きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2001.12.14(金)
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○詩の朗読・詩語り研究誌 『詩語り倶楽部通信』3号 |
2001.12.15 東京都足立区 漉林書房・田川紀久雄氏発行 会費年1000円 |
田川紀久雄さんが「語りの夢」というエッセイの冒頭で、次のように書いています。
「詩の語りは難しいものである。人に感動を与えたいと思って練習に励んでいても自分の思い通りにはいかない。すればするほど下手になって行くような気がする。といって手を抜けばもっと駄目になって行く。」
詩の朗読、語りというのはそれほど難しいものだろうと思います。納得できるまでにどれほどの時間が必要か、納得したと思っても観客にそれが伝わるか、実践者のみが言い得る言葉でしょう。自作詩朗読などと安易に考えている詩人も多いようですが、そういう方にはご一考願いたい言葉ですね。
○文芸誌『杭』37号 |
2001.12.1
埼玉県さいたま市 杭詩文会・廣瀧光氏発行 500円 |
比較/寺田 紋
背中から来る朝日が僕の姿を道路に映す
何十年もこんな姿で歩いていたのか
と思うと格好悪い自分に嫌気がさす
そんな道をもっと格好の悪い生物が横切って行く
これはまた黒くて大きい毛虫のお通り
彼にしたら走っているのかもしれない
背中を伸ばしたり縮めたりしての移動
何処の草むらに急ぐのか一生懸命もがくように這って行く
僕もこれからお前が向かっている
その辺の草むらに絵を描きに行くところ
もし帰りの農道で僕の姿を見かけたら
さっきのように僕の直前に現れないか
むさくるしいからといって決して
僕はお前を踏み付けたりはしない
やがてお前は
美しい蝶に大変身して僕らのモチーフにも
なるのだから……
こちらは一生かかっても大画家には
変身出来そうもないが
「毛虫」と「僕」の「変身」を「比較」した作品ですが、考えさせられますね。毛虫は必ず、生きてさえいれば大変身が約束されている。それに対して人間の絵描きは「大画家」に変身できるかどうかは保証の限りではない。「もっと格好の悪い生物」でさえ「美しい蝶に大変身」するというのに…。そこにこの作品のおもしろみがあると思います。
「さっきのように僕の直前に現れないか」というフレーズからは、作者の自然を見る目がやさしいことにも気付きます。詩を書いて絵を描いて、自然に対しては謙虚で、いい人生を送っている方と言えましょう。でも、ちょっとした「比較」をしてしまう。人間らしさを感じさせられた作品でした。
○詩の雑誌・季刊『鮫』88号 |
2001.12.10 東京都千代田区 <鮫の会>芳賀章内氏発行 500円 |
テロルの風景論/大河原巌
あらゆる生物が天敵をもっているというのに、人間だけは、この
自然の摂理の外に在ることができた。
そのかわりに人間は、心にある憎悪をもって、同種同類の人間を
無差別に殺すようになった。
その憎悪は、何によって生み出されるのか
いわれのない差別、いわれのない貧困、いわれのない恐怖に人々
の心が緊縛されるところからだ。
平穏な日常のなかで、何も見えてない目
聞こえていない耳
テロルの風景は、こうした同種同類の耳目を引き裂くことで、こ
の憎悪を見てくれと訴えているのだ。
わたしは自分の耳目を信用しない。九月十一日の夜、自宅のテレ
ビニュースを見ていたら、いきなり、アメリカでの「無差別同時多
発テロ」だという。ニューヨークは朝で、巨大な二棟の高層ビルが・
二機の旅客機によって切り裂かれて崩壊するのが見えた。もう一機
がワシントンのペンタゴンに。さらに一機が目標をはずれて。
アメリカ大統領は、この「無差別同時多発テロ」のニュースのな
かで、〈テロ撲滅という「正義」の報復戦争があるだけだ〉と憎悪を
口走っていた。私は自分の耳目を疑った。
あらゆる生物が天敵と共存しているというのに、天敵のいない人
間だけが、同種同類の人々を敵にまわしてしまった。
その人間の天敵は、人間との共存ができないのか。
憎悪に、憎悪をもってすれば、
人類は、テロルの風景の無間地獄に堕ちるだろう。恐怖が恐怖を
よんで、憎悪の核融合をまねくだろう。
自分の耳目だけを信用してはならない。
どんな風景を見るときにも
一度は、同種同類の他者の目で見なおすがいい。
ビンラディン氏よ、アメリカ大統領よ。テロルの風景そのものが
見せている人類絶滅のものがたりに耳をかせ。
重要な指摘が多い作品だと思います。人間には天敵がいないということ、その代わりに「同種同類の人々を敵にまわしてしまった」ということ、「自分の耳目だけを信用してはならない」ということ。事象を見る目、しいては詩を書く目を教えてくれているように思います。
当初のアメリカ一辺倒の報道から、ようやく日本のマスコミもテロの背景について報道するようになってきました。私はテロにも報復戦争にも、どちらにも組みするものではありませんが、普通に考えたら、あれだけのテロをやるにはそれ相当の理由があるはずだと思います。まがりなりにも平和憲法を有し、イスラム教でもキリスト教でもない日本が本来は調停に立つべきでしょう。その機をわが国の指導者が捨て去ったことが残念でなりません。「テロルの風景論」はそれを教えてくれているように思います。
○詩とエッセイ誌『山脈』110号 |
2001.12.10 神奈川県横須賀市 山脈会・筧槇二氏発行 500円 |
私が所属する同人誌の最新号です。通常は最初の方に同人会の写真を入れます。合宿などで呑んでいる様子を楽しく配置します。しかし今号はそれをやりませんでした。米国同時多発テロの特集を組んだからです。時期的なものもありますから、来年当初の発行を考えていましたけど、無理をして年内発行としました。おそらく同人誌というレベルを超えた特集になったものと思います。機会があったら読んでみてください。
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