きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.12.18(水)
その2 その1へ
○洋子氏詩集『Time Over』 |
2002.12.20 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 1800円+税 |
翠の栞
夏の日に麦わら帽子で
いっしよに川の魚をすくいましたね
夢中に魚を追いかけるうち
水を含んだ麦わら帽子は
ふやけて やぶれてしまって
そのまま下流に流されてゆきました
追いかけても届かなくて
とうとう見えなくなってしまって
泣き出したあなたに駆け寄っても
わたしは何も言えなかった
あなたが泣いていたのは
帽子をなくしたことではなくて
朝 おかあさんが
風にとばされないようにと
耳に掛ける長ゴムを縫いつけてくれたから
珍しく指先に針を刺してしまって
痛そうに顔を歪めたから
それなのに〈さあできた〉と
笑ってかぶせてくれたから
麦わら帽子は古びていて あなたは
おもちゃにしても許されると 知っていたのに
叱られないことも わかっていたのに
まるでおかあさんを川へ流してしまったように
あまり懸命に美しく泣くので
わたしは何も言えなかった
あれから あなたと帽子のことは
忘れたことが無くて
二度と描けない風景画のように
いまもその輪郭をなぞってみるのです
著者のお名前は <だい・ようこ>
さんと読みます。今のパソコンでは苗字が表現できなくて、画像として貼りつけました。そのため見難くなっていることをお詫びします。
作品を拝見して、非常に純粋な方なんだなという印象を持ちました。紹介した作品でもそれを感じてもらえると思います。「あなたが泣いていた」理由が「まるでおかあさんを川へ流してしまったよう」なことであったなど、私には考え至らないことです。それも「美しく泣く」というのですから、純粋さがなければ書けない言葉だと思うのです。その感覚は他の作品でも多々感じました。著者の第3詩集だそうですが、今後、その純粋性がどのように発展していくか楽しみな詩人です。
○詩・エッセイ誌『天秤宮』18号 |
2002.11.20 鹿児島県日置郡吹上町 宮内洋子氏発行 1000円 |
母子草/宮内洋子
柩の蓋をかついで
杉の山道を登っていく
二メートル近い蓋は
肩の上で不安定である
七十センチ幅の草深い道
杉の木に蓋の角がぶつかって
私はよろけてしまう
柩の箱の方は 集落のおじさんが担いで
ゆうゆうと前方を歩いていく
空っぽの柩といっても量量はある
バランスのとりにくい箱物である
カーブとでこぼこ道
ぬかるみもある
杉にまとわりついた葛(かずら)が頭の上まで
くるくるとぶらさがっている
小鳥が鳴き声をひきずって
枝を渡っていく
老いた母と息絶えた息子のいる家に
たどりついた
電気もガスも水道もない家で
病弱の息子をまもり続けた老いた母は
人なつっこい顔で出迎えた
板張りの床の上には畳が二枚あって
愛(まな)息子は横たわっていた
仏壇は鈍色に輝き
板戸の節穴からさしこんだ日の光を
受けていた
かまどの上の釜から
ひしゃくで湯をすくって
お茶を入れてもらって 外で飲む
ゆのみの中にも日の光がひとつ
ぽつんと入っていた
湧き水が土手の上の方から
たらたらと落ちてきて
木の葉が舞い落ちていた
母子草が黄色く咲いて
杉山の一軒家に日が傾いた
まっくらな中に
ローソクの火が黄色く点り
母子はひっそりと二人だけの夜明けを待つ
凄まじいと言えば凄まじい光景なのですが、なぜかホッとしたものを感じます。「柩の蓋をかついで」「柩の箱の方は 集落のおじさんが担いで/ゆうゆうと前方を歩いていく」という不思議な描写、「老いた母は/人なつっこい顔で出迎え」るという設定がそう感じさせるのかもしれません。何十年も前の話かと思ったのですが「電気もガスも水道もない」と言うのですから、現代だと思います。
御伽噺のような気もしますが、きっと現実のことなのでしょう。不思議な魅力のある作品です。
○詩誌『』25号 |
2002.12.10 石川県金沢市 の会・中村なづな氏発行 500円 |
祈りの元型で/白井知子
ベージュ色の屋根
葡萄畑が丘の斜面につづき
牧草のあいだに
スッラの紅い花が敷きつめられ----
アメリカ兵は朝食をすませると
フェンスのところで軽く手を振る
北イタリア アビアノ基地から
戦闘機がユーゴへ向けて飛びたった
吹きわたる生温かい息
三十八億年を超え
盛りあがってくる海
はるかな遠い一滴の
海のはじまりよりも遠い記億が
胎の内にたゆたっていた
せりあがる魚くさい吐息
群生する夢と夢の隙をついて
吹きあげてくる
羊水の袋が胎児を圧迫する
まだだ
子宮が収縮する いきむ
まだ まだだ
機体内部
幾重にもはりめぐらされたフライバイワイヤー
戦術情報が刻々とディスプレイに映しだされていく
*Gスーツ 呼吸器つき保命装置装着の
パイロットのしなやかな指づかい
スロットル 操縦棹にとりつけられたコントロール装置を
ピアニストより繊細に触れつづける
うすい頭蓋の骨がずれ
ずれたつなぎめが重なり
児頭がゆがむ
ぐりぐりと向きを変えていく
ひとつのいのちの塊に融合し
夜ごと眠り よじれる息の檻を
すりぬけあって
目を覚ましてきた魚の
蛇の 禽獣の
おびただしい泥の涙
羊水が産道にあふれる
もうこれ以上は無理というところまで
小さくまるくなって回旋する
ねじれた壁に緊めつけられていく
禽獣たちが墾いた夢の地層から
突きあがる喚き
手足を祈り向きをかえる
混濁した息が渦まく
ミッション達成
最短距離を俯瞰して
パイロットは基地にもどってきた
家族の待つテラスの晩餐へ
ふいにおとずれる沈黙が黄昏にとけこんで
やがて 錫色の星
膝立ちになり
陣痛にめりこんでいく
そりかえる胎児を押しだす
前かがみ 頭を垂れ
直立していることの傲慢さを捨てる
ひとり分の四つん這いの湿地
爆音が近い
胎児になだれこんでいた生きものの
ことごとくが蘇生しようと
息をあつめる
女は息にのる
祈りの元型になる
Gスーツ‥加速度の影響を防止するスーツ
出産とユーゴ攻撃をダブらせた見事な作品だと思います。表層的には生産する女と破壊する男という対比が成立つでしょう。しかし、そんな単純なものではないように感じます。「祈りの元型」というタイトルと最終行を見ると、生産も破壊も「祈りの元型」ではないか、という見方もできるかもしれません。「爆音」と出産が同列として扱われていますので、そこを言っているようにも思います。なかなか一筋縄ではいきませんが、印象深い作品です。
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