きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.12.5(木)
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○松尾茂夫氏詩集『デンキブランでみた夢』 |
2002.12.10 兵庫県加古川市 別嬢倶楽部発行 1500円 |
痕せ犬のイメージ
繋ぎっぱなしで
十年ちかく飼っていた犬が
ある朝いなくなっていた
支柱に巻きつけた鎖が途中で切れている
日頃散歩もさせないから
遠くへは行かないだろうとタカを括っていたが
二日経っても戻ってこない
前夜の雨で角々につけた自分の臭いが消えて
迷っているのかもしれない
そう思って〈茶色の痩せ犬〉の捜索願いを
警察と保健所に電話した
夕方になって保健所から
茶色の雑種犬を派出所から引き取った
見にこないかと電話があった
小太りだというから
「肥えているならウチのじやない」と応えたが
保健所の裏の大きな金網の小屋に
ぽつんと一匹座っていたのは
まさしくわが家のチビだった
中学生だった息子が
生後一ケ月ほどの子犬で連れてきて
とりあえずチビと呼んだが
その通称のまま
残飯と安物のドックフードで初老犬に成っていた
ちぎれて短くなった鎖をひいて
運れ戻りながら見ると
なるほど小柄なわりに少し太っている
川沿いの道を家の近くまで来ると
やっと記憶が蘇ったらしく
ぼくをぐいぐい引っ張って
自分の小屋へもぐりこんだ
痩せ犬のイメージはどこからきたのか
焼跡の少年時代から記憶をたぐると
わが家の歴代の犬たちは
どれもみすぼらしく痩せて
芥溜めの横で月に吠えていた
小屋に戻って安心したのか
横ざまに寝そべっている姿をみると
こいつめ! 醜いほどに肥っている
身近なものほど見えないらしい
そういえば最近
ぼくもズボンの胴回りが
ずいぶんきつくなってきた
淡々とした語りの中に人生の本質をズバッと言い切った作品が多くありました。紹介した作品もその一端で、最終連の「身近なものほど見えないらしい」というフレーズにはドキリとさせられました。さらに「そういえば最近/ぼくもズボンの胴回りが/ずいぶんきつくなってきた」というオチには思わず微笑させられるとともに、「身近なものほど見えない」最たるものなんだなと納得させられます。そっと「ズボンの胴回り」を触ってみたのは言うまでもありません。しみじみと人生を考えさせられた詩集です。
○季刊詩誌『詩と創造』41号 |
2002.11.20 東京都東村山市 書肆青樹社・丸地守氏発行 750円 |
背/山田隆昭
蝉の脱殻を拾った
まだ踏み荒らされていない
早朝の神社の境内だった
背中が裂けて 割れ目から
糸屑にも 臍の緒にも見える白いものが
はみ出ていて生まれたことが実感される
いっしんに脱皮して
最後に断ち切ったものの痕跡だったか
卵 幼虫 脱皮
どの段階を生まれたと呼べばよいのか
殻を出た羽は翠に透きとおっている
まだ濡れて重たい
ひとは赤く濡れて胎内から出てくる
そのときを生まれたという
夢を見た
生まれたばかりのぼくの傍に
ひと形の脱殻が落ちていた
累々と折り重なるそれは
一番上に母 下に祖母
そのまた下に曾祖母と
果てしなく続いている
みんな背中が割れている
ああ だれも
脱殻を踏み砕かないで
母の背中で安心して寝入ったわけが
ようやく判ったのだから
「母の背中で安心して寝入ったわけが/ようやく判った」その理由を「蝉の脱殻」に重ね合せた見事な作品だと思います。もちろん「夢を見た」に過ぎない話なのですが、妙に説得力があります。「みんな背中が割れている」という具体化が奏効していると思います。山田詩の新しい境地を拓く作品とも言えましょう。
○隔月刊詩誌『叢生』123号 |
2002.12.1 大阪府豊中市 叢生詩社・島田陽子氏発行 400円 |
コップの水/麦 朝夫
同人誌というものへ初めて入れてもらった時
喫茶店という所へ初めて行った
十代の終わり 朝鮮戦争の特需景気で
道頓堀も生き返っていた
アレチのことなどを 年上の仲間はしゃベっていた
ぼくは母親と耕している アキチのことを思ったりした
遅れていったぼくの前に 透き通った液体
それを飲んだものかどうか 悩んだ
西洋のサケのようなものかもしれない
飲めば高い金を払わされるのかもしれない
外では ヤキイモしか買ったことがなかった
混雑し 仲間は勝手にしゃべり
ぼくはコップの水を見つめ続ける ありったけの想いで
詩は生きていくよすがだったが 詩というものに
うんざりした時 蒼白な空みたいにそれが甦る
現代詩なんて なんぼのもんや
たかが コップの水やないか
「現代詩なんて なんぼのもんや」という言い切りにすっきりしたものを感じます。もちろん反語ですけど、ろくな詩が書けないときの特効薬にはなるかもしれませんね。でも「たかが コップの水やないか」というフレーズでは、「詩というものに/うんざりした」のは、実は詩≠ナはなく詩人≠ノ対してではなかったのかなと思いました。詩人たちと付合い始めて、自分の詩らしきものが少しは進化したかもしれませんけど、やはり詩人ではなく「詩は生きていくよすが」なのかもしれません。
○秦恒平氏著『湖(うみ)の本』エッセイ26 |
2002.12.1 東京都西東京市 湖(うみ)の本版元刊 1900円 |
今回は「春は、あけぼの・桐壺と中君
他」という副題が付いていました。NHKラジオで放送したものや講演録などをまとめたものです。
今号では何といってもラジオ放送用に書下ろした「春は、あけぼの」が圧巻でした。清少納言作と言われる「枕草子」に関して、単なる感想ではなく成立課程に踏み込んだ解説をしています。自分は古典の研究者ではない、作家としての読み方をするだけだ、と断った研究≠ヘ、画期的なものだと思います。
私は実は古典に弱くて、「枕草子」は中学か高校の古典で習った程度の知識しかありません。「枕草子」は「源氏物語」と並んで約1000年前の日本の代表的な古典文学であること、作者は清少納言であること。それ以上の知識はありませんが、この作者は清少納言である≠ニいうことに秦さんは疑問を呈しています。作家の眼で文章を見ると、これはひとりの作者が創ったものではない、と。その具体例を挙げて解説していることに、私はある種の驚きを禁じ得ませんでした。1000年に渡って、いろいろな人が解説してきた中に、おそらくそういう見方はなかったのではないでしょうか。少なくとも古典の試験で作者=清少納言と書かなければ×になったはずです。
では、作者は誰か? その回答は『湖(うみ)の本』に譲りましょう。納得する回答が用意されています。お求めになってその謎の解明に挑戦してみてください。
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