きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
mongara kawahagi.jpg
新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.8.24(金)

 日本ペンクラブ電子メディア研究小委員会が赤坂の事務所でありました。電子文藝館の基本構想がようやく決まりました。秦恒平委員長の原案をもとに討論しましたが、だいたいのところは委員長案に落ち着きました。ペンクラブ会員にはいずれ会報で詳細が報告されます。ラフスケッチは
7/23の頁にありますので、ここでは、会員の皆様に今のうちからご準備願いたいことをお知らせします。
 ご自分の作品を電子化できる方は、できるだけテキスト化しておいてください。「テキスト化」とは、E-Mailで直接送れる形です。添付ファイルではありません。拡張子が「.txt」になる保存方法です。それをE-Mailかフロッピーディスクの形で事務局が受け取ることになります。ただしWindowsの「MS-Ward」と「一太郎」を使ったワープロ形式は、そのままでもOKとしました。Macは現在のところ、申し訳ありませんがテキスト形式でお願いします。
 「MS-Ward」と「一太郎」だけを優遇するのはどんなもんだろうか、という意見も当然出ました。しかし、その2つを初心者の多くの方が使っており、かつ、テキスト化できない可能性もあるので、そのまま送ってもらうことが結局、参加者を多くすることにつながるという結論に至りました。決して他のユーザーを差別するつもりはないのですが、現状を考えるとベターな方法と思います。ご理解のほどをよろしくお願いいたします。

 いつもは17時にきちんと終る委員会も、今日は議論が白熱して18時までかかってしまいました。18時半からは横浜で、横浜詩人会主催「ヨコハマの夏の夜 ジャズと詩の朗読」があったんです。急いで行きましたけど、当然、30分ほど遅刻してしまいました。ベースの金井英人さんを中心としたプロのジャズメンとの競演です。これが意外とおもしろい。当初は詩人の方がジャズに負けていましたけど、最近は朗読の実力も上がったようで、競演になってきているのです。途中からしか聞けませんでしたけど、朗読者もリズムに乗ってくるようになったのが判りました。
 でも、やっぱり圧巻はプロの演奏ですね。「シルクロード」だったかな? オリジナルのジャズは最高でした。遅れて入ったので、最初は一番後ろで聞いていたんですけど、思わず前の方に移動してしまいました。生の演奏はやっぱりいい、横浜の夜はやっぱりおしゃれで最高ですよ。来年も今頃の時期にまたやるでしょうから、お近くの方は是非おいでください。



瀬川紀雄氏詩集石っころの詩
ishikkoro no shi
2001.7.26 青森県弘前市 水星舎刊 1200円

 無題(巻頭詩)

何かを語りたいのだが それが のどの奥からでてこない
野の花から教わったことを 子供たちに伝えようとすると
小鳥たちが飛び去っていき 青空の雲は 黙して流れ行く

何かをしたいのだが それが何なのか体は焦燥するばかり
一日の休日を 妻子とともに情一杯生きようと思うとたん
たたみにさしこむ陽ざしが 小玩具をまぶしく消えさせて
庭先の小雨が 屋根をかすかにたたいては追憶をいざなう
何ごともない安らぎに またひとつただ日常をつけ加える

草薮へのひそみや河原でのさらしの戦き それらから逃れ
父は 世の中と書物のあまりにもの広大さにただ唖然とし
子は これからのあまたの学びを知らずただ虚構のゲーム

季節の割れめのシンフォニー その一つ一つの旋律と音色
一つのことを知ると 三つの無知 それらが見えた若き日
星も聴こえ 過云が未来であったのは 幻であったろうか
子供たちの兄になって一緒に 山道にころんでいる小石に
問いかけてみたい もう石の初源の言葉を忘れていようと

 タイトルの通り、巻頭の作品です。この詩集の視点と思考を端的に表現していると思います。その意味でも巻頭詩らしい巻頭詩と言えるのではないでしょうか。しかし「無題」はちょっといただけないと思っています。私は題も作品の重要な一部と考えており、その重要な部分を「無題」としてしまっては題無(ダイナシ)になってしまうのでは(^^;;
 この作品の場合には巻頭詩ですから、あるいは許されるのかもしれませんが、それでも、無理をしてでも付けてみるべきだと思います。
 それはそれとして「何かを語りたいのだが それが のどの奥からでてこない」「何かをしたいのだが それが何なのか体は焦燥するばかり」という感覚はよく判りますね。誰にでもあることですから、ここから読者は作品に入っていくことができ、詩作の重要なポイントです。でも、できれば具体化してほしいと思います。例えば「何かをしたいのだが それが何なのか体は焦燥するばかり」というのは、具体的に身体はどう反応するのか、それを書いた方がよいのではないかと思います。私の場合ですと、お尻がムズムズしたらその証しです(^^;;
 この作品に惚れた言葉があります。「一つのことを知ると 三つの無知」という言葉に思わず◎をしてしまいました。鶏は三歩あるくと忘れると言いますけど、少なくとも人間は「一つのことを知る」。作者は「三つの無知」に主体を置いていますが、読者の私は人間の「一つのことを知る」に思い至りました。読者に自由な発想を与えるのも優れた作品の要素だと思っています。
 著者の第一詩集です。しかし、詩との関係は相当古いようです。詩と詩人が好きでたまらないということが判るHPも開設しています。よろしかったら
http://www.infoaomori.ne.jp/~nk826/index.html を覗いてみてください。津軽の詩人たちを詳細に紹介しています。新しい詩人の誕生に拍手を惜しみません。



詩誌『馴鹿』28号
tonakai 28
2001.8.18 栃木県宇都宮市
我妻洋氏発行 500円

 鏡のなかの私β/大谷 武

  *

四角い言乗の世界から脱出を図りたい私は、
詩の雑誌をめくる。でも、そこには結局、い
びつな四角いヤツしか収まっていない。悪い
ことに、身動きできずに死んでいった言葉た
ちの放つ匂いが漂ってくるので、私は読むの
をやめる。
いっそ、文字だけの場所に移住しようかと思
ったりする。自分のことを棚に止げているこ
とは知っている。でも、棚に上げている私が
いることも知っている。

  *

私は殺伐とした群釆の中にいるのが好きだ。
見ず知らずの人が私を洗濯してくれる。百貨
店にも行く。しかし、最近なにか変だ。私に
なびいて来るものたちがいない。ときの流れ
を分断して 突然湧いてきたモノたちばかり
が、あっちを向いたりこっちを向いたりして
いる。私自身は時間の臍の緒を切らずに生き
ているけれど、抵抗なんかない。むしろ、ち
よっと自慢だ。時間の角にぶつかりながら過
ごしてきた顔は、私になってきたし、メジヤ
ーを使わなくたって自分の背丈が測れるよう
になった。

  *
 ※l        ※2
「おいしい生活」 や 「わたしは美しい」の
ころは目に飛び込んできたポスターも、今は
目の中でとけてしまう。化粧品売り場のヤツ
が私をみつめているけれど、 あれ、 人間な
※3の?鉄腕アトムの方がよほど人間くさかった
りして。

  *

私の化粧はだれにも見破られない。でも、た
っぷり時間をかけている。ときには三日間く
らいかけたりする。化粧をしているのを悟ら
れるのは好きじゃないから、知らない人も多
い。もう、化粧をしなくては歩けなくなって
しまったから、ウソの自分を適当に露出させ
てメイクするのだ。ただ、目玉と耳と鼻だけ
は化粧をしない。生きてきたままでいい。

  *

ほんとのこというと、四角い言葉の世界だっ
て嫌いではない。ヘタな漫才を見ているより
も面白いことだってある。私の出番の時には、
四角の中にひとつだけ私のことばを挿入する
ことを楽しんでいる。みんな、たまにカーブ
を投げられて後逸するキャッチャーのように
きょとんとしているけれどかまわない。たっ
たひとつのことばに私をしのばせていること
を感じた人を友だちだと思っている。
でも、そんな世界に長居は無用だ。

 ※l 糸井重里のコピー
 ※2 化粧品メーカーのコピー
 ※3 手塚治虫のアニメーション

 「悪い/ことに、身動きできずに死んでいった言葉た/ちの放つ匂いが漂ってくるので、私は読むの/をやめる。」というフレーズにはドキリとさせられますね。そして「でも、棚に上げている私が/いることも知っている。」というフレーズでは、ああ、この人は深いところまで考えている、と思いました。さらに「最近なにか変だ。私に/なびいて来るものたちがいない。」という所では、作者の感性の鋭さを感じます。
 何といっても圧巻は「でも、そんな世界に長居は無用だ。」という最終行でしょうか。屈折した視点という見方もできるでしょうが、私はむしろ作者の純心さを感じます。「
鏡のなかの私」というタイトルも合わせて考えると、かなり意味の深い作品だと思います。



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