きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科


2002.12.27()

  その1  
その2

 明日の午後から冬休みに入りますので、職場の見回りをしました。私の部下たちが仕事をする部屋は私が責任者になっていますので、そう義務付けられています。自分が管理する部屋とは言っても、私は普段は居室の机に齧りついていますから、ほとんど内容を把握していません。実質的な管理者の女性に案内してもらい、各機器の停止を確認しました。高価な測定機がゴロゴロしている部屋で、それらの機能は知っていますから、説明されれば何が危険で何が安全かは判ります。私が管理者になって、機器が壊れたなんてことになったら冗談では済まされませんから、真剣に見回りましたよ。
 これで機器たちもしばらくの休憩。私も休みが待ち遠しいです。休みの間にたまった贈呈本を読みこなしたいと思っていますが、どこまで進むやら。特に予定は入れていませんから、すべて書斎で過すつもりでいます。



川中子義勝氏譚詩『ミンナと人形遣い』
minna to ningyo tsukai
2002.12.25 東京都千代田区 沖積舎刊 2500円+税

 「譚詩」という言葉は記憶がありましたが、はっきりと思い出せないので辞書を引いてみました。バラード≠ニありました。好きな歌手に柳ジョージがいますけど、彼の唄に「本牧綺譚」というのがありまして、その譚≠ネのですね。日本語では判らなかったけど英語なら判るというのも、今の自分・日本を象徴しているのかもしれません。
 作品はミンナ(実菜)という日本人留学生とドイツ地方に住むハマン老人の物語、と思いきやクララと森林官のジークリートという操り人形の物語でもあります。ここでは作品の一部引用では済みませんから避けますが、あとがきがこの作品の本質をよく述べていると思います。
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 <このお話を書いていたときには、(もうひとりの)作者の心の中に大きな悲しみがありました。お話は、その悲しみの中から、まるで泉のように湧き出してきました。そうして、(悲しみを除きはしませんでしたが、)悲しみとともに生きてゆく力を与えてくれたようです。
 後書きを書いている今、作者の心には、ひそかな憤りがあります。私たちの生きる普通の世界では、ハマン老人のような境遇が新たに生まれ、周りから蔑まれつづけ、ミンナのように精一杯努力するひとが必ずしも報われないことを、あまりによく知っているからかも知れません。世界とはそんなものです。そんなものであることが許せません。
 そんな世界のなかで、お話は何かをなせるのでしょうか。何もなせないのかもしれません。でも、森を守れないからと言ってジークリートは逃げ出しはしませんでした。わたくしも森の奥をめざして歩き出そうと思っています。>
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 「ハマン老人のような境遇」とは第一次世界大戦で焼け出されたことを言っています。「ミンナように精一杯努力する」(ミンナ「の」が脱字?)とは、留学までしていること、老人に積極的に会いに行っていることなどを指します。「ジークリートは逃げ出しはしませんでした」というのは、人形劇の中で、国王の命令によって森を焼かれたジークリートが、森の妖精を助け出そうとして逃げ出さなかったことを言っています。そして「世界とはそんなものです。そんなものであることが許せません」というのがこの作品の最も重要なところだと受けとめました。「作者の心の中に大きな悲しみがあ」ったというのは、それと関連しているのは当然のことです。
 できれば作品の全文引用の欲求に駆られていますが、それは叶いません(著者が日本ペンクラブの会員なら電子文藝館に掲載できるのですが、残念ながら…)。是非お求めになって読んでみてください。10代後半くらいの青年に伝えたいとも書いてありますから、高校の副読本としても最適でしょう。



麻生秀顕氏詩集『草原の草原のアクシス』
21世紀詩人叢書47
sogen no sogen no akusis
2002.12.20 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 1900円+税

 若乃花の夜

深夜三時
仕事の区切りがついたことにして
眠りに就こうと思った
連日の徹夜なら厳しいが
ときどきは会社に一泊して
ひとけのない静かなオフィスで
仕事をするのが好きなのだ

常備している寝袋を敷きながら
22階の窓の外を眺めた
神奈川の夜の灯りが
人工的な星の草原のように
広がっていた
それは
ガラスの仕切りの向こう側にある
冷たくもなければ暖かくもない
群れの灯りだった

寝袋のなかに入っても
鋼板をじゅうたんで覆った床の硬さが
伝わってくる気がした
自分がまるで
置き去りにされた人形のように
少しずつ壊れはじめていることを知る

小さくて淋しい夜

眠れない頭で
若乃花のからだのことを考えていた
たぶんあの人の鍛えぬかれたからだには
無数のひびがふかくあさく縦横に
腐蝕した陶器のように走っているのだろう
力を込めようとすればするほど
ぽろりと肉体がむしり落とされる衰えを
引き受けること
それが「引退」と呼ばれる

うっとうしい「お兄ちゃん」
俺のからだはまだ大丈夫です
でも俺は今
「引退」のきかない世界にいます
仕事をやめるわけにはいかないし
詩にしても
詩を書く人たちは引退できないのでみな無残です

ねえ
ぼくはなにになりたかった?
こうしておふぃすにころがっているのも
それになりたいからなの?
そこへはどうしたらいけるの?
おしえて だれか
おしえてよ
 (2000年3月 若乃花引退の報を聞いて)

 最初にお詫びいなければいけないのは、表紙の写真です。下4分の1が黒くなっていますが、原本は金色です。スキャナーでは表現できないようです。
 作品は「
若乃花引退」と「俺」「ぼく」の引退を掛けていますけど、同じサラリーマン同士、よく判りますね。「少しずつ壊れはじめていることを知る」「仕事をやめるわけにはいかない」は実感があります。もっとも、私はあと6年で引退になりますから、作中人物より気は楽ですけど…。秀逸だなと思うのは「詩にしても/詩を書く人たちは引退できないのでみな無残です」というフレーズです。まさにその通りなんだろうと思います。こんなこと書いた人、いたかな?
 最終連もおもしろい。本当に「ぼくはなにになりたかった?」「おしえて だれか」と言いたくなりますね。そんな現実のサラリーマンの哀歓を見事にうたいあげた詩集だと思いました。



瀬崎祐氏詩集『風を待つ人々』
kaze wo matsu hitobito
2002.11.30 東京都新宿区 思潮社刊 2200円+税

 深海病棟について

灯台にも似た構造の隔離病棟で 意味のない笑いをおたがいにうか
べながら私たちは螺旋階段を上っていく
あなたの二の腕に抱えられた鋭利な診察器具が 斜めに射し込む光
を鈍く反射している
こうして 人影の絶えた週末の午後に 各階に一部屋ずつ設けられ
た病室で 慢性疾患を病む老婆たちを診察すること それが 私た
ちの密かな任務だ

吹き抜け部分の天井に近いあたりでは チンダル現象を起こした気
流が いくつかの中心を形作りながら渦巻いているのがわかる
色ガラスをはめこまれた窓も 奇妙な形でゆがんでいる
そして私は見てしまう 窓の外に揺らめいている藻のようなものを
その至るところに付着して私たちを凝視している義眼のようなもの


紅潮したあなたの横顔を盗み見ると あなたは白濁した深海魚の瞳
で 全身を小脚みにふるわせている 針のように狭い部分を抜けて
どこまでも 帰っていこうとするかのように
すでに あなたは頭の先から濡れはじめており 下着をつけること
も許されない体に密着した看護服は 柔らかい膨らみをあらわにし
ている
そして 深緑色の苔のようなものを一面に浮かべた水滴をその足跡
ごとに 残してきているのだ

老婆たちのほとんどは 原因不明の口渇状態を示している
そのため つねに薄い唇を舌で混らせながらあえいでいるのだが
異様なまでに発汗は亢進しており 皮膚をなま暖かく光らせている
恐れなのか 暗い病室には黴が繁殖し始めているのだが 風を嫌う
老婆たちは 窓を開けようとはしない

こうして ガーゼを膿と血糊で汚しながら 私たちは次第に最上階
に近づいていく
鳴咽? あなたは泣いているのだろうか?
いや あれは屋上に干されたままの包帯のはためく音 ここから見
えるのは 揺れている泰山木 吹き飛ばされた記憶の破片ばかりな
のだから

やがて陽が陰り 空の高さがわからなくなる頃 最後に残された黴
だらけの病室で 無数の義眼に見つめられながら 私たちの淫らな
儀式が始まる

 この作品の中であまり重要とは思えないのですが、気になるのでまずは言葉の説明から。「チンダル現象」またはティンダル現象について。
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 〔Tyndall phenomenon〕多数の微粒子が不規則に散在する透明物質内で光が散乱されたとき、入射光に対して傾いた方向から眺めると光の通路が一様に光って見える現象をいう。ティンダル(村山註:1820〜1893イギリスの物理学者)がはじめて注目したもので、この場合の散乱光をティンダル散乱光という。青空の光、コロイド溶液とくに疎液コロイドによる散乱光などがこれに属する。この現象はレイリー散乱(村山註:大きさが波長の約1/10以下の粒子によっておこる、波長変化を伴わない光の散乱。空が青いことの説明に応用できる)によるものとして説明される。「岩波理化学辞典第4版」
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 喩えが古いのですが、要するに雨戸の節穴から差し込んだ光を想像すればよいのかもしれません。作品の中では「螺旋階段」と関連させて「いくつかの中心を形作りながら渦巻いている」という部分と呼応させて読むと良いと思います。
 非常にイメージの鮮明な作品で、書かれている世界のひとつひとつが絵になるようです。しかし現実とはちょっと違う。現実と想像の世界のあわいを描いているように思えてなりません。「老婆」に対する「私たちの淫らな儀式」とはなんだろう。「深海病棟」というのですから、人間の潜在意識を探っているのかもしれませんね。不思議で魅力的な作品です。
 同じように「筐の中の娘」「伯父さんを訪ねた話」「父と休日を過したこと」「指先の我が子」「遠い花火」などの作品に惹かれました。H氏賞や日本詩人クラブ新人賞をとるような詩集に思えました。



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