きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
満天星 2005.1.8 自宅庭にて |
2006.2.4(土)
日本詩人クラブの雑誌『詩界』の編集委員会が15時からあって、初めて駒場の東京大学を訪れました。編集委員長が東大の教授ですから、その縁です。委員長から「編集委員会をやりたいけど場所が取れない。東大のコラボレーションルームにしたいがどうだろう?」という相談があって、即座にOKしました。こんな機会でもないと行けませんからね。
休日なので構内は閑散としていました。会議の始まるまで時間があったので構内を散策。ここでは石碑を紹介します。旧制第一高等学校を偲ばせるものです。やけに新しいので最近の建立かもしれません。正門を入って左側の緑地にありました。
国立大学は他に東京医科歯科大に3日ほど研修などに行っただけですが、そこと比べても東大は恵まれていると思いました。教授室の広さが違います。医科歯科の2倍はあるかもしれません。専用の教授室のほかに台所が併設されて、ソファーのある集会所のような部屋もあって、委員会後の懇親はそこで行われました。構内のレストランから食事が運ばれ、持ち込んだお酒を呑みながら新宿方面の夜景を楽しむ…。窓もない工場の管理室で終日パソコンに向かっている私の職場からは想像もできない仕事場ですね。
話は前後しますが、委員会が行われたコラボレーションルームは全席にマイクが設置されていて、30席ほどですけど何やら国際会議でもできそうなところでした。もちろんLANが設置されています。この日は日本詩人クラブのオンライン作品研究会と重なっていましたから、会議の途中でパソコンを見て、進行状況をチェックしました。
オンライン作品研究会は午前10時から翌5日の午前10時まで。開会を宣言して家を離れ、途中経過は東大でチェックして、帰宅してから翌朝に閉会を宣言する……、神楽坂に集まって研究会をやっていた頃との違いを感じます。もちろん実際にヒトが集まることも大事ですから、どちらが良い悪いという問題ではなく開催方法の多様化をこそ歓迎すべきでしょう。
今回のオンライン研究会はEメールアドレスを持っている全会員・会友、一部の会員外の人、計220名ほどに呼びかけて、最終的には83名が登録を希望してきました。今まではメーリングリストで20名ほどが試用していましたので、第1回目のオンライン作品研究会という位置づけです。作品提出者は18名。発言者23名、総発言数120件と膨大な数になりました。あまりの多さに悲鳴を上げて脱会を希望した人が3名。メーリングリストに慣れていると、数の多さはそんなもんだと思うのですが、初めての人には驚きなんでしょうね。読み流せばいいのに…。しかしイギリス滞在中の会員も参加するなど地域を越えた、まさに地球的規模の研究会となったことは特筆すべきことでしょう。
またまた話は戻って編集委員会。懇親会では差入れの長野「風の露」という日本酒が出てきました。ネーミングがいかにもという感じだったので期待していなかったのですけど、意外に良かったです。ちょっと呑みすぎたほどでした。
で、肝心の編集委員会、ちゃんと真面目にやりました。呑みに行ったわけではないから(^^;
○文藝誌『文学街』220号 |
2006.2.1 東京都杉並区 森啓夫氏発行 350円 |
<目次>
詩 認知症 牧野徑太郎
作品論 文学街 219号 岩谷 征捷
俳 句 はぐれし夜の 中園 倫
新・古物語1 暗闘 畠山 拓
エッセイ 泣き喚く子 小林 鈴子
短 篇 神 女 古倉 節子
評 論 詩集「遺書」について 高岡陽之助
小 説 番人のいる町 有松 周
本年度・文学街掲載・作品一覧
街
高岡陽之助氏という方から送られてきました。故・西村皎三氏についての評論「詩集『遺書』について」をお書きになっていて、お前のHPに書かれてある『遺書』に対する感想も採り上げてあるから承知せよ、というものでした。西村皎三という詩人の名は記憶していましたが、書いた内容までは思い出せず自分のHPを検索する始末。ようやく 2002年1月14日の部屋 にあるのが判りました(ハイパーリンクを張りましたのでよろしかったらご覧ください)。4年も前のことですから忘れていても無理はありませんね。
高岡陽之助氏もお書きになっていますけど、インターネットを介して70年も前に亡くなった詩人を4年かけて論じ合う不思議な世の中≠ノなりました。西村皎三という詩人は高岡氏の世代では比較的知られた人のようです。しかし今はほとんど忘れられています。現役将校の詩集という特殊性もあるのかもしれません。私も友人の女性詩人が教えてくれなければ判らないところでした。
高岡氏の評論で、通販で5000円で買った『遺書』が今では1万5000円になったことを知りました。意外と隠れたファンが多いのかもしれません。ちなみに西村皎三氏は俳人・金子兜太氏(元海軍主計中尉)の直属の上官だったそうです。
○詩誌『Void』8号 |
2006.1.30
東京都八王子市 松方俊氏他発行 500円 |
<目次>
『詩』
落日考…中田昭太郎 2 富士山…小島昭男 6
二〇〇五年イラク 地獄ノ草紙…浦田フミ子 12 二人三脚は足の引っぱりあい…中田昭太郎 16
星の光が…森田タカ子 22 元旦 他二篇…松方 俊 26
元旦/松方 俊
もう、羽根突きをして遊んでくれた隣の歯医者の征子姉ちゃんも、
三軒隣の独楽やメンコで遊んだ仲良しの床屋の洋君もいなくなった、
北風にヒュウヒュウと嘯いていた電線も、
通信簿に乙だけ並べ全甲の兄との差を親に印象付けた、
憎いあんちくしょうの教師のハブも、
今では懐かしい。
下戸で不信心な私は初詣に行く宛ても無いが、
小粋を気取ってマフラー姿で戸外に出てみると、
広い通りには 犬はおろか人ッ子一人歩いていない、
それでも、つまらなそうに、
一人道端に佇っている老人を見つけ声を掛けると、
「おめえは俺を見忘れたか」と、
さて何処かで聴いたことのあるような台詞が返ってきた、
「何方さんで」と私も少々芝居がかって腰を引き見上げると、
「馬鹿 てめえの魂だ一年に一度位い自分の魂の顔を想い出せねえ
でどうするんだ」と、
云われてよく見れば美しいとはいえないが懐かしい、
見覚えのある顔だった、
「魂なんて恥ずかしくって人様の前にそういつも出せるものではない
よ」 と
顔を赤らめて云うと、
「馬鹿野郎そんな根性だから何時までもうだつがあがらねえのだ、「俺
の魂」と凧でも揚げるように揚げて駈け廻ってみろ、風の具合で
凧は落ちても、魂は墜ちたりはしねえもんだ、な」
「解ったら風邪をひかねえうちに早くけぇれ」
と急に優しくなると父の背を見せて去って行った、
それもそうだと納得した私はそれから早速家に帰り、
炬燵にあたりながら気を引き締めて己の魂に賀状を書いた。
「己の魂」に逢うというおもしろい作品です。「急に優しくなると父の背を見せて去って行った」というフレーズが落とし処かもしれません。「懐かしい」人たちを思い出すのが「元旦」とも採れるでしょう。が、そう理屈で考えなくても良いのかもしれません。「通信簿に乙だけ並べ全甲の兄との差を親に印象付けた、/憎いあんちくしょうの教師のハブ」のようなフレーズも楽しいですね。「元旦」らしく楽しい読みに徹しても良いのだと感じました。
○季刊詩誌『裸人』25号 |
2006.1.1 千葉県佐原市 裸人の会・五喜田正巳氏発行 500円 |
<目次>
■詩
雨――天彦五男 4 川岸の家――禿 慶子 6
燃える樹――菊田 守 8
■エッセイ 私的「横浜案内」――大石規子 10
■詩
冬ヘ――くろこようこ 14 駅のコンコース――くろこようこ 16
ゲーテの家――水崎野里子 19 黒い森――水崎野里子 22
感動的なお話――大石規子 26
■エッセイ「あむぶるわりあ」の雨――水崎野里子 28
■詩 振り向いても――五喜田正巳 31
■雑記
受贈書、後記 34
冬へ/くろこようこ
空の色がうすくなり
まわりの緑がはげていく
少しばかりのパンジーを植えて
庭をかざる
例年なら
冬でも庭を花だらけにするのだが
色とりどりの光景には
あきたのか つかれたのか
今年の冬から春は
色味のない
からっぽの庭をたのしもう
気負いのない
肩の力がぬけたような
無言のしずけさにホッとしたい
もうずいぶん多くの年月
刺激的な色合の季節を
通りすぎたのだから
今年は
何もない冬をたのしみたいと思う
私は「庭をかざる」ことに興味がわかず、気にもしていなかったのですが「冬でも庭を花だらけにする」努力を続ける人は多いのですね。たしかにご近所を見ても「色とりどりの光景」に出会うことに気付かされます。しかしそれは大変な努力なのだということを「あきたのか つかれたのか」というフレーズで感じました。
その反動として「色味のない/からっぽの庭をたのしもう」という気持が起きるのでしょう。そして「冬でも庭を花だらけにする」ことは「気負い」なのだと知らされました。我が庭の「何もない冬」は無精のなれの果てですが、結果的にはまんざらでもなかったのかと納得させてもらった作品です。
○『栃木県詩人協会会報』18号 |
2006.2.4 栃木県芳賀郡茂木町 森羅一氏方・栃木県詩人協会発行 非売品 |
<目次>
これでいいのか現代詩……1 会員詩作品………………………7
詩集評………………………2 新刊書紹介………………………11
イベントレポート…………3 高内壮介著作の紹介(4)……12
会員エッセイ………………4 編集後記…………………………12
八月の傷/松本ミチ子
郵便箱を開けると
深い霧の中を船が進んで行く
船は明け方
オレンジ色に染まって帰ってくる
ぶ厚い風の吹く日
おまえとの約束が何者かに盗まれた
だからではないが
わたしは
何くわぬ顔をして
実物大の静物になりすます
台所の片隅で
おまえの側面がおかしくて
笑ってばかりいたら
思いがけない高い位置から
八月の傷が疼く
「会員の作品」の中の1編です。非常に魅力的な作品なのですが、正直なところ意味はつかみかねています。日本の「八月の傷」と謂えば原爆なのでしょうが、そうとも言い切れません。第1連の「船は明け方/オレンジ色に染まって帰ってくる」は朝日を浴びて帰港するイメージがありますけど「郵便箱を開ける」との関連が不明。「ぶ厚い風」は佳い詩句です。原爆との関連で云えば爆風でしょうが、それにこだわる必要はないと思います。最大の問題は「おまえ」の解釈でしょう。神、太陽、原爆、米国、果ては犬まで当てはめて考えてみましたが、どうもしっくり来ません。
読者としては基本的なところで躓いた詩ですが、簡単に捨てられない思いのする作品であることは確かです。ベールを1枚1枚剥がしていって、その奥に何があるのか判らないもどかしさがあります。しかし剥がしたベールも魅力的なのです。いつかある日、あっ!と全てが判る日が来る、そんな期待を持たせる作品でしょう。
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