きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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桜(春めき)
2005.3.25
神奈川県南足柄市・春木径にて
 

2005.3.29(火)

 帰宅してメールを見ると、日本ペンクラブ電子文藝館の仕事が入っていました。主権在民史料の部屋に掲載する、経済学者・大内力氏の論文「
ファシズムへの道 準戦時体制へ」(1974中央公論「日本の歴史」所収)の校正でした。校正をする場合の私の基本として、内容にのめり込まないということを鉄則にしていますが、これは駄目でした。もう30年も前に出された論文ですが、現在の日本を言い当てているようで怖いほどです。世界のファシズムと日本の天皇制ファシズムの違いを述べたくだりは圧巻で、日本人の特質を見事に現しています。
 私の校正の他にあと数名がやりますから、日本ペンクラブのHPに掲載されるのは1週間後でしょうか。是非読んでいただきたいものです。憲法九条をないがしろにする勢力はどうして発生するか、それに対抗するには何が必要かが理論的に解明されています。経済学のダイナミズムが少しは判ったような気になっています。




季刊詩誌『竜骨』56号
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2005.3.25
埼玉県さいたま市
高橋次夫氏方・竜骨の会 発行
600円
 

    菊日和    伊藤幸也

   みちのく山形は
   ふるくから
   紅花
(べにばな)の里として遍く知られているが
   いまや その栽培は
   在所の名残りのように
   僅かな農家が
   ほそぼそ丹精するだけという
   車窓からの眺めでは
   咄嗟に指さされても
   どれが紅花なのか
   アッという間の景観だから見さだめ難い
   紅花は もはや
   以てのほかの現況なのだろうか
   ――以てのほかと言えば
   山形の在では
   ずばり 食用菊のこと
   その旬
(しゅん)の旨さは
   おひたしでも 三杯酢で食しても
   懐かしい風味があり
   食膳には欠かせない佳肴の一つ
   黄色の和らぎも目に楽しい
   やがて 列車は
   遥か山脈
(やまなみ)
   壮大なうねうねを一望しながら
   いちめんが
   日射しにきらめく
   明るい平野へ と差しかかる
   その黄金色の
   まるでさざ波のような
   風景のまぶしさに圧倒される
   (あれが 以てのほかの祝祭)
   ほどなく 重陽の節句
   それを目前にして
   この眺望は
   以てのほかの 眼福
                
(『竜骨』第三十五号より)

 今号は昨年12月に亡くなった伊藤幸也氏の追悼号になっていました。伊藤幸也氏の作品は拙HPでも
2003.3.31の部屋で48号の「放電」という詩を紹介しています。よろしかったら合せてご覧になってください。
 『竜骨』の紹介は38号からですから35号の「菊日和」は紹介していませんでした。拝読すると伊藤幸也という詩人のおおらかさが良く伝わってきます。最終行の「眼福」という言葉にそれが端的に現れていると思います。お会いしたことはありませんが、作品から懐の深い人だったのではないかと想像できますね。ご冥福をお祈りいたします。



個人詩誌Quake12号
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2005.3.25
川崎市麻生区
奥野祐子氏 発行
非売品
 

    小さな決意

   思い出はすぐ コトバにならない
   衝撃はすぐ コトバにできない
   待たなくては
   待って 待って 待ち焦がれなくては
   ほんもののコトバは来ない
   たいていの人は だから あきらめる
   誰かの 似たようなコトバで
   静かに 自分の傷口をふさぐ
   まずは 血を止めなくては
   生きていかなくてはならないから
   だけど どんなに 時がたっても
   わたしだけが知っている
   あの瞬間の ヒトのまなざし
   ヒトのにおい
   ふれた感触
   温度 息づかい
   そして痛みは 決して消えない
   澱のように それは
   心や体につもりつもって 待っている
   ある日 突然 空からおりてくる
   ほんもののコトバの刃に
   切り裂かれ 切り刻まれ
   平穏なはずの日常に
   はげしく ふきこぼれるのを
   悲しみが よろこびにかわることはない
   痛みが ゆるしにかわることはない
   わたしは 待つよ 待ち焦がれるよ
   ひどい痛みに泣くかもしれないけど
   たくさんの血が流れるかもしれないけど

 「待つ」ということについて考えさせられます。ここでは「コトバ」を待つのですから詩や文芸と考えて良いのでしょうが、言葉そのものと捉えても良いと思います。言葉を得ることだけが目的、と考えた方が作者の気持に近づけるように思えるのです。「悲しみが よろこびにかわることはない/痛みが ゆるしにかわることはない」というフレーズにそれを感じます。少なくとも詩にすれば「悲しみが よろこびにかわ」り、「痛みが ゆるしにかわること」が多少はありますからね。
 見方を変えると、それさえも(詩にすることさえも)拒否しているように受け取れます。逆説的には、それを詩にしたのだ、と捉えてみました。「小さな決意」どころか、大きな意味のある作品と云えましょう。



河津みのる氏著『詩のつくり方』
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2002.5.1
東京都中野区
私家版
500円
 

 副題に「詩は誰にでも書ける」とあり、この本が出来たいきさつを著者は「あとがき」で次のように述べています。

    詩とのかかわりをエッセイに書こうとしたら、引用が
   おおく、しだいに長くなってしまった。
    それならと、いっそのこと「詩のつくり方」にして、
   仕上げようとしたら、引用したい詩が次つぎと出てきて
   きりがなくなり、長い詩はカットせざるを得なかった。
    エッセイ部分は、かわさき詩人会議の「会報」などに
   発表してきたものもあるが、自分としては書き下ろした
   つもりである。勤めをやめて、自分の時間ができる思い
   きや、生活上のこと、労働者の闘いや、かかわっている
   住民団体、文化団体、文学団体など、けっこう忙しいも
   のだ。その忙しさに流されまいと書き出したのだが、お
   よそ三カ月間を費やしてしまった。

 詩に対する愛着が判るあとがきですが、まさにその通りの本になっていました。勉強が足りないと謙遜したところが随所に見られますけど、そんなことはありません。洋の東西を問わず、川路柳虹・島崎藤村から吉野弘まで、ゲーテからイエーツまでと、知られている詩人はほとんど網羅していると思います。それらの先輩詩人の作品を読んだり実作を通して得た詩論は卓越しています。一部を拾ってみましょう。

    水泳は、まず水の中に入ることがだいじだ。詩は書く
   こと、つまり実践が人間をきたえる道につながるのでは
   なかろうか。  「詩を書くことは、しんどさと喜び」

    詩をつくることは、四輪ではしるようなものだ。つま
   り、読み、書き、批評をうけ、さらに推敲し、励ましを
   うける。これらを糧に、さらに輪を大きくしていく。デ
   コボコ道もぬかるみもあり、壁につきあたることもある。
    そんな時には、壁とむきあうことも、好きな詩を書き
   うつしたり、気分転換の旅に出ることも、小説を読んで
   みることも、いろんな方法で自分をみつめていくのだ。
              「さまざまな詩、多様な方法」

 これだけの抜き書きでも著者の姿勢が判ると思います。やさしく解りやすく書かれていますが、内容は深く豊富です。これから詩を書いてみようという人にも、中堅詩人たちにもお薦めの1冊です。



会報かわさき詩人会議会報34号
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2005.3.1  
非売品  
   

    面影    斉藤 薫

   君はビルの階段を掃いていた
   底冷えのする真冬の早朝の中で……
   君は黒の薄物のツーピースで
   左手にプラスチックの赤い塵取り
   右手に緑の簡単ぼうきを持って
   ビルのコーナーをせっせと掃いていた

   エレベーターホールで開門を待っている僕の前を
   君は眼を伏せて 黙って通りぬけようとしたので
   僕が思わず「寒くはないの?」と声を掛けたら
   「とっても寒いわ。この服薄いの」とハキハキ言って
   うつ向いたまゝにっこりと笑った
   髪を後ろに小さく束ねて
   白く透徹った襟首を前後左右に覗かせて
   二つの胸の脹みも黒い衣服にぴったりとなぞらせて……

   やがて珍療が始まる時が来て
   鉄の扉が中から開いて
   君は保健証を集めていた……
   それから僕の名を澄んだ声で呼んで
   保健証を静かに返した
   その瞬間だ 僕の眼と君の眠がまっ正面から出会った
   その君の瞳の優しさよ!
   その君の頬のやわらかそうな事!
   その君の姿の愛しさよ!
   それは僕の大好きなアイスクリームの様だった!

 「面影」というタイトルですから昔のことかもしれませんが、そうは思えない、つい最近のことのように感じるのがこの作品の魅力だと思います。昔でも最近でも、時間を超越することが恋心というものかもしれませんね。こういう感覚が無くなって、もう何十年も経ってしまいましたけど、恋とはやっぱりいいものだなと改めて思います。そんなことを感じさせてくれた作品です。




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