きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.8.3
馬籠「藤村記念館」にて
 

2005.8.6(土)

 広島に原爆が投下されて60年目。犠牲になった方のご冥福を改めてお祈りいたします。毎年のことですが、ここ神奈川県南足柄市でも防災無線を通じて1分間の黙祷が呼びかけられています。私も黙祷を捧げましたけど、これは今後も続けてほしいですね。

 だからというわけではありませんが、坊主頭にしました。前回頭を刈ったのが、たしか四ヶ月ほど前。さすがに伸びてきまして、ウジャラッコイ(どこの方言だろう?)。廃業はしていますが父親がプロなので、毎回世話になってます、、、と言うか、ボケ防止に行っていると言うか、要は今だに80を過ぎた親父の世話になっているということ。こちらはタダで頭を丸められるし、相手はこんな時にしか帰省しない息子に会えるわけだから、ま、いいか、と思っています。

 拙HPの読者の皆さまにお会いできるのは、たぶん9月3日の日本詩人クラブ現代詩研究会でしょう。それまでには随分と伸びているでしょうから、あまり気付く人はいないかもしれませんが、気付いても驚かないでください。本人は4、5年ぶりにスッキリした気分でいます。

 で、たぶん質問が出るでしょう、「なんで、坊主にしたの? 何か悪いことをしたの?」。この質問は一般的過ぎてで全くおもしろくありません。せめてシャレで回答しようと目論んでいます。「ほら、坊主にするとどこが黒くて、どこから白いか判り易いでしょ!」。うーん、これもペケだな(^^;




詩誌『火皿』108号
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2005.8.1
広島市安佐南区
福谷昭二氏方・火皿詩話会 発行
500円
 

  <目次> −戦後六十周年特集−
   ■ 詩件品とエッセイ
        燕−伊東靜雄に ■ 松 井 博 文 2 「大江神話の背景」
     ダイジョウブ、デスカ ■ 松 本 賀久子 4 ダイジョウブではない毎日
            岬にて ■ 津 田 てるお 6 「楽」ということ
       陜川(ハブチョン) ■ 御 庄 博 実 8 海峡をこえて
            うらら ■ 荒 木 忠 男 10 私の終戦と原爆
     帰ろう・帰ってこない ■ 川 本 洋 子 12 戦後六十年
          ただよう手 ■ 福 谷 昭 二 14 戦争と銃後
            ルール ■ 沢 見 礼 子 16 伯母のこと
             呑む ■ 長 津 功三良 18 六十年
         だんすに行く ■ 江戸我 美 保 20 火皿さんとの巡り遭い
          ぼくの青空 ■ 加 藤 千穂子 22 六十年日のらら
           たましい ■ 福 島 美 香 24 母と子の詩
      孤独へ・覚醒の夜に ■ 野 田 祥 史 26
                ■ 石 田 明 彦 28 やっつけ仕事のミリタリズム

   ■ 栗原貞子追悼
    追悼 詩人栗原貞子さん ■ 伊 藤 眞理子 29
     −その人と思想−
        お別れのことば ■ 伊 藤 眞理子 31
   ■ 編集後記
   ■表紙画−〔晩夏〕作者=巻幡玲子(尾道市在住)



    呑む    長津功三良

   こおちゃん あんたぁ こどもんころから
   すもうがすきじゃったけぇ
   いまなら てれびでもみちょうでるかおもぉたが
   なに さんぽにおいきるんか あんたんとこじゃぁさけゃぁなんでもあろう
   いやぁの やすいんでええけぇ しょうちゅうを
   いっぱいのませてもらおおか おもぉちょったんじゃが

   いやぁいけん あんたぁ さけがもとで
   からだぁこわしたんじゃし こないだのじこも それがげんいんじゃろぉが
   いもうとさんや こどもさんから のませんどいてくれちゅわれちょるが

    仲間のまぁちゃんは はやくに膠原病で嫁さんにあの世に逃げられ
    子供たちも独立 偏屈爺さんになってしもぉて 独り暮らし
    つい 昼間から酒に手を出す生活 食うものも禄に口にせんと
    たまに様子を見に顔をだしても
    火燵にずりこんで 酒を片手にしている

    昨年の暮れ 風薬を飲んで 山道を病院へ行く途中 意識をなくして
    軽トラで 十トントラックに 真正面から突っ込んだ
    保険屋の写真では トラックは中央から逃げてブレーキ痕があり
    彼のほうは なにもなし 全面的に彼が悪いのだそうな
    脚を四箇所も複雑骨折をして やっと車椅子に乗れるくらいになったとこ

   こおちゃん そぉいうないや こないだから ちっとものんどらんのいや
   しんちゃんちでばんめしをよばれたときじゃって
   にはいしか のまんかったじゃろう あれからのんじょらんのじゃけぇ
   きょおは しんぼぉするけぇ あんたぁ かいものにおいきるときに
   やすいのをいっぽんこぉてきちょくれぇ ぜにゃぁだすけぇ
   そりゃぁ さかやにでんわすりぁええんじゃが
   そぉもいかんのい こどもや いもぉとらぁが
   だめ ちゅうてあるいとるし まえからの かりもあるけぇの
   たのむいや あたまも いとぉてやれんのいや

    あまりにも 半泣き哀れなので 翌日片道三十分かけて自転車で
    やすものの焼酎などを買ってきてやる
    一度には呑むなと 念をおして…

   いゃぁありがとぉ きょおは おやじのめいにちで
   ひるま おてらにおまいりしとったんじゃ
   そいで わしの たんじょうびとも かさなっとるのい
   よかった きょおは ええひになったい
   あんたも ほんま ええくようを しちょくれた

 この方言は山口弁なのか広島弁なのか判りませんが、長津さんの方言詩には味があるといつも思っています。今回は私なりに新しい発見をしました。声に出して読んでみると、平仮名の大文字と小文字とでアクセント、スピードが変るんですね。例えば「やすいのを」は普通のスピード、「いっぽんこぉてきちょくれぇ」は速く、「ぜにゃぁだすけぇ」はゆっくり、という具合に読めてしまいます。これにアクセントも加味すれば面白い朗読になるでしょうね。「おいきるんか」「おいきるとき」は行く≠フ上二段活用(で良かったかな?)に丁寧接頭語(なんて、ありましたっけ?)のお≠着けていると思えて、方言が比較的持っている相手を立てる′セ葉だと感心しています。
 詩の内容は私もあまり触れてほしくない(^^; 「呑む」ということなのですが、「まぁちゃん」の人間性が良く出ていると思います。方言が奏功している作品と云えるでしょうね。




会誌『雲雀』5号
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2005.8.6
広島市佐伯区
安藤欣賢氏代表・広島花幻忌の会 発行
500円
 

  <目次>
   「被爆60周年」と「生誕100周年」
    上柳町 ………………………………………………………… 原  時彦 1
    75年後の沈黙〜民喜と紡ぐ物語 …………………………… 大牟田 聡 2
    原民事は被爆を人類体験に押し上げたか ………………… 音谷 健郎 8

   追悼特集 栗原貞子さん
     戦前・戦中から今日にいたるまで、反戦の姿勢を貫いてきた「ヒロシマの
    詩人」栗原貞子さんが3月6日午後8時15分、永眠された。5月の第8回研
    究会「栗原貞子さんの詩と人生」でも、その詩業がさまざまに語られた。
    母を語る ……………………………………………………… 栗原真理子 11
    栗原貞子さんの「私」を追う ……………………………… 安藤 欣賢 14
    栗原貞子作品抄 ……………………………………………………………… 21

   詩2編 ………………………………………… 長津功三良・水無月ようこ 26
   短歌「この世の熟れ麦」………………………………………… 宮本 君子 29
   キリスト教と聖書の跡 …………………… ウルシュラ・ステイチェック 30
   原民事作品紹介「暗雲」………………………………………………………… 42
   原民喜の「手帳」について …………………………………… 海老根 勲 65

   ※表紙写真=4,5歳ごろの原民喜(右から2人目。右端は次女ツル、両親や兄柿も。
    明治42,3年ごろ)。
   ※さし絵=原民喜筆「近状通信」より



    六十年    長津功三良

   また 暑い 夏が来た
   あれから 六十年
   ひとらは 決して風化することの無い 記憶を抱えて
   瓦礫の中の石を 静かに磨きながら ひっそりと 街影で 生きている

     まわりのもなぁ みんなしんじしもうた
     なにも はなしとぅないけぇ むこおへいっちょくれぇ
     あれから わしらぁ いきるんがせいいっぱいじ
     なんも おぼえちゃあおらんけぇ

   旧産業奨励館のまわりの 黒々とした木たちのしたに
   幾つもの 慰霊の碑や 像がある
   それぞれ 心を込めた千羽鶴など 線香の香りも 絶えない
   いまも みんな 平和を願っている

     どがぁにいうちも しんだもなぁ いきかえりやぁせんわい
     まいとし なつがくると あんひのあつさぁ おもいだすんじゃ
     みんな みずぅくれ ちゅうて
     どうせ しぬんなら みずの いっぱい にはい やりゃあよかった
 
   満潮に近い川に プレジャーボート群が 繋留されている
   平和な政令都市の 夏の風景
   平和公園の木たちも 黒々とした蔭をつくって……
   ベンチで 昼寝をしている人もいる 風が吹く

     あのひんことや それにつづいたひんことなんか おもいだしとおないわ
     やっと あたまんなかから しめだしたばかりなんに
     まわりのもなぁ みんなしんじしもおち
     いま わしひとり いきのこっちょる さびしいで

   広島で 哀しみや 怨念の言葉は聞いても
   報復 という言葉を聞いたことが 無い
   平和 とは 哀しみを 自分のところだけで食い止めて
   争いを しないことなのか

     いま あの無差別殺戮のことを 忘れた人たちがいる
     宇宙で ただ一つの地球なのに
     大事に出来ないのだろうか

   いま わしひとり いきのこっちょる さびしいで

 またまた長津さんの作品を紹介してしまいましたが、重要な連があります。終わりから3連目。「広島で 哀しみや 怨念の言葉は聞いても/報復 という言葉を聞いたことが 無い」というフレーズに、アメリカと広島・日本の国民性の違いを感じます。「哀しみや 怨念」は怒りへ通じているはずですが、それでも「報復」には至らない。宗教的にはキリスト教の右の頬を打たれたら左の頬を出せ≠ニいう教えがあるにしても、万物に神霊が宿る古典的神道や慈悲の仏教のお陰かな、とも思います。
 更に重要なのは「平和 とは 哀しみを 自分のところだけで食い止めて/争いを しないことなのか」というフレーズでしょう。「平和」とはそうやって抑えて抑えて、やっと守れるものだと教えてくれています。憲法九条との絡みで言えば、必死に支えて、やっと九条が立っていられる、平和でいられる、そういうことなのでしょう。考えさせられた作品です。




乱橋 創氏著『ダウト』
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2005.7.25
東京都港区
新風舎刊
1200円+税
 

  <目次>
        T/11
        U/25
        V/41
        W/61
        X/71
        Y/87
        Z/109
        [/125
        \/145
      主題歌/158
   使用版画作品/159
     参考文献/159


 詩人の著者が2000年10月に刊行した『アインシュタインになれなかった男』に続く、小説第2弾です。前回は短編集でしたが、今回は1編の小説。これがおもしろい! 一気に読んでしまいました。NOGEL賞(ノーベル賞のパクリ)も取ってしまおうという作家・Eが迷い込んだバー「LABYRINTH」で繰り広げられる文学談義。美文・文体にこだわるEには耐えられない議論なんですが、これが文学の本質をしっかりとえぐっています。いつしか10日も泊り込んでしまった果てに、やっと帰ってきたわが家で待っていたのはNOGEL賞受賞の知らせ……。これ以上は書きますまい(^^; 書店でお求めください。

 私は賭け事やゲームをまったくやらないので知りませんでしたが、書名の「ダウト」はトランプゲームなんですね。自分の備忘録として
1988版の小学館国語大辞典に載っていた説明を記しておきます。
 *
(英doubt「疑う」の意)トランプゲームの一種。手札から番号順にだすカードが番号順でないと疑ったとき、ダウトをかけ、もしそれが番号順でない場合は出した人が、また番号順であった場合はダウトをかけた人が、場札を全部引き受けるというゲーム。早く手札をなくした人を勝ちとする。
 実はこの説明でも理解できません(^^;;; タイトルとどういう関係があるのか、そんな興味からも読んでみてください。
 ちなみに拙HPで紹介した前作にはハイパーリンクを張っておきました。そちらも合わせてご覧いただければと思います。




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