きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2005.6.29 山形県戸沢村より 月山

2006.4.12(水)

 休暇を取りました。残り11日です。退職までとても取りきれませんが、まあ、しょうがないでしょう。後任者への引継ぎも順調ですし、休めるときは休んでおこうと思っています。で、終日いただいた本を読んで過ごしました。



加藤弘子氏詩集『青いニワトリ』
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2006.3.25 東京都港区 新風舎刊 1000円+税

<目次>
青いニワトリ 4   泳ぐ 22
背中 6       伴走 24
短い夜 8      写真 26
奥入瀬渓流 10    波 28
夕凪のむこうに 12  シチュー 30
手 14        オルゴール 32
写す 16       記憶 34
魚になる 18     躾 36
背泳ぎ 20      カナリア 38



 カナリア

父が愛した人は
キクエ 静子 典子 きよ子の
四人の妻たち
わたしの母親はキクエ
わたしと妹を生んで
わたしが七歳のとき家を出た
そのあとの妻たちに子はいない

太く短く生きたい と
口ぐせのように言っていた父
肝硬変で入院して八日目の朝
五十五歳であっけなく亡くなった
どの妻にもみとられず
うわごとにヒロ ヒロと
わたしの名前を呼びながら

晴れた日に
父が最後に愛したカナリアを
空に放した

 詩集タイトルの「青いニワトリ」を紹介したかったのですが、すでに2001年に紹介していました。そのときのタイトルは
「一枚の絵」でしたが内容は同じです。ハイパーリンクを張っておきましたので是非そちらもご覧になってください。
 ここでは詩集最後の「カナリア」を紹介してみました。著者がなぜ詩を書かなければならなかったのかが良く判る作品だと思います。「父が最後に愛した」のは「ヒロ」だったのではないかと思うのですが、それを「カナリア」としたところで詩が成立したと云えるでしょう。素直な佳い詩集です。ご一読を薦めます。



詩誌『よこはま野火』50号
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2006.4.10 横浜市神奈川区
馬場晴世氏方・よこはま野火の会発行 500円

<目次>
アルバムで見る「よこはま野火」のあゆみ
さくらの季/進藤いつ子 8
種がこぼれて/森下久枝 10
白ふくろう/阪井弘子 12
ささやき/松岡孝治 14
風に/菅野眞砂 16
夜の胡
(とど)浜田昌子 18
ろう梅の香りに/宮内すま子 20
けやき/はんだゆきこ 22
いとこと私/真島泰子 24
ご報告/唐澤瑞穂 26
流れ/柊 葉子 28
池のほとりで/馬場晴世 30
雨と雫と/疋田 澄 32
雲と・貝寄せ風/加藤弘子 34
エッセイ
猫がやってきた/はんだゆきこ 37
接吻とトロッコ/唐澤瑞穂 38
月山へ/疋田 澄 39
空の旅/宮内すま子 40
眼鏡と羊かん/菅野眞砂 41
寒い冬に/真島泰子 42
道/浜田昌子 43
源泉/柊 葉子 44
母を恋う/森下久枝 45
<おふくろの味>/阪井弘子 46
コンクリートの間の白百合/馬場晴世 47
歌があるから/進藤いつ子 48
 *  *
よこはま野火の会近況 編集後記 49
表紙 若山 憲



 種がこぼれて/森下久枝

ながい不在のあと
荒れた菜園に鍬を入れる
足をふんばり
土に風をすき込む
日が照る
雨が降る

父は還っていった
遺された日記帳
納戸の本棚に背表紙を揃えて
父の足跡が並んでいる
一世紀を生きた父の貌が

さっくりした土地に
季節はずれの冬菜の双葉がのぞいた
地中深く眠っていた種が
ほぐれた土に目覚めて
いのちのくさりはひきつがれ
春の陽を浴びている

手作りの粗末な机に向かう父のうしろ姿
近よりがたい静かな時間
父の背は語りかけていた
幼いときから笑顔のなかで耕され
今 こぼれた種が私に詩を書かせている

 1973年の創刊から数えて50号。今号は50号特集になっていました。4頁に渡る写真が歴史の深さを物語っていました。おめでとうございます。
 紹介した詩は意図したわけではないでしょうが50号にふさわしい作品と云えましょう。『よこはま野火』にも高田敏子さんの「いのちのくさりはひきつがれ」ていると思います。もちろん「一世紀を生きた父」上から「こぼれた種が私に詩を書かせている」ことも…。「背」で「語りかけていた」「父」上の人間性も良く描けている作品だと思いました。




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