きょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画:ムラサメ モンガラ




2001.9.2(日)

 9月2日の日記ですが、実際には9月15日(土)に書いています。2001年9月2日という日を、私は決して忘れることはないでしょう。15年ほどパソコンに関わってきて、初めてコンピュータウイルスに感染した日です。後の記録のために、同じような被害に他の人も合わないために顛末を記載します。
(注:後にウイルスではなくマシントラブルと判明。詳細をお知りになりたい方は
9月28の頁をご覧になってください)

 「メモ帳」を使って文章を書いていました。初めてのテープ起こしです。慎重にテープを聞きながら20字×100行ほど書いたところで、突然、マーキーのように字が左に走り出し、今まで書いた文章が消えてしまいました。マシントラブルで同様のことが起きると聞いていましたから、最初はそれかなと思いました。上書き保存さえしなければデータは残りますから、最後の方は捨てるつもりでセーブしようとすると「ごみ箱に入れてよいか」と問いかけてくるのです。ん?と思いましたね。そこで初めてウイルスを意識しました。
 その後は何をやっても、他のアプリケーションを立ち上げても常に「ごみ箱に入れてよいか」と問いかけてくるのです。それら全てを「Esc」で逃げて、パソコンの終了に向かいました。ところが終了できない! スピーカーからは連続した電子音が流れ、試しに1時間ほど放置してみましたが現象は変わりませんでした。私のパソコンにはAC電源に強制終了用のスイッチを付けていますから、最終的にはそれを切って終了させました。
 その現象は再現します。何度試しても同じことでした。完全にウイルスにやられたなと思いました。感染している以上はメールが使えませんので、関係者には電話でその旨を伝えました。冷静に考えると妻子用のパソコンは感染していないので、後にはそちらを使うようにしましたが…。
 どこで感染したか考えました。思い当たる節はあります。メールです。何度も変なメールは受け取っていて、だいたいは捨てているのですが、たまに開いてみるのもあります。9月2日にも「HなHPを開設しました」だったか、「私の裸を見てください」だったかのメールがあって、つい開けてしまったのです。そういうメールはだいたいが直接裸を見られるわけではなく、URLが書かれていて、そこに来てくれというものです。今回もそうでした。もちろん行きません。バカタレが、とつぶやいて廃却しました。
 バイナリーファイルを開けたわけではないので安心していたのですが、テキストに巣くっていたのでしょうね。W97M系と呼ばれるウイルスのようです。ワードとテキストを使うと行動します。画像には反応せず、キーボードから入力があると動き出します。しかしパソコン内臓のワクチンでは検出されませんでした。98年製のパソコンで、ワクチンのアップグレードもやっていないので、オンラインで駆除を試みましたが、不思議なことにそれでも発見できませんでした。そこが今でも納得できない点です。
 復帰までに2週間もかかってしまい、この間に多数の方からお見舞いをいただきました。この場を使ってお礼申し上げます。中には復帰が遅い!というお叱りもあって、お詫びのしようもありません。
 復帰が遅くなったのには理由があります。これも皆さんの参考になるかもしれませんので記載しておきますね。

 第一に「システムインストールディスク」を紛失したこと。「バックアップCD-ROM」はあったのですが、これが無いとどうしょうもないということが判りました。買っても2500円でした。早く復旧するには何が何でも早急に手に入れた方がいいですね。メーカーに電話するとすぐに送ってくれます。
 第二は、なまじMS-DOSの知識があったばかりに、それに頼ろうとしたことです。「システムインストールディスク」は無くしたけど、「起動ディスク」はすぐに作れたし、所詮MS-DOSで動いているパソコンですから、OSの「Windows98」は再インストールできるはずです。やってみて失敗したと思ったのは、私は「Windows98」のアップグレード版しか持っていなかったことです。初期から立ち上げる「Windows98」でなければダメなんです。しょうがないから「Windows95」をインストールして、それから「Windows98」にアップグレードしました。
 OSが出来たので、ではアプリケーションを、となった段階でつまづいてしまいました。一太郎やワード、エクセルなどは簡単にインストールできます。しかしモデムの設定ができない! 内臓モデムの設定は「バックアップCD-ROM」でやるのですが、これにアクセスできません。MS-DOSに戻って何度も挑戦してみましたが、結局「システムインストールディスク」からアクセスしないとダメでした。モデムが設定できなければ、重要な通信ができないのでパソコンの意味がありません。1万円ぐらいの出費を覚悟でメーカーに電話すると、なんと2500円じゃありませんか。もっと早く手に入れておけば良かった。
 ここまでに約10日を要してしまいました。電話した次の日には宅急便で「システムインストールディスク」が届けられ、即再開となった次第です。

 ラッキーな面もありましたので、これもお伝えいたします。当初はプログラム用もデータ用もドライブを2つとも再セットアップするつもりでいました。日本ペンクラブの委員会でご一緒している、文芸評論家・加藤弘一さんと電話でお話ししている時に「最初はプログラム用ドライブのみを再セットアップしたらどうか」という助言をいただいたのです。加藤さんは、オンラインのワクチンで発見できなければ、ウイルスではなくマシントラブルではないか、という発想からの助言でした。そこで、ハッとひらめきました。ウイルスに感染してから、一度もデータ用ディスクにアクセスしていないことに気づいたのです。全てプログラム用ドライブ上でのことでした。
 駄目だったら全てのドライブを再セットアップするつもりで作業を進めましたが、思った通りデータ用ドライブは大丈夫でした。プログラムはいくらでも再セットアップできますが、データはそうはいきません。過去15年間のデータが詰まっています。多少のバックアップはあるにしても、フォルダから組み直すことになると何カ月かかるか、想像を絶します。こまめにバックアップは取っておいた方がいいですよ。

 長くなりました。ここまで読んでくれてありがとうございます。私が思っていた以上に拙HPをご覧いただいている方が多いのもよく判りました。励まし、お叱りに感謝いたします。ウイルスは作る方ももちろん悪いけど、無防備な方にも罪があると思います。Nifty内部のHPですからファイアーウォールまで用意する必要はないと思いますが、個人でのウイルスチェックは絶対に必要です。危ないメールは開かないで廃却すること、日に一度はウイルスチェックをすることが必要と痛感しました。ご参考になれば幸いです。



詩誌『飛揚』33号
hiyou 33
2001.7.7 東京都北区
葵生川玲氏発行 500円

 眼鏡/北村 真

夜の重さにつまずいて
眼鏡をはずす
ついでに レンズもはがす

骸骨のような
細いメタルのフレームをティッシュで磨く
季節はずれの大掃除のように

黒い涙が
骸骨にたまっている
レンズにもたまっている

この涙は
僕が零したものなのか
流れ行く風景が零したものなのか
それとも 眼鏡が耐え切れず流したものなのか

涙をふき取った骸骨に
涙をふき取ったレンズをスッポリはめ込む

読みかけの本を閉じて
本の横に眼鏡を置いて
その横に
ほんの少し軽くなった僕を横たえる

 「重さ」「軽さ」の感覚が斬新だと思います。「夜の重さにつまずいて」「ほんの少し軽くなった僕を横たえる」という表現に魅力を感じますね。そう言えば井上陽水の「リバーサイドホテル」という唄に「夜の長さを何度も味わえる」というフレーズがありましたが「夜の重さを何度も…」とした方が良かったのかな、なんてことまで発想してしまいました。あの唄の場合は「夜の重さ」は別の意味になっちゃいますけどね(^^;
 なんでもない日常的な風景、眼鏡を磨くという行為なんですが、この作品のように深められるとハッとしますね。特に最終行は、物理的には眼鏡の分だけ軽くなったというに過ぎないのですが、精神的な安堵感を感じさせてくれます。「重さ」から始まり「軽さ」に終わる構成も奏効しているのだろうと思います。



川端実氏随筆集雑草のつぶやき
zassou no tsubuyaki
2001.9.1 埼玉県所沢市 蠻詩社・秦健一郎氏発行 1500円

 詩誌『蠻』でも拝見している随筆などを集めたものです。著者は70歳を越えていらっしゃって、これまでの半生を存分に知ることができます。軍国少年時代、8年に渡る脊椎カリエスとの闘病、その上に癌、心筋梗塞と想像を絶する人生を歩んでこられたことに驚愕します。しかし、それらの悪環境の中でも俳句、小説、随筆という文学に関わることによって正義を貫く道を歩まれ、後進としては心強い思いをしました。
 随筆集の全てを紹介するのは不可能ですので、芭蕉の句について書かれたことを紹介してみます。「芭蕉の蝉」と題された随筆で、脊椎カリエスで入院中の29歳の頃のことです。
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 そんな毎日を過ごしている時、母が見舞にきて「俳句を作っているようだから、こんな本でも読んでみたら」と言って届けてくれたのが、芭蕉の『奥の細道』の文庫本だった。
 書見器にかけた『奥の細道』を読み進む私の目は「立石寺」の項に釘付けされた。
  閑かさや岩にしみいる蝉の声 の句である。
 この句は中学の頃に勉強した。その時教えられた解釈は(山の中で、岩にしみ入るような蝉の声が聞こえる。そうした山寺の静かさを詠んだ句だ)ときかされた。
 だが、明日の命も保証されない絶対絶命とも言えるべッドの上で読んだこの句は、私に全く別な意味を伝えてきた。
 =松栢年旧、土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て、物の音きこへず。岸をめぐり、岩を這て、仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行くのみおぼゆ=
 山上の一切の音を消した静寂のなか、芭蕉の耳に蝉の声が聞こえた。その声に耳を傾ける芭蕉の心に湧き起こってきたものは、静かさをかみしめる孤独感だったのだろうか? いや、芭蕉の感得したのは、もっともっと奥深いものだったのではないだろうか……。
 蝉の幼虫は七年も八年も地中にあって苦しい年月を過ごし、成虫の蝉となっては、僅かに一週間前後の生命をしか与えられてはいない。その蝉が今頭上で鳴いている。明日は死ぬであろう蝉が、今の瞬間を生きている歓びを告げている。過去の苦しみが大きければ大きいほど、今を生きる歓びは大きい。そうした蝉の生きていることを告げる叫びであるからこそ、その声は岩の中にまで深くしみ通ってゆくのであろう。
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 私も今の今まで、著者が中学校で教わった通りの解釈をしていました。しかし、この説を読んで、そちらの方が正しいように思います。俳句も詩も厳密な読み方など無く、千人千様の読み方があったよいのですが、読みの深さという点では著者に軍配が上がると思います。8年も病院のベッドという「地中にあって苦しい年月を過ごし、」『雑草のつぶやき』という「生きていることを告げる叫び」をあげた著者だからこそ発見し得た読みと言えるかもしれません。ちなみに、ちょっと画像では見にくいのですが表紙は蝉のペン画です。
 生きる上での多くの教訓を教えてくれる随筆集です。



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