きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり

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小田原・御幸が浜にて
1979年
 
 

2004.4.3(土)

 日本詩人クラブの現代詩研究会が東京・神楽坂エミールで開かれました。2月の研究会に続いて今回も沖縄からEメールによる参加があって、万全の準備をしたつもりだったんですがね、失敗してしまいました。クラブの経費取り扱いの便利さから、自宅に放ってあったプリペンドカード式の携帯電話で通信を試みたんですけど、NIFTYとの接続が出来ません。もちろん事前に確認しています。理由はいまだに不明。いつも使っている携帯電話でも試しましたが、これも駄目。
 今日は交信できないかもしれないと諦めていたんですが、2月にもお世話になった会員のPHSを借りたら、見事に繋がりました。それで何とか事なきを得ましたけど、悔しいですね。次はもう失敗は許されないのでPHSを買ってこようと思っています。

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 パソコンの左に携帯電話2台、真ん中の白っぽいのがPHSです。3台も並べてバカみたい…。プロジェクターを使う関係でカーテンを閉めてあって会場はちょっと薄暗いですが、討論の内容は明るかったですよ。沖縄から参加した人たちは18〜23歳という若さ。東京の会場に居る人からしてみれば子や孫の世代です。沖縄への作品評もそのせいか好意的でした。会場の発言を打ち込む私としてはシンドかったけど、若い人たちがこれから世に出てくるきっかけになれば嬉しいものです。でも、システムをもう少し考えないと東京にとっても沖縄にとっても中途半端になるなぁ。それを考えるのも私の仕事のようです。



  詩誌『交野が原』56号
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2004.5.1
大阪府交野市
交野が原発行所・金堀則夫氏 発行
非売品
 

         ティアン ユアン
    樹    田   原
    
――谷川俊太郎の「木」を読んで

   樹はわれわれが死んだ後の衣服である
   いろいろな形でわれわれの硬直した体につける
   そしてわれわれの白骨と一緒に地下で腐敗する
   あるいは火に焼かれて
   一つの小さな箱の灰と化す

   樹は間違いなく最初にこの世にやってきた一族である
   一生沈黙の言葉は
   すべて葉になった
   命の年輪は肉体の中に咲く

   地上の樹 石の上の樹
   砂漠の中の樹 水中の樹
   空中の樹すらも
   開花し緑をひろげ
   そしてたくさんの実を結ぶ

   しかし この世の中では
   樹はとこしえに
   たやすく壊滅される運命から逃れられない

   われわれが生きているとき
   木の下で涼み 雨宿りする
   あるいは樹を切って暖を取り 家を建て 家具を作り……
   われわれが樹に与えた傷は
   遥かに大自然を超える

   われわれは常に木の屈強な面を見落とす
   例えば雷に打ちさかれた大木は
   少しも怯まずに聳える半分の体が
   大地を突き抜いた利剣のように
   天空と刺し合う

   なぜ死後われわれは樹の服を着て
   地の下に埋められるのだろう
   われわれの魂の落ち着くところが
   地下で樹の根と抱き合うのを
   渇望するからではないだろうか

 作者についてちょっと説明が必要かもしれません。「編集後記」には次のように書かれていました。

   ☆以前「交野が原」にアメリカミシガン
   州生まれのアーサー・ビナード氏に、日
   本語の詩を何篇か発表してもらったこと
   があったが、今度は中国河南省生まれの
   田 原(ティアン・ユアン)氏に日本語
   の詩を寄せていただいた。田氏は、19
   91年日本に留学、詩集「北京東京詩篇」、
   訳詩集「谷川俊太郎詩選」などがあり、
   また、中国における日本現代詩の紹介を
   されている。

 それで「
――谷川俊太郎の『木』を読んで」と副題があるのかと納得しました。残念ながら原作の「木」は読んでいないのですが、それを離れても1編の詩として成立していると思います。特に最終連がいいですね。現在の日本では火葬になっていますから、滅んだ肉体が「地下で樹の根と抱き合う」ことは無くなってしまいましたけど、骨として地下に葬られることは多いと思います。都会のコインロッカー式の納骨場に置かれるのを別とすれば、墓という形でいずれ「地下で樹の根と抱き合う」ことになります。それを「渇望」しているのかと改めて認識した作品です。



  詩誌GRAIL-2004』春号
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2004.3.15
埼玉県さいたま市
龍生塾・山岡 遊氏 編集
800円
 

    (おぞましく、も、)そして、詩人、も、    佐伯多美子

   木は千年立っていた。

   *

   境内の古い祠で詩人たちが向きあって、
   今、詩の奉納の儀式が執り行われる。

   慇懃な詩人たちの唱和からはじまり、既に、
   妖気は、足もとにただよいはじめる。
   生(なま)のことばは生々(なまなま)しく、
   生気を吸い取る。
        (臓物を食いちぎられているようだ。)

   生々しいことばは、
   千年の木にまとわりつき、平熱を保ちながら、
   木から生ずる、気、で、あたりは充満している。

   夏のむんむんする熱気から、
   今、息絶えようとする蝉が急落下する。
   これも、いのち。

   *

   詩人のことばが飛び交いながら、
   魑魅魍魎を発している。
   おのれを、食い破ってそんざいする、
   たましい。

   気、は、
   おぞましく、も、裸体だ。
   そして、
   詩人、も、

   魑魅魍魎は徘徊し、千年を生きのび、
   気、に、とり憑き、詩人、に、棲む。

   存在の業(ごう)に、黒くひかる、たましい。
   性(さが)かなしい。
   えいきゅうに、死ねない、宣告。

 なるほど「木」も「気」も「そして、詩人、も、」同類なのかと納得してしまった作品です。しかもその基が「魑魅魍魎」であるとは! 「気」も「詩人」もそれに「とり憑」かれたものだとは判りますけど、「木」もそうなのだというのは新しい発見ではないでしょうか。もっとも、「千年」も生きていれば何があってもおかしくはないですね。
 最終連の「えいきゅうに、死ねない、宣告。」は怖いフレーズだと思います。考えてみれば、実際に5000年、6000年と生存している木は、この先何年生きるのか誰にも判りません。まさに「えいきゅうに、死ねない、宣告。」を受けているに等しいでしょう。そういう「存在の業」が実際にあるのだと教えてくれた作品です。



  今辻和典氏訳詩集『柏楊詩集』
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2003.10.16
台湾・台北市
遠流出版事業股有限公司 発行
200元
 

    我來緑島

   我來緑島時 状如待烹拘 胸背縫數字 一三一二九
   兩人共一栲 繩索縛雙肘 満目皆兵衛 飛機壓頂吼
   巨艦載千里 横臥甲板首 烈陽似火焼 甲板煬炙手
   陣雨衣盡濕 陣風百骨抖 歴盡三晝夜 仍見笑開口


    緑島への護送
      ―― 一九七二年四月、政治犯は台北から緑島に移送され、国防部感訓
        監獄に収容された。

   緑島に移送されし時は     煮られる犬なみの扱い
   胸と背に縫い付けられた    番号は一三一二九
   ふたり一緒に手錠をかけられ  両腕は縄で縛られたまま
   周りは衛兵がびっしり     頭上には飛行機の威圧音
   巨艦に乗せられて千里     甲板の先首に横たわらされ
   灼熱の太陽は火と燃え     甲板は手に灸するごとく熱く
   にわか雨に衣服はずぶ濡れ   突風来ると百骨が震える
   まるまる三昼夜の長き間    冷笑と揶揄に晒されていた

 1968年から1977年までの9年と26日間、冤罪により政治犯として収監されていた
台湾の詩人・柏楊氏の、収監時代を描いた訳詩集です。夫人の張香華氏は、夫を待つ身としての詩集『愛する人は火焼島に』を刊行しており、拙HPでは1999年8月29日の頁で今辻和典氏訳として紹介しています。
 訳者はこの詩集に関して、原詩と対照させて掲載したかったが出版社の都合で訳詩のみとなった、と記し、資料として一部の原詩を添えています。ここではその中から対照できる1編を載せてみました。「緑島」(旧名:火焼島)に冤罪で護送される詩人の無念さがよく表現されていると思います。原詩の格調の高さも味わっていただけるのではないでしょうか。

 本著には VIDEO CD も添付されていて、さっそくパソコンで鑑賞しました。張香華夫人による「愛する人は火焼島に」の朗読は、フルオーケストラによる演奏と合唱団のコーラスがあり、沈鬱な序章から晴れやかな終章へと音楽的にも高い位置にあると感じました。「緑島」の風景と監獄も映し出され、作品の舞台を映像として理解することができます。
 
柏楊氏は出獄後の1991年に国際桂冠詩人賞を受賞、1994年国際アムネスティ中華民国総会の創立会長となり、現在も多数の著作を刊行しているそうです。益々のご健筆を祈念します。




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