きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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「クモガクレ」 |
Calumia
godeffroyi |
カワアナゴ科 |
2003.11.15(土)
詩誌『さやえんどう』同人・いしいさちこさんの第一詩集『おじいさんのうた』の出版記念会があり、出席してきました。小田急線「新百合ヶ丘」駅近くの「旭寿司」本館という処でやりまして、30人ほどのこじんまりとした会で、いい集りでした。ここのところ詩人の会には出席していなかったのですが、これは無理をしてでも行こうと思いましたね。詩を書き始めて2年だそうですが、とてもそうは思えない素晴らしい詩集です。それに感動して是非出席しようと思ったのです。
ご本人も素敵な女性でした。おしとやかな中にも筋の通った姿勢が感じられ、以前は中学校か高校か忘れましたが教師だったそうで、生徒に好かれる先生だったろうなと思いました。集まったメンバーも斎藤まもるさん・相沢史郎さんを始め錚々たる人たちばかりで、私も久しぶりに歓談させてもらいました。
詩集はこのHPでも紹介させていただいております。簡単な紹介で申し訳なかったのですが、こちらをご覧ください。
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2003.10.15 |
北九州市八幡西区 |
『天山牧歌』社・秋吉久紀夫氏
発行 |
非売品 |
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シシカバブー 秋吉久紀夫
シシカバブー、言い慣れない発音だが、
聞いた途端にすぐにも涎(よだれ)が垂れそうな感じ。
まして串(くし)に数珠つなぎに刺されて、
紅々と燃える無煙炭の焔に炙(あぶ)られながら、
ふわりふわりと漂い来る匂いのなんと芳しいこと。
漢字では「拷羊肉串(カオヤンローチュワン)」とつづるが、
もともとはチュルク語から広まったことば。
羊の肉を小さく薄切りにして、鉄串に刺し、
火に焼きながら唐辛子を振りかけ、
塩と安息茴香(ういきょう)を少々加え、数分するとでき上がる。
食通といわれる中原(ちゅうげん)の漢族のひとびとでも、
ここシルクロードでは口を盛んに動かしながら、
親指を突き出して「すばらしい」という仕草。
シシカバブーの味の源泉を辿り始めると、
素朴な古代人の暮らしが山間(やまあい)の薄霧のように蘇る。
前漢時代の墳墓だった洞庭湖のほとりの
馬王堆(まおうたい)の地底より牛や鹿の肉の串刺しの遺物が、
二〇〇〇年前の状態で出土したと聞くが、
いやはや紀元前一〇〇〇年の正真正銘の代物が、
天山南路の且末(チエモー)の熱砂の中で見つかっている。
細長いが、ややくねった紅柳(ぎょりゅう)の二本の枝に、
串刺しにされ焼かれる前の雄羊は、その頃、
どんな香料をまぶして、神に捧げられていたのか。
わたしはいつのまにか絶壁をずり墜ちる
仔羊(こひつじ)となり氷河期のボグダの山脈(やまなみ)を彷徨(さまよ)っていた。
2003・4・30
*紀元前一〇〇〇年のシシカバブー。新疆ウイグル自治区且末県扎魯洪克(チャルーホンコー)郷で出土。現在、ウルムチの新
疆博物館に陳列されている。
「シシカバブー」というのは聞いたことがありますが、食したかどうか定かではありません。作品からは豪快な感じを受けますね。「シルクロード」の「素朴な古代人の暮らし」を偲ばせる作品だと思いました。続く「飛沫を上げる孔雀河」、シルクロード文学紀行(7)「庫車にて」とともにシルクロードの歴史と現在を堪能させていただきました。
なお、現在のインターネットにおける日本語処理ではルビがきちんと表現されません。止む無く新聞方式としてあります。ご了承ください。
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2003.10.1 |
奈良県奈良市 |
樹音詩社・森ちふく氏
発行 |
400円 |
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黒アゲハ 結崎めい
朱赤色の鮮やかさに
まどわされたのか黒アゲハ
ヒラリヒラリ
そりかえった花びらに
まとわりついている
誰が名づけたのか鬼百合と
下をむいて咲いて
はずかしそう
花びらだけはそり返る
色香にひきつけられて
ぶらさがり
ハネをひらひら黒アゲハ
風にふかれても
鬼百合にぶらさがり
ゆれている
ぜんまい状の菅は花芯の
蜜を吸う
甘いのかにがいのか
鬼百合の花びらは
色あせることなく地に散り
黒アゲハは
深い黒になり
睦みあう
あの男(ひと)の生れかわりか
黒すぎる黒アゲハ
「黒アゲハ」と「鬼百合」の姿がきちんと描けている詩で、情景が鮮やかに思い浮かべられる作品だと思います。特に第3連の「下をむいて咲いて/はずかしそう/花びらだけはそり返る」という表現は「鬼百合」を見事に表現していると云えるのではないでしょうか。
やはり最終連がいいですね。ここで主題がはっきりと判って、「黒すぎる黒アゲハ」という言葉も巧いと思います。構成も成功している作品だと思いました。
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2003.12.15 |
東京都中央区 |
日本文学館刊 |
2000円 |
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と き
琥珀色の時間
梅酒を氷で割った
グラスの中の淡い琥珀色
何年経っただろうか
あの明るい初夏の昼下がり
手に触れた大粒の青い実 ひそかな期待
喉を流れるほんのり甘い酔の寂蓼
人生もこんな風にまろやかに
時を重ね 生き老いて行けないものか
男たちはまた 人生論に移(な)った
いや、ただの日常を生きる話である
額を染め熱論を飛ばしたあの若い日の
研ぎの極みはもうない
酒は弱くなったが真摯さをそのまま
余分な言葉を落として
自分なりの確かさを掴んでいる
しばし酒を酌み交わす沈黙の間(ま)を
すべり込む懐旧のおもい
記憶の簾を通すまだらなきらめき
もう一度グラスを合せるその表情深く
明日へ 静かに燃え立つ琥珀色の時間(とき)
詩集のタイトルポエムです。「琥珀色の時間(とき)」とは「余分な言葉を落として/自分なりの確かさを掴んでいる」ときなのだと納得できますね。著者は長く出版関係のお仕事をなさっていたようで、仕事上の悩みや家庭でのこと、肉親のことが多く収められていました。もちろん全てが順風満帆であるわけがなく、山あり谷ありだったようです。でも現在は「琥珀色の時間(とき)」と受止めてよいと思います。私などはまだ「琥珀色の時間(とき)」にはちょっと間がありますが、こういうふうに表現してもらえると希望が持てます。拝読してさわやかな気分になった詩集です。
なお、現在のインターネットにおける日本語処理ではルビがきちんと表現されません。止む無く新聞方式としてあります。ご了承ください。
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2003.11.15 |
大阪府堺市 |
横田英子氏 発行 |
500円 |
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土とともに(4) 殿井善隆
―― 土のなか雲のなか ――
丘を削って切り開いた広い貸農園
その一点に立って 鍬をふるっている
周囲にはまだ林が残っている
十一月の半ばには
青首でほどよく太った大根がとれる
おでんに煮込むとたいへん旨いのだ
楽しみな 秋の味覚
九月のはじめには 種を播こう
今 堆肥を入れて 深く耕している
炎天下に したたる汗
辛うじて 心臓のポンプが
備中鍬を振りおろしてくれる
アッ 蟻塚を掘り返した
恨まないでくれ 天変地異だ
逃げまどう黒い集団
曝け出された白い繭がひかる
次には ミミズを切り分けた
ふた筋になって踊る ごめん
テッペンカケタカ テッペンカケタカ
周囲の林で ホトトギスが鳴きだした
テッペンカケタカ テッペンカケタカ
間断なくつづく鋭い囃し方
その声に誘われるように
足がふうっと浮きあがって
雲のうえで鍬を振りおろしている
テッペンカケタカ
テッペンカケタカ
(〇三・八・二)
まさに「土とともに」の作品ですね。私の家の裏にも80坪ほどの小さな畑があって、百姓のまね事をたまにやります。ですから「楽しみな 秋の味覚」という感覚は理解できます。畑仕事は、この作品からも平和さが感じられますが、そういうものなのかもしれません。
最終連が見事だと思います。「雲のうえで鍬を振りおろしている」なんて、なかなかの感覚と云えましょう。「土のなか雲のなか」を楽しんで耕している様子にホッとしたものを感じた作品です。
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