きょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画:ムラサメ モンガラ




2001.9.22(土)

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 午前中は市の青少年指導者研修会というものに行ってきました。講演があることが判っており、あまり期待していなかったんですが、結果としてはいい講演だったと思います。千葉県習志野市立秋津小学校区・秋津コミュニティ顧問岸裕司さんという方の講演でした。小学校の空き教室を開放して、地域と学校が一体になって活動した実績を報告したものです。いろいろとポイントのある話だったのですが、ここではひとつだけ紹介しておきます。
 学校の教科に地域の人がボランティアで加わることが増えてきていますが、人材バンク方式は駄目だというものです。人材バンクだと、特殊技能を持った人だけが登録されることになり、地域に人材バンクに登録される人とされない人の差別ができてしまうと言うのです。それでは地域と学校が一体にならない。いい視点だと思います。
 ではどうするかというと、プログラムバンク方式が良いそうです。それぞれのイベントに合わせて都合のつく人が都合のつく時に来てもらうという方式です。なるほどなあ、と思いましたね。でも、これって、うちの小・中学校ではとっくにやっていることジャン! 小・中合せて100名ほどの生徒ですから、何か行事をやるときは親も一緒にやらないと成立しないんです。都合のつく人は全員出ていかないと無理なんですね。変なところで小規模校の良さを発見してしまいました。

 夕方からは『山脈』の例会です。8月第一週の合宿以来ですから、久しぶりの集りです。たくさん集まるかなと思ったら、意外に少なくて8名でした。でも、近況を話しながら楽しく過しましたよ。18時から始まって、あっと言う間に21時。二次会は23時までで、とうとう最後の客になっちゃいました(^^;

010922

 写真は一次会で三上透が撮ってくれたものです。一番良い写真は「山脈通信」に使いたいので、これでお茶を濁します。女性陣に「村山さん、顔が腫れているように見えるよ、疲れてるんじゃない?」と言われてしまいましたけど、その通りなんですね。ちょっと疲れがたまっています。しかし、それにしてもヒデー酔眼だな(^^;



鈴木哲雄氏詩集『途中橋』
tochyubashi
2001.9.20 東京都東村山市
書肆青樹社刊 2400円+税

 ひとはしとか
 人橋渡河

   書庫の奥から古い記録書が出てきた
   どこの国のことか だれが記録したも
   のか ただ <人橋渡河の話しるす> と
   のみあった

国守の名は超虎
(ちょうこ)
人にない癖を持つことで恐れられた
人橋淀河だ

月に一度
超虎は兵をつれて城を出る
行く先はサィ河
幅は百メートルを越え
流れは黄濁して速い
堤に立ち
いつも剣を抜いた
高くかぎして <渡河> と叫ぶ
兵たちは着のみ着のまま河に入り
しっかり肩を組み合わせる
十人が太鼓をうち
三人が鳥笛を吹く
超虎はそれを合図に人橋を渡る
土足のまましっかりと
兵たちは耐える
震えは寒さのせいではない
帰城してからの恐れだ
渡るとき
超虎の足が躓けばその兵は耳を切られ
バランスを失えば鼻を削がれる
すでに処断された兵二十人
されたままの顔でまた人橋に加わる

記録書はこのあと
<超虎 水に急死し人橋渡河止む>
の一行を記して終わっている
だが恐怖で兵を律してきた国守の最期が
ただで済むはずはない
<水に急死> の四文字に謀が透ける
雨に河の水嵩が増した日の渡河
兵は超虎の足元で人橋を崩したのだ
泳ぎの練達兵が深みに引き込み
水死を仕上げたに違いない

書を閉じると
下流のぎらぎらした河原さえ浮かんでくる
漂着した超虎の顔は
耳が切られ鼻が削がれ
河原ごと太陽に灼かれている
もちろん失われた兵はいない

 詩集全体に物語性の高い作品が多く、楽しめました。それらの作品の中でも、紹介した作品は特に物語性の高いものだと思います。おそらく著者のまったくの創作と思われますが、いかにもありそうな話ですね。後半の「 <水に急死> の四文字に謀が透ける」以降の想像は、読者の期待に添うもので、現代社会の私たちの願望を叶えてくれているようにも思います。
 著者のヒューマンさは最後の一行、「もちろん失われた兵はいない」というフレーズに結集しているように思います。質の高い視点で、拝読した後にさわやかな気分を残してくれました。



詩と散文・エッセイ『吠』16号
bou 16
2001.9.10 千葉県香取郡東庄町
「吠」の会・山口惣司氏発行 700円

 蔵書のいらだち/秋田高敏

問いかけられたことのない自分達
埃の丁で眠っている
いつかはたたき起こしてくれるだろうと
何年か心秘かに待っていた

待つことは無かったのだった
新しい仲間が次々とやって来ては
まどろみやがて深い眠りに落ちる

本棚の一寸した隙間には
糊やホッチキスや鋏
人形などが所狭しと
何の計画性もなく
無造作に我がもの顔に
位置を占めている

背表紙は泥ばみ
自己主張の文字はそこに埋没して
片思いの風が訪ねて来るのを
心秘かに待っている
背表紙の戸をノックする度に
しがみついた泥ばみの手がずり落ち
自分の顔が浮かび上がって
外界が今よりも良く見えてくるのだ

視界が広がると
主人の猫背が覆い被さってうっとうしい
目薬でも差したくなる
受動的な自分には
それが出来ないままのもどかしさ
声が出せたら
大声で罵声を浴びせたい
どうせ馬耳東風だろうが

今日もどこかへ出かけていくらしい
旅の様子でもないので
本屋にでも行くのだろう
身震いが走る
本棚から追放された友達が
畳や床にうずたかく積まれ
もがき喘ぐ呼吸音

いつの間にか
来なくてもよかったのに
見ず知らずの仲間が現れたらしい
惰眠を強いられるのも知らず
片思いの君よ
激怒し大暴風と身をかえよ
このうっとうしい部屋から
空中高く開放してくれることを
今の今から
じっと侍つことにしよう

 この作品を拝見して、思わず自分の書斎を見渡してしまいました。12畳の書斎に本箱が6本分、収まりきらなかった本が床に1mの高さで10個。幅広の机とベッドがあって、後はわずかに通路が確保されているだけです。そして「新しい仲間が次々とやって来て」います。実は実家にも書斎が確保されていて、そこも状態は似たり寄ったりです。
 本を求めることは楽しみです。同時に苦しみであることは諸先輩方から何度も聞かされていたことでした。しかし、本の立場になっての発言は無かったように思います。この作品では、そういう従来の見方から180度反転して、本の側からの発言となっており、それが新鮮ですね。インターネット検索が充実して、以前ほど本を買わなくなったとは言っても、やはり増殖しています。本の立場になれば、もう少し本箱を増やして、と思うのですが、なかなか。何度も居間に本箱を置こうとしていますが、妻子の強硬な反対に合っています。俺の本たちよ、どこへ行こうか!



森原直子氏詩画集『トマト伝説』
tomato densetsu
2001.8.10 愛媛県松山市 創風社出版刊 1500円+税

 菜の花が咲いた

流し台のかたわらで
残っていた蕪に
菜の花が咲いた日
旅立つ息子に
肉じゃがのレシピを持たせる

じゃがいもは
切った後一度水に放す
たまねぎは
ざっくり切る

肉を妙め
手早く日本酒をからませ
たまねぎ じゃがいもを入れる
火が通ったところで
砂糖 醤油 だし汁を加え
(いい風を待つ時のように)
ゆっくり煮る
(自分の歩幅を確かめながら)

菜の花が
白い十字の花びらを揺らす

 最近亡くなった姉上がはり絵を担当した姉妹の詩画集です。詩画集の完成を待たずに逝ったようで、著者の胸中を思うと辛いものがありますが、あとがきの最後に「この詩画集の中の時間と風景を共有していたことを幸いに思う。」とあり、救われた思いをしています。
 紹介した作品は「旅立つ息子」さんへ与えたレシピなんですね。いかにも詩人らしく「(いい風を待つ時のように)」「(自分の歩幅を確かめながら)」なんて言葉が実際にレシピに書かれているのかな、と思ってしまいました。「自分の歩幅を確かめながらゆっくり煮る」なんてレシピはどこにも無いでしょうね。料理に関する作品が多く、料理には関心の無い私でも楽しめました。



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