きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

  kumogakure  
 
 
「クモガクレ」
Calumia godeffroyi
カワアナゴ科

2003.10.18(土)

 東京・有明の「船の科学館」に行ってきました。沈没した北朝鮮の不審船が展示されているので、一度見ておこうと以前から思っていました。意外に小さい船でしたが、漁船を装っていたから当然かもしれませんね。2連装の機銃なども展示されていて、軍艦なんだなとつくづく思いました。

    031018

 写真は船尾から見た全体像です。海上保安庁が発砲した銃弾の痕も生々しいものでした。こんな船が日本近海をウロウロしているのかと思うと、確かに気持悪いですね。北朝鮮にはいろいろと思いがありますけど、人治社会でなく法治社会になってもらいたいものだと思います。



  季刊詩誌『裸人』18号
    rajin 18    
 
 
 
 
2003.10.10
千葉県佐原市
裸人の会・五喜田正巳氏 発行
500円
 

    怠惰な夏    五喜田正巳

   お墓の掃除は 女の仕事だ
   と ずっと思っている
   やがて自分の入るところ
   自分で掃除したら気分がいいだろうか
   それも面倒だ
   そんな家に来た女房だが

   たまには座敷で食事したら
   と 言うのだが
   こちらの方が落ち着く
   と 厨で一人 食事をする
   下女的な風習に慣らされて来た
   女房は 炬燵に坐るときも
   上りがまちに近いところを動かない
   強情と言えば言えなくもないが

   お墓へ行くのは男が先と
   だいたい相場が定っている
   その男のために
   女は掃除をする
   仏壇に灯明をあげ
   線香をともすのも女の役目
   と 思っているわたしは
   女房の鳴らす鉦の音を聞きながら
   お茶を飲み
   今日のデートを考えている

   男はつらいよ
   柴又の寅さんの声がする
   いつも棚の上にのっているようで
   本当は もて遊ばれているのだ
   と この頃になって気がついた
   労ってあげようと思いつつ
   体の衰えを理由に 何もしないでいる
   意気がって過した若い日を
   懐しむだけお墓に近いということか

   仏壇の鉦が急に大きく鳴った
   厨の煮物が気になるのか
   足早に過ぎる女房の 風が
   わたしの頬をなぶった
   今年の夏も暑いかも知れない

 いいタイトルだな、と思います。タイトルとは矛盾するようですが、最終行とも呼応して全体を引き締める役割をしているのではないでしょうか。何気ない日常を描きながら人生の深遠を見せてくれる、そんな作品だと思います。「足早に過ぎる女房の 風が/わたしの頬をなぶった」なんて表現も、凡人にはちょっと出てこないかもしれません。視点、構成と勉強させていただいた作品です。



  綾部清隆氏詩集『傾斜した縮図』
    keishasita syukuzu    
 
 
 
 
2003.10.10
札幌市中央区
林檎屋刊
1800円+税
 

    信号機

   赤い目を剥き出したまま
   不自然なポーズで
   一分・・五分・・十分・・・
   ここでは時間の流れが
   せき止められている

   やがて むこうの曲がり角から
   早春の風に背を押されて
   ひとが一人と車が一台

   細い道路には
   生活の縮図が
   ひっそり息づいている
   待つという刻の深淵に
   身を沈ませて

   時刻表の錆付いた
   バス停に寄りかかっていると
   現在の存在が
   時間の静寂さと重なって
   しなやかな少年になる

   昨夜
   切っ先を喉元に突き立てられ
   棺のような空間で
   ことばと対峙したことなど
   すっかり忘れて

 最終連が見事な作品だと思いました。「ことばと対峙したことなど」というフレーズから、おそらく詩論を闘わせたことを言っているのではないかと想像しています。「切っ先を喉元に突き立てられ/棺のような空間で」というのは私も身に覚えがありますね。その前の連の「しなやかな少年になる」というフレーズがよく効いていて最終連を引き立てていると思います。
 ここでの「信号機」は工事用なのか定常的に使われているものなのか判りませんが、「待つという刻の深淵」を表現する素材としては最適かもしれませんね。日常、眼にするものの視点を変えることによって心理を表現する、そんな巧みな作品だと思いました。



  森井香衣氏詩集『光のオマージュ』
    hikari no omaju    
 
 
 
 
2003.9.20
東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊
2400円+税
 

    残照

   おいしい水の
   おいしい空気の
   請求書が届く

   開墾できる土地はすべて耕された
   神域もすでにない

   手のひらには秋海棠の葉が一枚あるだけ
   
Yanがわたしのなかにとけていく
   円柱をめぐり日時計の針がきみにちかづく
   わたしの影もながく醜くだが顔は新しくつくられている
   あらゆるものが追いかけてゆく
   黒豹やかたつむりでさえ
   大理石の床を
   嘆きよ!翼をつけてわたしの肩にとまっておくれ
   明快な姿が美しい鳥のように

   あしたはまだ遠いところをさ迷ってはいるが
   嘆きを翼にかえて そのとき きみの
   優美な音色に
   水鶏
(くいな)は羽をひろげ
   水しぶきが虹にかかっているだろう

   Yan 三千年後にまためぐりあうとき
   わたしは花に飾られた少女になりたい
   土をはらいのけると
   「幸せな時代をすごしました」と木簡を胸にいだいて

 第1連でドキリとしました。「請求書が届く」のは「三千年後」なのかもしれません。それとも「三千年後」である現在? 作品では未来形が多いのですが、双方であると考えて良いでしょう。「残照」も過去・未来の(あるいは現在の)姿と採れます。「幸せな時代をすごしました」という言葉はアイロニーでなく、そのまま素直に受止めています。「
Yan」は、他の作品でも出てきますけど人名で良いと思います。
 時空を越えた壮大なスケールの中に繊細な感受性が見える、稀有な詩集と云えましょう。



  大谷武氏 詩写真集『鏡のなかの私U
    gradation blue    
 
 
 
 
2003.10.27
栃木県宇都宮市
下野新聞社刊
1200円+税
 

 昨年2月に出版された『鏡のなかの私』の続編です。T版をご覧になりたい方はこちらへどうぞ(ブラウザの戻る≠ナ戻ってきてください)。
 副題に「gradation・Blue」と付いています。T版と同様に若い女性がひとりで街に出てきて恋のこと、人生のことを考えるという設定になっています。紡ぎ出された言葉のいくつかを拾ってみましょう。

   雑踏。
   なんて魅力的な響きだ
   こんな静かな場所はない

 いいですね。「雑踏」の後にだけ「。」があることにも注目してください。

   友情なんて。
   みんな
   愛のバリエーション

 これも判りますね。判るけど、改めて言われてみると本当に判っているのか自問したくなります。

   赤い糸で結ばれている
   綺麗な日本語だ
   わたしの糸も
   血に染まっている

 結局、結ばれるということはそういうことなのかもしれません。血も流さず「綺麗な」結びつきなどない、ということでしょうか。
 紹介し始めるとキリがないし、市販の本ですから差しさわりがありますのでこの辺にしておきますけど、写真集としてももちろん楽しめます。モデルの女性はほとんどが無表情に近いのですが、たまに笑顔になっています。それでとても良い、とつけ加えておきます。




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