きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.12.5(木)
その1 その2へ
業務依託会社の担当者に来社してもらいました。しばらく前から起きている故障が依然として解決せず、業を煮やして呼び付けた形になりましたけど、まあ、しょうがない。製品を使ってくれているお客さんに迷惑がかかる段階ではないものの、いつ悪化するか予断を許さない状況だと思っています。こちらも商売ですから必死です。その思いを伝えました。
つくづく感じたのは、相手が日本の会社で担当者も日本人で良かった、ということです。今時は海外に工場のある会社も多く、場合によっては外国人を相手に同じことをしなければなりません。弊社も海外に工場を持っているし、業務依託会社の多くも海外に工場を持っています。たまたま今回は国内で済みましたけど、いつ懸念される状態にならないとも限りません。国や人種、言葉が変っても普遍的な思考方法を身につけなければならないでしょうね。その鍵は文学にあるのではないかと、漠然とながら思っています。
○詩誌『海嶺』19号 |
2002.10.30 埼玉県さいたま市 海嶺の会・杜みち子氏発行 300円 |
鎖/河村靖子
で き る よ お
か え る よ お
突然の擦(かす)れ声に
真赤な顔をゆがめて泣く 乳児
我が児をあやしながら
車椅子の母親の背をさする 娘
どうしても家に帰りたい
娘を手伝ってやりたい
孫の子守りもしたい
若い母親の その母親は
肩を揺らし硬直した指を差し出し
ことばを ふりしぼる
若い母親のピアスが揺れる
泣き続ける乳児の プクプクした指がふれる
何度も ふれる
最後まで拝見して、もう一度タイトルを見てハッとしました。文字通り母娘・乳児の三代の「鎖」をうたった作品なのですが、「鎖」の意味を考えてしまったのです。鎖は通常は金属です。その金属を母娘という生身の人間関係に使う意図は何だろうと。辞書には糸を縒って作った鎖もあるとありましたから、金属にこだわる必要はないのかもしれませんが、逆に金属さえも取り込んでしまう人間のしたたかさ、言葉のしたたかさを感じた次第です。
まあ、それはそれとして、特養ホームでの光景でしょうか、母娘の絆を感じさせる作品です。今号は「子ども」というテーマで取り組んだようですが力作が揃っていました。子を育て、孫もいる女性たちの視線の確かさを感じさせた号でした。
○詩誌『黒豹』101号 |
2002.11.28 千葉県館山市 黒豹社・諫川正臣氏発行 非売品 |
だんごむし/諫川正臣
「あっ だんごむし」
幼児は足もとをよく見ている
大人の気がつかないものを
「どうして お部屋のなかに いるの」
「庭から這い上がってきたのだろう」
「あっ 死んでる かわいそう」
そこまでの同情は大人にはない
孫がものごころついた時から
絵本を読んでは
母親が言い聞かせたらしい
いのちのたいせつさを
くりかえし くりかえし
これでは趣味の昆虫採集もやりにくいし
害虫駆除もままならぬ
イチジクの木をぼこぼこにするカミキリムシ
殺すと泣かれるので遠くへ放しにいく
海に行けば肌を刺すクラゲも殺しちゃだめ
そんな親子が去って静かになったある日
庭の片隅に異なものが
アイスクリームの木べらの匙に
マジックで
だんごいんごろごろこじ
炎天下 お墓のまわりに
コニシキソウの小さな花も咲いて
「そこまでの同情は」ない大人と「海に行けば肌を刺すクラゲも殺しちゃだめ」と言う「孫」の、仲を取り持つ言葉が「だんごいんごろごろこじ」である、象徴的に在る、というふうに思いました。その言葉の意味は色々に考えられましょうし、考えなくても良いのかもしれません。「アイスクリームの木べらの匙」を見つけたことが大事なんだろうと思います。最終連の眼の転じ方も、「お墓」へ持って行くことから、血の繋がりを暗示しているように感じました。
○苗村吉昭氏詩集『バース』 |
2002.12.1 大阪市北区 編集工房ノア刊 1500円+税 |
バース
妻は中央手術部に運ばれた。看護帰が慌しく扉を閉ざすと
「関係者以外立入禁止」の文字が、冷たく僕と妻を分け隔て
た。僕はくたびれた黒いコートのポケットに両手を突っ込ん
で、「中央手術部」の文字を見つめていた。帝王切開術。これ
から妻の子宮は静かに切り開かれていくのだ。待つ。十分。
二十分。待つしかなかった。僕の目の前を、母親に手を引か
れた少女が通っていった。三十分。四十分。五十分。移動式
べッドに寝かせられた老女が運ばれて来た。夫らしい老人は
「がんばれよ」と言って老女の手を握った。老女は「うん」
と強く領いた。それから彼女もまた「関係者以外立入禁止」
の扉の中に消えていった。
一時間が経過した。多分、子供は死んでいるだろう。僕は
中央手術部に繋がる長い廊下の上窓から僅かに見えている曇
った空を見ながら、埋葬手続きの煩わしさを想像した。グレ
ーの冬の空に枯枝が見えている。その枝は以前訪れたモンパ
ルナス墓地のマロニエの木々を連想させた。あの空はずっと
ずっと向こうで、フランスの空へ繋がっているんだ。小さな
窓枠に囚われた、その空をしばらく見ていると、こんな場所
から逃げ出してフランスにいきたいという思いが募って来た。
パリ、シャルトル、ナント、ヴァンヌ、プレスト…… 学生
時代、この同じコートのポケットに手を突っ込んで、冬のフ
ランスを一人歩きまわった。貧乏旅だったが、霧深い朝に、
「Un
cafe au lait,s’il vous
plait.」(カフェ・オ・レをくださ
い)」と注文して異邦人を気取る賛沢を味わったものだ。そう
だ、妻が元気になったら、今度は二人でフランスにいこう。
妊娠も、手術も、何事もなかったように、しばらくフランス
で暮らそう。そのとき、中央手術部の扉が開いて、妻ではな
く搬送式保育器が出て来た。「赤ちゃん、生きてます! 生き
てますからね……」僕に向かって叫びながら看護婦と保育器
は走り抜けていった。僕はポロポロと涙を落としていた。二
○○二年 一月七日十二時二十一分。誕生(バース)は突然やって来て、
急速に駆け抜けていったのである。
仮死状態の未熟児として生れた我が子の、誕生から10ヶ月余を描いた散文詩集です。「あとがき」を書いた2日後にその子は亡くなったと「後記」で知ることができます。
重度障害児として生きるか、いっそ死んでくれた方が良いのではないか、と揺れ動く著者の心境が痛いほど伝わってきます。紋切り型の正義≠ナはなく、ギリギリの人間とは何か≠問う問題作でしょう。
紹介した作品は詩集のタイトルポエムですが、ここから新たに著者も「誕生」したように思います。htmlの制約上、フランス語の一部が表記できなかったり、ルビが使えないことをお詫びします。
○アンソロジー『大宮詩集』25号 |
2002.12.1 埼玉県さいたま市 大宮詩人会・宮澤章二氏発行 1300円 |
風渡野(ふっとの)/浅井裕子
趣味は風になること
ある青年の自己紹介だ
緊張した娘の写真と
百人あまりの新入社員の顔の下には
理工系らしい角張った自己紹介が並ぶ
うなずきながら捲るページの
行間から爽やかな風が吹く
明るく元気がモットーの青年は
「風になる」という
応用のきかない私の石頭は
そこから先に進めず
疑問符だけが揺れている
向日葵の咲く頃
風渡野に突風が吹いた
隣家の角で速度を落とし
わが家の門に回りこんで
ブルルンブルルンと渦を巻く
風がオートバイでやって来た
「初めまして」と挨拶すると
娘をさらって消えてしまう
野を渡る 新しい風だ
風渡野(さいたま市の地名)
さわやかな作品ですね。「趣味は風になること」という「ある青年の自己紹介」も新鮮ですし、その青年が「娘をさらって消えてしまう」というのも実にさわやかです。さらにそれを見ている「私」は「野を渡る 新しい風だ」と感じている。こういう作品を読むと心が洗われる思いをします。「風渡野」という地名も効果的に使われていて、構成も選ばれた言葉も洗練された佳作だと思いました。
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