きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2002.12.18(水)
その1 その2へ
出張で静岡県に行ってきました。私の担当する製品に不具合があって、お客さんの所へ謝罪に行ったものです。30年以上勤務して、初めて謝罪文を書いて持って行きました。自分がやった失敗ではなく製造部門のミスですから、何でオレが行くんだ!?と抵抗しましたけど駄目でしたね^_^; お客さんにとっては製造部門のミスだろうが営業のチョンボだろうが関係ありません。弊社のミスということになります。その場合、謝罪担当は品質保証部門の私、ということになるわけですね。クソッ!
でも、謝罪文を製造部門の関係者に見せたら、恐縮していました。その様子を見て、逆にこれは良かったなと思いました。過去何十年もミスの無かった製品ですから、製造部門にも甘えがあったのかもしれません。それを彼ら自身が気付いたようですから、その面では良かったと思うのです。
お客さんのところでは、それを全面に出しました。素直に「ありがとうございました」と私も言えたのです。お客さんも理解してくれて、ホッとしました。ホッとしたついでに工程見学もさせてもらいました。自分の製品がどういう使われ方をしているのか、知っておくことは大事ですからね。行って良かったと思います。でも、本当はそんなことでは行きたくないですね。
帰社して、夕方からは先輩の定年退職祝賀会に出ましたけど、やっぱりイマイチ乗れませんでした。二次会はもちろん出席せず、一次会も最後までいないで途中退席しました。お酒は好きな銘柄を勝手に呑んでもよかったんですが(もちろん勝手に呑みましたけど)、悪酔いしそうで、適当に切り上げました。やはり、自分でも判らない部分でショックだったんでしょうね。酒は楽しく呑むのに限ります。
○真尾倍弘氏詩集『遺稿 戦争抄』 |
2002.11.12 東京都千代田区 鮫の会発行 非売品 |
地の果て
戻ってきた彼は口をへの字に結んで全身を震わせていた。
私はその威力に押さえつけられた。
彼が運んできた不吉な風は大気を乱した。
彼と行動を共にした二人も半ば亡者の様(さま)だ。
彼は言った。
「実にいやなものを見た」
予感とはまま的中する。
空隙が痙攣している感じだ。
「何を見た」
彼は語った。
村に入ると友軍がいた。
長は軍曹で一個分隊ほどだったという。
日の丸を手に村人は愛想よく迎えてくれた。
軍曹はその中から中年の男女を引き出し交合を命じたというのだ。
躊躇する男を「やらねば斬る」と威嚇した。
男は軍曹の命令を実行したそうである。
ことの終ったとき「人妻を犯すとは卑怯なやつ」と眼を剥いて男の
首を刎ねたというのだ。
斬り残された首が肩にぶらんと傾いたという。
彼はいまいましそうに唾をぱっと吹き飛ばした。
「いったいどこの兵隊だ」私は呻いた。
「知らん。俺たちと同じ日本兵だ」
彼の顔は灰色に変っていた。
私たちはお互いを思いきり殴り倒したい衝動に駆られて睨み合った。
著者は昨年11月に、83歳の誕生日の1週間前に亡くなったそうです。遺品の中に詩集にまとめようと思っていたらしい原稿が見つかり、奥様が遺稿詩集としてまとめられたもののようです。
紹介した作品は冒頭の詩です。この作品に衝撃を受け、次々と読み進めていきました。著者は私の父親よりも4〜5歳年上のようですから、戦争で一番痛めつけられた年代ではないかと思います。
戦争はもちろん許されるものではありませんが、百歩譲ってやむを得ないものとしても、この作品の状況は断じて許されるものではありません。今日の眼から見てそう思うのではなく、戦争の当事者であった著者さえそう思っているのですから、人間としての信義だろうと思います。先日、父親より譲り受けた「軍隊手帳」にも軍人ハ信義を重んすへし∞世人の忌嫌ひ≠スることはやるなと書かれています。
救われた思いがするのは最終行です。やり場のない憤りを表現した、このような詩句に出会ったことはありません。並の詩人ではなかったことが、この1行からも窺い知ることができます。ご冥福をお祈りいたします。天上から戦争のない世界へ導いてください。
○詩の雑誌『鮫』92号 |
2002.12.10 東京都千代田区 鮫の会・芳賀章内氏発行 500円 |
現代詩/岸本マチ子
−冶らない病気で苦しんでるくらい
ばかげたことはない
その詩の中で真尾さんはいっていたが
−この無意の生を
自分で絶つ罪を考えたりする
命ってとても尊いんだそうですなあ−
なんと言うニヒル
正調人間の真尾さんがこんな風に書くなんてどんなに苦しかった事
か
−『足摺岬』『絵本』の作家田宮虎彦さんはマンション から身を
投げた そして
そのあと何がいいたかったのであろう
死が
死に
死の
死と
いつもぴったり張り付いていた死を
どんなに振り払いたかった事か
きっとささやかな一瞬でいいから
秋晴れの青空の様にはれやかになりたいと
思わない日はなかったに違いない
ついこの間の雨の日そそっかしいわたしは
石段で足を滑らしどーんと尻餅をついてしまった
目の前が真暗とはあんな事をいうのだろうか
痛くて呼吸も出来なければ声も出ない
這う様にしてタクシーに乗り病院へ行くと
「やあ不幸中の幸いと言うか背骨のつぶれがわずかで良かった。こ
れが梯形になっていたら大事(おおごと)だったよ。まず全冶三週間、安静にす
るんだね」
「本当に? どうしようラジオ体操も駄目ですか」
お医者さんはあきれて溜息をっいた
それからの一週間ばかりの痛かったこと
あお向けに寝ると呼吸が止った ああ
わたしにも死はいつだって張り付いていたんだ
わずか二ミリの骨の陥没くらいで
こんなに痛い思いをするなんて
思わず泣き声をもらしそうになったが
死ぬ思いをして居られた真尾さんの苦しみに
較べればなんという事はないのだ
芳賀さんご夫妻に連れられて伊豆へ
お見舞に伺ったのもついこの間の事の様に思われる
奥様の為に温泉付きの家を買われたという事だったが
庭の秋海棠の手入をなさっていて
倒れられたのだという
いかにも几帳面な真尾さんらしく
まだ半分やり残していたのが残念と
無念そうな眼が庭を泳いだ
「オーイビール!」
「ハーイ、只今」
急な階段を年老いた奥様が登ったり下りたり
何故か真尾さんのべットは二階だった
お風呂などどうなさるのだろうトイレは等と
いろいろ気になってビールどころではない
「もう失礼しますから、どうぞおかまいなく」
芳賀さんご夫妻も気掛りなのであろう
「いいんですのよ、嬉しいんですから」
ポツンと奥さん
頬が紅潮した真尾さんを見るのは久しぶりなのだという
お二人共淋しいのだ
しんとした空気が濃密にわたし達を包む
少し詩の話をした
鼻に付けたサーキュレーターを指差し
「こんな物していても詩が書きたいのですから
業ですかね」 そして
−呼吸不全の苦しさは
目茶と苦茶で
死に至るころりん丸が欲しい
それが私の現代詩です
と書き残して
真尾さんは逝った
(真尾さんの詩「鮫」より)
前出の真尾倍弘さんの追悼特集号になっていました。生前の真尾さんの様子が分かる作品としいうことで紹介してみました。タイトルの「現代詩」は真尾さんの詩「呼吸不全の苦しさは/目茶と苦茶で/死に至るころりん丸が欲しい/それが私の現代詩です」のタイトルでもあります。この詩は他に何人かの方が引用していますから、同人の皆さんに愛された詩なんでしょうね。私のように真尾さんが実際に「呼吸不全」に苦しんでいる様子を知らない者にとっても衝撃的な詩です。
岸本さんはご自分の体験に真尾さんを結びつけて書いていますが、やはり真尾さんご夫妻を鋭く書いていると思います。「お二人共淋しいのだ」というフレーズにそれが端的な現れています。こうやって観察し、こうやって追悼するのかと勉強させてもらった作品です。
○瀧葉子氏詩集『樹の物語』 |
2002.4.10
埼玉県さいたま市 地球社発行 2000円 |
蜻蛉
激しい風雨に
しきみが揺れている
そのしきみの梢近くに
リスあかねは とまっていた
あたり一面 濡れ浸るなか
微かな水滴をも身につけぬ強靭な皮膚
迷彩色のヘリコプターは
凛として 飛翔の時を待つ
やがてエンジンは始動され
上翅と下翅は ゆるやかに
交互に動き始めた
三億五千万年も前の石炭紀から
流体力学の粋を集めた有機ヘリコプター
古網翅目から発展した丈夫な四枚の翅
精巧な複眼レーダー
連動して自由に動く頭は
瞬時に獲物の在りかを察知し
レーダーが敵を感知すれば
瞬時に進発するみごとな飛行術
ギュンツ ミンデル リス ウルムの
氷期を乗り越えて
地質時代のきびしい風雨の中を
けなげに飛び続けた特殊構造の体壁
蜻蛉は
海進海退の
激動の地史空間を飛び続け
繁栄街道を驀進する精巧な飛行体
たくましい 命の営み
一万年を一メートルに置き換えて
地質時代からの進化を辿ってみる
と
蜻蛉は三五○○○メートル飛び続け
クロマニョン人は八メートル歩いたにすぎない
とてつもない巨きな歴史の渦の前で
りにも似た敬虔な心が
ひたひたと私の内部を浸し始める
私は
汚れ切った過去を捨て
空(から)になろうとしていた
まずは知らない言葉から。「しきみ」は別の作品によると「悪しき実」から来ているそうで、墓地などに生えています。辞書(Microsoft/Shogakukan
Bookshlf Basic)によると樒≠ワたは木ヘンに佛と書きます。葉からは線香、材からは数珠が出来るとありますから、まさに死者のための木のようです。
「リスあかね」は国語辞典程度では出ていませんでした。昆虫図鑑でないと駄目かもしれません。
この詩集を拝読してすぐに思ったことは、地学や古生物学に長けた詩人なんだなということです。「石炭紀」「古網翅目」「地質時代」などの言葉は他の作品にも出現します。科学的なモノの見方が出来る人、と言った方が良いかもしれません。そんな知識に裏打ちされて「流体力学の粋を集めた有機ヘリコプター」「精巧な複眼レーダー」などのフレーズが出てくるのかもしれません。こういうフレーズは大好きで、ゾクゾクしてくるのです。最終連のひとつ前の連などもいいですね。
でも、問題はやっぱり最終連でしょう。そんな知識がいくらあったとしても、やはり「祷りにも似た敬虔な心が」あり「汚れ切った過去を捨て/空になろうとしていた」精神があるのだと思います。紹介した作品からもお分かりのように知性と情がうまくマッチした詩集だと思いました。
○早藤猛氏詩集『北総台地』 |
2002.12.20 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2000円+税 |
グライダー
霧が峰にかわいて注ぐ光の夏
そよぐ風が草原を緑の海原にする
みどりの波間から白い機体がふわっと
アルプスの青い峰にむかって
神々の棲む峰と峰をむすんだ水平線
透明な思考気流にのる白い機体
私は峰々を見おろし
しずけさとひかりの世界へ
山並みのむこうから立ち上がる入道雲が
私との会話に形をかえて応えてくる
視界のさきにひろがる誘惑のかなたへ
操縦棹を操る
みどりの大地と神々の国のあいだで
止まってしまった錯覚の時間
あこがれた西の空に夕日がおりなす彼岸へ
白い機体を上昇させる
著者の第一詩集です。紹介した作品はこの詩集の代表ではなく、むしろ異端です。一冊の詩集の中から一編だけを選んで紹介するということを、この4年ほど続けてきました。基準はその詩集の代表となりそうな作品、または私でも理解することが出来る作品です。この作品の紹介はその基準からも外れています。それでもあえて「グライダー」を紹介するのは、それが出来るのはおそらく私しないないのではないか、という自負からです。
ここに出てくる「グライダー」を私たちは実機≠ニ呼んでいました。基本的には布で出来ているハンググライダー・パラグライダーに対してです。20代終りから40代の始めにかけて、そんな遊びをしていました。ですから「神々の棲む峰と峰をむすんだ水平線/透明な思考気流にのる」などのフレーズは理解できるつもりでいます。上昇気流の起きる範囲と高さを読んでいるのだと思います。「山並みのむこうから立ち上がる入道雲が/私との会話に形をかえて応えてくる/視界のさきにひろがる誘惑」というのは、強力な上昇気流への挑戦を現しています。「止まってしまった錯覚の時間」は、対気速度は速いものの対地速度がほぼ零になったことを言っています。実機のグライダーとハング・パラでは強度も構造も違いますから、表現されている言葉に多少の違いはありましょうけど、航空理論で飛ぶ点では同じですので、たぶん合っているでしょう。
うれしいですね。「しずけさとひかりの世界」を久しぶりに思い出しました。もっともハング・パラは、身を大気に剥きだしにしていますから「しずけさ」なんか無くて、ヘルメットの耳元では風がガァーガァーうなっています。それが消えたらヤバイ、失速です。
無動力の航空機について書ける詩人が、またひとり出現しました。日本詩人航空連盟でも作るか^_^;
空の感動を詩にするのは実に難しい。言葉が無力になってしまうからです。それをこれだけ書いたのですから、私は早藤猛という詩人の感性を褒め称えたい。もちろん詩壇≠フ中では評価されないでしょう。だからあまり書く必要はないと思いますけど、こっそり私だけのために書いてほしいものです。
新しい詩人の出現に拍手を贈ります。
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