きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.10.9 栃木県
「ツインリンクルもてぎ」にて
HONDA CB250
 

2005.11.26(土)

 詩誌『木偶』の発行者・増田幸太郎さんの詩集『遠い声』の出版記念会があって、阿佐ヶ谷の「山猫軒」という処へ行って来ました。『木偶』は40年に渡って発行されていますから、その発行者は当然数冊の詩集を出しているというのが一般的ですが、第一詩集なんです。でも、佳い詩集で、集まった人たちも本当に増田さんを大事にしている人ばっかりだなと思いました。ちょっと大きくて申し訳ありませんけど、出席者全員が写った写真がありますから紹介しましょう。

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 菊田守さんは日本現代詩人会を代表してスピーチなさり、私は日本詩人クラブ代表というかたちになってスピーチさせたいただきました。そんな気がまったく無かったので迂闊でした。でもまあ、なんとか無難にできたかな(ブレザーだったけど、ネクタイを締めて行って良かった(^^;)。しかし、もっと迂闊だったのは案内状に「ご招待」とあったのを見逃したことです。その場でお金を剥きだしに出すのも失礼になるので菊田さんに相談したら「あとで何か贈ればいいんじゃない?」と教わり、後日、定期購入の「越乃寒梅」を贈ることにしましたけど、迂闊だったなぁ。50も半ばを過ぎているというのに、このテイタラク。反省。

 でも、会は娘さんも見えてなごやかで楽しかったですよ。増田さんはペンネームなんですけど、実は奥さんの旧姓を名乗っていたんですね。奥さんへのそんな労わり方もあるのかと驚いてしまいました。当然、奥さんもご一緒です。
 川端進さん、中上哲夫さん、一度お会いしたかった仁科理さんにもお会いでき、日本詩人クラブの最若手になる田中健太郎さんともお話しできました。写真の左にポスターがちょっと見えてますけど「山猫軒」の入っている建物の地下には「小劇場・ザムザ阿佐ヶ谷」というのがあって、雰囲気も抜群。さすがは阿佐ヶ谷。
 二次会は阿佐ヶ谷駅北口の「大古久」という気さくな蕎麦屋さん。ここもお付き合いして、少し早めに帰宅しました。明日は池袋。体力温存を心掛けた次第です。




新延拳氏詩集『雲を飼う』
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2005.10.25
東京都新宿区
思潮社刊
2200円+税
 

  <目次>
   ひとつの陳述 8

   雲を飼う 12           新宿発アルタミラ直行メトロ 16
   裏声で急きたてるもの 18     わが詩は 22
   消えた矢印 24          甘やかな 28
   妄想を千切って 32        空間の歪み 34
   自分を消す呪文 38        ここはどこ 40
   鳥の夢の中に 44         どこまで歩けば 46
   濁っている午後 50        幾世代の闇 52
   輪舞の裏側 54          前途無効 56
   叩くべき扉 60          ヴェールの向こうに 64
   死者だけが知るパスワード 68   言葉のない子守歌 70
   白紙答案 74           発車のベル 78
   夢見る雪だるま 82        来世は蛸にでも 84
   これからどうなる 86       雲をマフラーにして 90



    雲を飼う

   満ち足りた眠りの後
   海側の窓を開けると
   ちょうどヴィーナスと雲が生まれでたところ
   さあ今朝も火造り作業を始めようか

   風が吹いて浮き草がヴェールのように浮遊する
   いま駆けてきた子に噴水の飛沫がかかる
   炎天の空を飛ぶ鳥がみな昏いのはなぜだろう
   偽札のように誤植のように世に紛れている己

   入道雲に登りかけては崩れてしまう
   と言って哭く老婆
   少し離れて歩こう
   飛ぶ鳥に手を上げて

   弟はむかしから変わった子だった
   右のポケットに雲を飼い
   左にはがきと薄氷でできた切手
   なにしろ生まれる前から死んでいたのだから

   集める?
   私は掌で飼い殺す
   窓が切り取る空間に
   たまたま来た雲を

   草の葉に濡れたボールを投げ返してくれたね
   あの時
   一瞬遅れて君の魂も受け取ったんだ
   魂も濡れていたよ
   空には淡い色の雲

   洗いたての空
   巨きな翼がよぎってゆく
   過去を抹消され
   山々と一湾は退く
   詩などにうつつをぬかし過ぎた人生

 タイトルポエムを紹介してみました。「偽札のように誤植のように世に紛れている己」「詩などにうつつをぬかし過ぎた人生」などの詩句に眩惑されるようです。個々の行の喩と、それらが組み合わされた作品全体の喩が大きなうねりになって迫ってきます。「雲を飼う」というタイトルのせいかもしれませんがスケールの大きさも感じますね。

 本詩集ではおもしろいフレーズにたくさん出会いました。「新宿発アルタミラ直行メトロ」では語るということは思い出すこと=B「裏声で急きたてるもの」の高いところから地面に降りて/凧はただの紙に戻る=B「甘やかな」の外されて机上に置かれていても/眼鏡は私を見ている=B「鳥の夢の中に」は気持ちは哀しみ あきらめ 怒りの順にやってくる=B
「死者だけが知るパスワード」の人に断りなく勝手に老いていくな=Aこれは以前紹介していますのでハイパーリンクを張っておきました。詩集に載せるにあたって改作したようですが基本は判ります。合わせてご覧ください。

 「白紙答案」の思い出には多くの誤字がある/それを自分の好きな文字で埋める≠ニいうフレーズにも痺れました。まだまだありますがこれだけ引っ掛かってくる詩集も珍しいと云えるでしょう。2005年の成果と謂える詩集です。





芳賀章内氏詩集直線の都市 円いけもの
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2005.11.20
東京都千代田区
鮫の会刊
2000円
 

  <目次>
   第一部 笑いの仮構
        *
   繰り言がつづく「ろうとれあもん」伯爵 6 喩のように笑った 10
   日々 これ仮説のような 13        仮  構 16
   「ひとの愛」とは 19           雨のように在って 23
   もうひとつの 27             「ペん」の音調 30
   身体の海 33               隠  沼 36
   裏  窓 39

   第二部 けもの道
        *
   けもの道 <T>  42            けもの道 <U> 45
   けもの道 <V>  48            けもの道 <W>  51
   けもの道 <X>  54            猿の舞台 57
   家具のような 60

   第三部 日常の血漿
        *
   湖面という境界 64            鏡ものがたり 67
   「ねっとり」のうた 70          頸の日常 73
   波の思念 76               木枯しの昔 79
   滾  る 82               身を洗う 85
   八月の川 88               岩と砂の映像 91
   抒情の日々 94

    「あとがき」に代えて 97        装幀・本文図  内田克巳
                        装    幀  馬面俊之



    雨のように在って

   消えたことばの 生きて
   ように が抜けて
   柿の渋味のような
   人生の絵巻を
   ひたすら描き つづけている
   この雨は止まない
   この雨は あなたが生まれたときから
   声の裏に降りつづいて
   雨の影だけが 坂の途中で
   砂利になって
   その上にまた 雨降りつづく
   降りつづく 永遠という声もあって
   まばゆい幽霊のふもとで
   空白の影を洗っている涙に出喰わす

   空白を 子宮の蒼さ
   生む が抜けて
   億の精子が影となるために現れる
   太陽の比喩とは何か
   星座が涙して
   雨の影を見ている
   絵巻に金泥のように貼りついて
   物語を凍傷にする
   胎児の泣き声が
   明日の方からやってきて
   石灰の日を見て 笑いだす

   挨拶を 繰り返して
   雨のように が抜けて
   風の便りは 処刑される
   電車に乗って
   飛行機に乗って
   電波に乗って
   やはり 自分で運転して
   集団自殺車を走らす
   惑星 車丁やかに輝く日
   「ぶらつくほうる」に犬が飛び込む物語を
   砂漠と原野にかざして
   雨は降っている

   朝 寝床から起きあがる
   眠りのあいだ 雨は猫の目で蹲っていた
   疲労と倦怠
   圧力と曖昧の「りずむ」
   明日の方向からやってくる胎児の声
   歌垣のように晴れやかだったが
   くるりと振り向くと
   なめくじのように小さくなってくる
   声の裏に 雨降りつづき
   雨は 影だけ残して
   どこにもない

 改めて喩について考えさせられる詩集です。判りやすい例として「雨のように在って」を紹介してみました。実はこの作品もそう簡単に判る≠けではないのですが、比較的判りやすいと云えるでしょう。
 具体的には「消えたことばの 生きて/ように が抜けて」は<消えたことばのように生きて>、「空白を 子宮の蒼さ/生む が抜けて」は<空白を生む子宮の蒼さ>、「挨拶を 繰り返して/雨のように が抜けて」を<挨拶を雨のように繰り返して>と読み換えてみました。読み換えた方でも充分おもしろいのですが、原文のように書く意味を考えなければならないでしょうね。その鍵が最終連の「雨は 影だけ残して/どこにもない」にあると思っています。
 もちろん解釈≠ノもなっていませんけど、そんな風に脳を刺激してくれる詩集です。




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