きょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画:ムラサメ モンガラ




2001.9.22(土)

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詩誌『東国』117号
togoku 117
2001.8.20 群馬県伊勢崎市
東国の会・小山和郎氏発行 500円

 背中/井上敬二

小さな背中を洗う小さな背中が
順番になって
さらに小さな背中を
洗う

先ず大きな背中が
小さな背中を
石鹸で
痛みのないよう
手のひらでこすってみせる

仕舞に
小さな背中が
大きな背中を洗う
幼稚園に通い始めた世界の広さで
大きな背中に
小さな手が柔らかく
触れる


奇麗になっただろうか
泡立てた垢すりで
こすりきれず残した背中は
落とせない汚れを
毎日背負って来る

自らを見詰めすぎないように
いつも背後にあって
自分でないような背中を
そっと
湯船で温め合う
今日はそれぞれに
どんな
姿であったのかと

 子供と一緒にお風呂に入っているシーンでしょうか。一瞬ほほえましくなりますが、最終連では核心を突いた言葉に出会って、ギョッとします。自分では自分の背中を見られない、そんな当り前のことを作者は「自らを見詰めすぎないように」するためだと定義し、さらに「自分でないような背中」と位置付けています。子供も含めて「今日はそれぞれに/どんな/姿であったのかと」と見つめ直すところに、作者の詩人としての、市井の人としての真摯さを見る思いがします。
 いつも生活の垢にまみれて「落とせない汚れを/毎日背負って」いる私たち。作者の眼は自分自身を見ていますが、それはとりもなおさず私たちの眼であるはずです。私も湯船に沈んで、今日は「どんな/姿であったのかと」ゆっくり考えてみたいと思いました。



詩誌『銀猫』8号
ginneko 8
2001.8.28 群馬県前橋市
飯島章氏発行 400円

 叔父の葬儀(二00一年)/今成 寛

糠床から茄子でも引き抜く様に医者は
私の左の犬歯を抜いた
 オキシドールに浸けて
 健康的な白さに磨いて
 指輪のケースにでも入れておけよ
などと言って医者は笑った

母方の叔父が亡くなった
白い大きな胸元を揺らし
見事な食パンを作った叔母の
連れ合いを亡くした悲槍なまなざしが痛い
従兄弟たちは沈欝にうな垂れた
 久しぶりに会う親戚に私は少し喜んでいた
骨は箸渡しされ
きしみながら壷に納まった
歯は残っているのだろうか

七十七で亡くなった義弟の骨を
傍らで
八十四歳の父が見ている
身近になった光景を
決して見ることはない
自らの骨の箸渡しと重ね合わせているのだろうか

 第二次世界戦争を生き抜いた男たちは
 敗戦を背にして
 豊かさとは何かなど問う間もなく
 共に嬉々として働いた
 そうして豊かになった
 そうして幾年も過ぎて
 青年の夢も希望も
 壮年の血気盛んも今は消え
 義弟の死を目の当りに自らの老齢を見つめ
 死に方についてなど考えているのだろうか
 しかしもう
 何も感じてはいないのだろうか

やがて巡って来る死の証し
シンプルな骨は
きしみながら
そう先の話でもないのだよと
私にも語りかけてくる

 歯は残っているのだろうか

オキシドールに浸けて
漂白した犬歯をとっておこうか
指輪のケースに納めたまま
忘れ去ろうか

 「犬歯」と叔父の骨との対比がうまいと思います。「父」や「叔母」「従兄弟たち」のからませ方も効果的ですね。「第二次世界戦争を生き抜いた男たち」は私たちの親の世代であり、戦争を抜きに彼らを語ることはできません。親たちも口には出しませんが、戦争の記憶抜きで自分の人生をふり返ることはできないはずです。その微妙なニュアンスもうまく表現できていると思います。
 「豊かさとは何かなど問う間もなく/共に嬉々として働いた/そうして豊かになった」今の時代を作った親たち。豊かになった反面の負の遺産もあるわけですが、それを清算していくのは子である私たちの世代なのかもしれません。そんな綿々と続く世代交代の役割まで考えさせられる作品だと思います。



長岡昭四郎氏著『詩』
shi
2001.9.20 東京都板橋区
プラザ企画刊 1000円

 著者がよみうり日本テレビ・文化センターで詩の講師を担当したときに使った教材をまとめたものです。詩の初心者を対象としており、原稿用紙の書き方から懇切丁寧に解説してあります。特に「詩とは何か」という部分はおもしろく、改めて詩について考えさせられました。このHPをご覧の方は、これから詩を書いてみようという方も多いようですので、ご一読を薦めます。また、長い間詩を書いてきたベテランにも、初心に帰るという意味でもお薦めできます。いわゆる詩論集などの学問的な堅苦しさが無く、しかし書かれていることは立派な詩論です。判りやすい言葉を使っているだけに、理解するのも早いと言えましょう。
 著者は「メモ」に次のように書いています。
「詩を書く人の参考になればと思って続けてきましたが、続けているうちに、これは自分の勉強だったのではないかと思うようになりました。」
 これは実感だろうと思います。他人から教わるよりも、他人へ教えるために勉強することが一番の勉強、とは私が社員教育の教員を命ぜられたときに社外講師から真っ先に教わった言葉です。その通りでした。同じことを著者も感じているのだと思います。今は「教わる、教える」という言葉は嫌われていて、「共育」などという造語も使われていますが、本質は変りません。教えるでも、知らせるでもいいのですが、そのための勉強が一番身につくということを改めて感じています。



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