きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2003.1.16(木)
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年金についての説明会がありました。会社の年金基金が解散して、各自の持分は各自が勝手に運用せよ、ということらしいのですが、こういう分野にはまったく興味がないので困っています。まあ、どこに預けてもそんなに儲かるわけはないので、将来の年金はアテにしないで暮せ、ということだと解釈しています。社会保障は大事だけど、それに過度に依存できる時代ではないと思っていましたから、ある種の覚悟はできているつもりです。文章を書いて生活できるのが理想ですが、まあ、無理だろうなぁ。慎ましくおブンガク≠フ世界に浸って生きられれば、それでよしとするつもりです。
○隔月刊詩誌『RIVIERE』66号 |
2003.1.15 大阪府堺市 横田英子氏発行 500円 |
惜日/小野田
潮
若者たちのシルェットが流れていく
まばゆいイルミネーション
二○○○年の大晦日
わたしたちはシャンゼリゼ通りを歩いた
ひとつの世紀が幕を閉じるとき
わたしたちは喧噪のなかをすり抜けた
知人の訃報を知らされて
すこし沈んで
青空を仰ぐ
山の端にかかる雲は
つかのまのいのちだ
純白の層から不意に
スメタナの「我が祖国から」の旋律が響いてくる
モルダウの水は断えることなく
ゆったりと流れているだろう
時代は終わることはない
終わるのはわたしである
街路樹のこもれびが
ことしの秋も
舗道のうえで揺れている
静かな作品で、まさに「惜日」を感じさせます。「時代は終わることはない/終わるのはわたしである」というフレーズが主題ですが、私もようやくこの意味が判る年代になったなと思っています。「シャンゼリゼ」「モルダウ」と、舞台は華やかですが、その裏で静かに流れて行く「時代」。それを見つめる詩人の眼。そんなものを感じさせる作品だと思いました。
○詩と童謡『ぎんなん』43号 |
2003.1.1 大阪府豊中市 ぎんなんの会・島田陽子氏発行 400円 |
すごいこと/萬里小路百合(15歳)
電車の中 知らない人が前に立つ
生まれた所も
生活してきた所も
考え方も
友達も
ご先祖さまも
全部ぜーんぶまったく違ったその人と
今 同じ電車にのっている
これって すごいことだよ
それでね
どうぞって一言 席をゆずったりしたら
もっとすてきなきせきになるよ
こういう「すごいこと」というのは時々感じるのですが、この詩のすごい≠フは、「どうぞって一言 席をゆずったりしたら/もっとすてきなきせきになるよ」というフレーズですね。私などでも電車の座席に座って「すごいこと」を思うのですが、席をゆずって「すてきなきせき」を見たいとまでは思いませんでした。若い人の瑞々しい感性を感じさせてくれる作品です。
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