きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2001.12.17(
)

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詩誌『石の森』106号
ishi no mori 106
2001.11.1 大阪府交野市
金掘則夫氏発行 非売品

 盾/奥野祐子

赤い矢がやってくる
彼方から ものすごい速さで
まっすぐに
少女の心臓めがけて飛んでくる
----死にたくない!----
その瞬聞
少女は硬い鋼鉄の盾になった
やわらかい女の体ではなく
何者をも決して通さない
銅鉄の盾になった
赤い矢はカチリと音をたてて盾に当たり
地面に深々とつき刺さった
だけど 少女はあの日から
もうもとに戻れない
ひらひらとあどけなく飛んでくる
モンシロ蝶のような見知らぬ人のやさしさや
しなやかにそして時に大胆に
まっすぐに彼女に触れてくる男の指先を
どう受けとめていいのか
わからない
銅鉄の盾は真昼の静けさの中
黙ってただ そそり立つ
こんなにやさしくされているのに
こんなに深く愛されているのに
にぶい光を放ちながら
少女はどうすることもできず
ただ 立っている

 女性の、ある時期の心境を描いた作品と思いますが、それだけではないようです。男女に関係なく、人間の持っている弱さを表現しているのではないでしょうか。自分ではどうすることもできず「ただ 立っている」だけの状態というものは、誰にでもあるもので、それをうたっているように思います。いつか「こんなにやさしくされているのに/こんなに深く愛されているのに」気付かないわけがないと信じながら作品を拝見しました。



詩誌『火皿』99号
hizara 99
2001.12.10 広島県安佐南区
火皿詩話会・福谷昭二氏発行 500円

 秋望/伊藤眞理子

電気もなければ 水にも遠い
山羊を追う草原すら見えぬ
メディアが伝えるアフガンは
うっそうとした原生林の山の概念を
さっぱりとぬぐいさった土と岩の高地だ
行けども 行けども裸の地球だ
間もなく雪に覆われるという秋の風景

貧しいといってはいけない
子どもたちがいて としよりがいて
幾千年続いてきたさまざまな民族の暮らし
そこへ
降ってきた鉄の塊
すさまじい熱波と衝撃波
空高く舞い上る煙の雲
メッカを目指すほか村から出たことのなかったひとたち
逃げ場のないロバの背中の家財道具一切
砂煙がそれらをおそう

報復の連鎖の
いわれなき道ずれ

唐の人が詠んだ
国敗れても山河があると
荒れたりといえど城街は新緑が深いと
戦争はまだ いくさ であり
兵器は弓と矢 楯と矛
ノーベル平和賞などなかった

アフガンの秋空の下
遠い国の者たちが 祖国に干渉しなかった時代
山脈には どんな樹木が繁っていたのだろう
レバノンの国旗に レバノン杉があるように
アフガンの国に アフガンの緑が育つとき
干渉されない祖国が立っているだろう
いつの日
キャタピラーに踏み荒らされない緑の国が
蘇るのだろう

ヒロシマは耐えた
挙をあげなかった
熱波を浴びた安楽寺の大イチョウ
もうすぐ 金色の蝶が舞いおちる

 テロとその報復戦争には私も考えるところがあって、それなりに書いてきましたが「ヒロシマは耐えた/挙をあげなかった」というフレーズには敬服しました。同じ日本人でありながら、その視点が抜けていたことを恥じています。世界貿易センターの比ではない無差別爆撃、原爆を受けながらも「ヒロシマは耐えた/挙をあげなかった」ことを、今は誇りとも感じています。その視点に立った発言が今後は必要なのでしょうね。考えさせられた作品です。



詩誌COAL SACK41号
coal sack 41
2001.12.20 千葉県柏市
コールサック社・鈴木比佐雄氏発行 500円

 長い秋の夜/李 美子

夜七時
いつもなら猫の手も借りたいほど
焼肉をほおばる客でいっぱいの
うちの店のホール
がらんとして
木枯らしが身にしみる
ついあんたに電話したくなった

たったその一言で
店を殺すにはじゅうぶん
改築したばかりの
どっしりした柱 赤いゼラニューム
閑古鳥を鳴かせておくためじゃない
「狂牛病」じょうだんじゃない
夢なら早くさめて

この在日の職業
母とわたしの半世紀
でも こどもには継がせない
これだけを念じた
丸太のような深い眠りにも
果てしなく長い夜にも
僧々しいこの生業
(なりわい)
いまはニューカマーの同胞が浸食する
国際化とはこういうことなのか
口惜しい
いまさらおかしいでしょう?
わたし?だいじょうぶ
うつは幸福な人の病気だって

 最終行の「うつは幸福な人の病気だって」というフレーズに、何とも痛ましさを感じます。牛に牛の肉を食わせるという信じられない行為の果てに、最大の被害を受けた焼肉屋さんには言葉もありません。経費を安くするためなら何でもやるという企業の犠牲者と言えます。しかし、それにしても恐ろしいことを考えるもんですね。人間の食事に人間の肉を出すようなもんじゃないですか。
 だからというわけでありませんが、数日前に家族で焼肉を食べに行きました。他に誰も客のいない店で、家族だけでゆっくり過しました。つまらない風評にはのらないという意地もあります。早く回復することを願っています。



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