆さんと親しくさせてもらった思いがあるからです。理事と親しくなったからといって、どうということはないんですけど、いい呑み仲間が増えたという面がありました^_^; 島崎さんはあまりお酒が好きではないのですが、三上さんは酒豪ですから、呑み仲間が増えることは絶対歓迎するはずだというヨミがありました。うまく当ってくれるといいのですが…。
 理事会での話題をひとつ披露します。私の範疇で述べることにします。担当しているホームページのアクセス数を毎回報告しています。先々月は200件を越えるアクセスがひと月にありました。先月はそれが330件余りに増えていました。毎日10件のアクセスは、多いか少ないかはともかくとして、毎月増えていくことは担当者としてうれしいですね。この手の、いわばマイナーなHPとしては異例かもしれません。拙HPにもリンクしてありますので、ぜひ一度ご訪問ください。



狩野敏也氏詩集『四百年の鍋』
400nen no nabe.jpg
1999.9.30 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊 2000円+税

 一通の添文とともに送られてきました。インターネットでご自分のお名前を検索したら、私のHPに辿り着いて、驚き感動した、というものです。調べてみたら10月2日の日記の中で書かせてもらった『花』という詩誌の「人も机も飛行機も」という作品だったことが判りました。こんな出会いがありますから、この稼業≠ヘやめられません^_^;
 実は狩野敏也さんという詩人はとっくに存じ上げていました。昨年5月に埼玉詩人会に招待されて、埼玉詩祭という催しに行っています。その中で2000年度の埼玉詩人賞贈呈式があって、この詩集が受賞されていたのです。タイトルの妙と狩野さんの受賞の言葉が印象的でしたので覚えていました。その詩集をいただいたのですから、うれしかったですね。

 間もなく満員

この国が戦さに敗れたあと
なぜ、戦争を放棄することにしたのか?
いろいろな事情があったのは事実だが
われわれ犬族の間で密かに囁かれていることにも
しばし耳を傾けてほしい
この国が戦争を放棄した本当の訳は
さる筋からの要請によるもので
実は、神様が増えすぎたために他ならない

八百万神とかいって昔からこの国の     
やおよろずのかみ
神様の定員は八百万と決まっているが
それが、戦没者を祭るY神杜の
祭神だけでもすでに二百四十六万柱
神様は木製ではないはずなのに
なぜ、なん「柱」と勘定するのか
とんと見当が付かないが
ここだけで神様定員の三分の一を超えてしまうのだ。

そのうえこの国には、お稲荷さんだけでも
三万とんで七百五十社あまり
全国で八万以上の神社が、欲ばって
たいてい複数の祭神をもっているから
このうえ、大戦争が起こって
神様にゴマンとではない
数百万も増えられては
たまったものではない
たった一人、現つ神として生きながら祭られた   
あきつかみ
さるお方も敗戦後さっさと人間宣言をしたので
神様の枠は一柱分増えたが焼け石に水だ
間引かなければ、神の座から
こぼれ落ちる弱小の神様も出よう

一体にこの国では、なんでも神様になる
なんでもと言っては失礼だが
歴代の天皇や歴史上の人物や
百済の王や高麗人などの帰化人ならまだしも
N将軍のような自殺者や、救国の雄とはいえ
T提督のような軍人を神様に祭り上げるのは
どういうものかな
われらのような犬を祭った神社はまだないが
東北には、河童を祭神とする神杜まである

多神教の神様たちにも人ベらしならぬ神ベらしが必要だと……
昨今はあの世もなかなかに厳しいご時世であるそうな

 本論に入る前に、ルビについて一言。現在のホームページを作成するhtml方式にはルビ機能がサポートされていません。英文主体で考案されたhtmlですから当然と言えば当然なんですが…。苦肉の策で本文を一行空きにして、そこにルビを入れる手もありますけど冗漫になります。新聞方式で、例えば「八百万神(やおろずのかみ)」というのも美観を損ねます。そこで今回は、以前パソコン通信で常用していた方式を採用してみました。これでも不満ですがご容赦ください。世界標準になってしまった一私企業・マイクロソフト社に対抗できる国産OSの出現を待つ(実は存在している)次第です。

 さて本論に入りますが、紹介した作品はこの詩集の主流ではありません。主流は前出の「人も机も飛行機も」という作品の感想にも書いたんですが、食≠ニいうひとつのジャンルを開拓した方にあります。特に中国を題材として、人間はいかに何でも食うかの検証、その裏の文化を詩という視点で見つめることにあります。詩誌『花』やこの詩集ではそちらの方が圧倒的に多く発表されています。しかし、私には紹介した「間もなく満員」の方が重要な意味を持っているように思えてなりません。
 憲法の戦争放棄については様々に論議されてきました。自衛隊の海外戦場派遣が現実となった今、この作品の持つ意味はさらに重要になったと思います。いったい、こういう視点で書かれた作品はあったでしょうか。浅学ですので軽々しくは言えませんが、少なくとも私が眼にする年間1〜2万点の作品の中ではありませんでした。 
*年間800冊ほどの詩誌・詩集をいただいていますので、1冊の本に20編の詩があったとして16000点という計算。
 定員800万というのが実にリアルでいいですね。神様の定員の根拠を八百万神に見出した着眼点にまず敬服します。それから靖国神社の戦没者数を引くという発想。さらに「欲ばって/たいてい複数の祭神をもっている」という批判。その上、数百万の戦没者は加えられないという論理性。どれをとっても納得できることばかりです。もちろん論理の裏には二度と戦争は起してならないという感情が見えます。その感情を表に出すことなく、表の論理だけで言いきる見事さに脱帽しています。
 「われわれ犬族」という視点も奏効していると思います。人間という視点で人間社会を見ると、こうは書けないかもしれません。半歩外した視点が重要だなと思いました。ご一読を薦めたい詩集です。



関和代氏詩集『石仏』
sekibutsu
2001.11.30 東京都豊島区
国文社刊 2500円+税

 星型のマーク

 留守して悪かったね 今 御焼香から帰ったばっかり
 よ 仲良しの同級生が急に逝っちゃってさあ やっと
 このごろ携帯電話でチョイッと話せるようになったの
 に

喪服の裾をたくし上げ
曲った腰を伸ばしながら
一人暮らしのキヨさんが
すり足で玄関先に出て来た

その後 何度尋ねても
キヨさんの返事がない
家が 門が 庭の柿の木が 沈丁花が
何故か冷たく
石化したように見える

星が光る夜
私の携帯電話が鳴り出した

 ああ モシモシ関さんけ 私だよ 集金に来てくれる
 のに 留守ばかりで悪かったね 同級生がはやっこは
 やっこ と言うんで 喪服のままこっちに来ちゃって
 さ 私がいなくちゃ同級会がどうにもまとまんねんだ
 と こっちもみんな携帯電話持っててよ 流れ星がつ
 ないでくれるんだよ

翌朝 目覚めて
枕元の携帯電話をさぐってみると
着信履歴に
確かに
星型のマーク

 「同級生がはやっこは/やっこ と言うんで 喪服のまま」彼岸に逝ってしまった「キヨさん」。そのキヨさんからの「携帯電話」は「流れ星がつ/ないでくれる」という着想。現代と霊の世界をむすんでなかなかユニークな作品だと思います。証拠として「着信履歴に/確かに/星型のマーク」がある、なんてところもピシッと決っていて、うまい最終連だと言えましょう。
 第一詩集だそうです。高田敏子さんの『野火』に入会したのが1983年。それ以来の詩作ですから、そろそろ20年になろうという詩人です。うまいのは当り前と言ってしまえばそれまででしょうが、詩集に出版したことによって日本詩人クラブにも仲間入りしていただきました。新しい詩人の誕生です。ご出版をお祝いし、これからのお仕事にも注目していきたいと思っています。



渡辺めぐみ氏詩集『ベイ・アン』
bei an
2001.12.15 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊 1800円+税

 スピカ記

十九で人を殺した
情状酌量の要件を幾つも満たしていたけれど
黙秘した
刑事裁判を受けた
弁護士にも検事にも判事にも
渡したくない真実があった
だから公判中もそれを守った
二十七で出獄してから
事実上結婚した
女の子を産んだ
まりあと名付けた
なんとなくそうしたかった
まりあの将来を考えて
事実上離婚した
彼女が一つのとき
まりあを育ててくれる人が見付かったから
結婚していいから
とまりあの父親に言ってやった
親族はそれからも生きるわたしの生を余生と考えていた
けれど本当のわたしの生はきっとこれから始まる
そう思って三十二で国を捨てた
子供の頃はよく天体の本を見ていた
その中で一番好きな星の名がスピカだった
それもあって源氏名をスピカと名乗ってその手の店に出た
美人でもないけれど訳ありの女はけっこうもてた
福祉の仕事をしたいと思った
肺を病んだ
ベッドで独り死ぬ 枯れ果てたかすみ草のように
でも死ねない やり直さないと
毎日そんなことを考えた
医者はそこそこ優しかった
まだ死ねない 幸せにならないと
そう思ううち三十六でわたしは死んだ

神様、これがあなたに提出する履歴書です
いい子のふりはしません
いいたくないことも言いません
見抜いて下さい
それでもわたしを愛してくれますか

 乙女座の一等星「スピカ」を源氏名としたこともある「わたし」が、神に「提出する履歴書」の、何と悲惨な人生であることか、そこにまず惹かれてしまいました。そして何が「渡したくない真実」であり「いいたくないこと」だったのか、それにも思いを馳せました。もちろん作品の中に解答はありません。読者ひとりひとりの胸の内にあるものだと思います。
 第一詩集です。「詩と詩想」の会や日本詩人クラブの例会で何度もお会いしている渡辺さんが、ようやく出版なさったか、というのが正直な気持です。作品はそれほど多く拝見しているわけではありません。こうやってまとまって拝見すると、この詩人の持つ、何とも言えぬ哀しみや不安が伝わってくるように思いました。「提出する履歴書」に、今後何を書いてくれるのかが楽しみです。



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