きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.7.7 クリスタルボウル(「アリキアの街」にて)



2006.9.2(土)

 日本詩人クラブ現代詩研究会・栃木ゼミナールが宇都宮の青年会館「ホテル・コンセーレ」で開催されました。14時より17時まで、講演は野澤俊雄氏による「栃木の先達詩人 手塚武」と川中子義勝氏による「詩と音楽のかかわり」。手塚武は1905年栃木県烏山町生まれで1986年に81歳で没しています。昭和初期に草野心平らの『銅鑼』(のち『學校』、のち『歴程』)の発行者になるなどした詩人ですが、全国的にはあまり知られていないかもしれません。そういう郷土の詩人の掘り起こしは大事だと再認識した講演でした。

 川中子義勝氏の講演は副題に「J・S・バッハから詩を考える」とあって、カンタータ第106番を実際に聴かせてもらい、独文の歌詞に川中子さんの訳が配布され、それを読みながら聴くというおもしろい趣向でした。ソプラノ、アルト、テノール、バスの妙なる調べにうっとりとしてしまいました。キリスト教の知識がないと少し難しかったかもしれない講演でしたが、カンタータ第106番を買って、再度訳を見ながら聴きたいと思いましたね。質疑応答の時間で、ある女性が「バッハを聴くと感動するが、なぜ感動するのかが判らなかったけど、今日の講演でカンタータの構造が分かり、感動の理由が理解できた気がする」という趣旨の発言をしていました。私も同意見です。音楽は歌詞と曲の構造を知ると、より親しみやすくなるのかもしれません。

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 写真で数えたら参加者は48名でした。神楽坂エミールで研究会をやっていた頃は10名、20名、多くても30名ほどでしたから、その盛況さが判ろうというものです。これで2回目の出前研究会ですが、目論見が当たったなと思います。懇親会も同所の2階「バンケットホール」で開かれました。こちらも聴衆のほとんどが残ったものではないかと思うほどの盛況でした。お世話いただいた栃木の皆さん、ありがとうございました。

 二次会は川中子講師たち6人でスナックへ。宇都宮で泊まるたびに連れて行ってもらっているスナックですが、今回で4回目かな? ママさんがちゃんと私を覚えていてくれて感激しました。他のお客さんと交歓したり、カラオケに興じたりで、宇都宮の夜を堪能させていただきました。川中子さんたちは早く帰りましたが、私のホテル着は23時過ぎ。夢も見ないで爆睡。良い一日でした。呑ん兵衛に最後までお付き合いいただいた皆さん、ありがとうございました!



季刊文芸同人誌
『青娥』120号
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2006.8.25 大分県大分市
河野俊一氏発行 500円

<目次>

穴/河野俊一 2
別れ/多田祐子 4
失われた日/多田祐子 6
「青蛾」三十年記念短期連載 「青蛾」思い出の作品1 河野俊一 9
随想 僕が日本人であるということ 一、モンスーン・砂漠・牧場 笹原邦明 13
連載 ことばはごちそう・第十七回 「ひとは 生き続けて」ゆく 河野俊一 22
青蛾のうごき 24
編集後記 24
表紙(顕忠祠入口の広場・大韓民国牙山市) 写真 河野俊一



 失われた日/多田祐子

さわやかな夏の朝
家族を見送り 洗濯物を干す
かたわらで
金柑の白い花が
良い匂いを漂わせている
近づくと
はなあぶの羽音がせわしく聞こえる
林のなか
山鳩がのんびりと鳴き
油蝉が今日も暑くなることを告げている

大きくなったと思いながら干す子供の服
夫の油のしみた作業服から
洗剤の香りがする
その日も こんな朝だったと言う
慎ましく勤勉な生活をしている者たちの
朝が始まったばかりだった
緑の木々の影が
濃くなりはじめた頃だった

蝉も鳥もはなあぶも
人も木も花も
八月六日を
いつもどおりに暮らすつもりだった
そして
二〇〇六年の今日をいつもどおりに
暮らしたいと思っている私

 今号は30周年記念号です。河野俊一さんが「『青蛾』三十年記念短期連載」その1を書いていますが、創立は河野さんが京都の大学の学生だった頃に遡るようです。当初は謄写版刷りだったとのことで、別冊も出し「青娥賞」なども設けていたようです。学生のバイタリティあふれる同人誌だのたのではないかと推察しました。その『青娥』も30歳になり120号。きっちりと季刊を守ってきたようで、今後の益々のご発展を祈念しています。

 さて、紹介した作品ですが、反戦詩です。戦争になれば良心に基づく詩など書けなくなるのは歴史の教えるところで、その意味でも反戦詩は重要だと思っています。しかし声高に反戦、反戦と叫ぶ詩は好きではありせん。スローガンではないのですから詩作品として成り立たせることが詩人の仕事だろうと思います。紹介した作品には、その大事なポエジーがあります。「蝉も鳥もはなあぶも/人も木も花も/八月六日を/いつもどおりに暮らすつもりだった」というフレーズには涙の出る思いをしました。一番言いたいところを書くためにそれ以前の連が必要で、しかも無駄がありません。しかも「八月六日」を過去の現象とせず「二〇〇六年の今日」という現在へきちんと繋げています。この手法は見習わなくてはなりませんね。感動の1編です。



季刊詩誌『GAIA』17号
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2006.9.1 大阪府豊中市
上杉輝子氏方・ガイア発行所 500円

<目次>
お香のラ 雨のト/春の呼吸 春名純子(4)
夏至の日に 上杉輝子(6)
記憶の中の広島 水谷なりこ(8)
橋幻想 海野清司郎(10)
ミゾ子の回想/飛行機雲 猫西一也(12)
ひとにいい 竹添敦子(14)
ポケットについて 立川喜美子(16)
誇れることは/さよなら 紅い時計塔 佐藤アツ(18)
馬鈴薯の花と半月/蛍考 小沼さよ子(20)
犬のふん公害防止条例寝ている時も 中西 衛(22)
抽象の自画像でなく/蛍 横田英子(24)
波紋/猫の目 熊畑 学(26)
私の未完成交響曲 平野裕子(28)
園上裕子さんを偲ぶ 水谷なりこ(30)
海野清司郎詩「花あかり」について −花の物語の底に流れる人間愛−中西 衛(31)
国広博子詩集「華麗な化学式」を読む −その清列さと強靭な精神−横田英子(32)
同人住所録(33)
後記 平野裕子(34)



 記憶の中の広島/水谷なりこ

  <うさぎ追いしかの山
 小ぶなつりしかの川………>
一番下の妹は母におんぶされたまま
次の妹は母に手を引かれて
家の前を流れる小川のほとりの
芽ぶきはじめた丸葉柳の木の下で
<故郷> の歌をうたい
――これが見おさめになるとは知る由もなく――
見えなくなるまで手を振ってくれた
三人の姿が
六十一年をタイムスリップして見えてくる

  まもなく原子爆弾が落とされることは
  神様だけが知っていた
  B29は広島上空を通過するだけの日日だった

そしてその日がやってきた
丸葉柳の木も
ひとびとも
一瞬の閃光にやられ
おんぶされていた妹も母も闇に沈んだ

  <血小板の数値が
  普通の人の半分しかないですよ>
血液検査の数値に医者は首をかしげる
 学生の私が故郷広島の土をふみ水をのんだのは
 原爆が落とされて二週間もたっていたのに

半減期二万年という
猛毒の放射性物質が
六十一年たっても
微量ずつ私の血の中を流れつづけているのか

チェルノブイリの原発事故から二十年
四千人の子供が甲状腺がんになり
亡くなる住民が絶えないという

故郷への思いは
血小板の数値が受けとめ
丸葉柳が芽ぶくあの場所は
その昔 家族の愛が惜しみなく注がれた
記憶の名残りだったのかもしれない

 「原爆が落とされて二週間もたってい」ても「血小板の数値が/普通の人の半分しかない」状態になるのですね。「故郷への思いは/血小板の数値が受けとめ」という重さに愕然とします。「六十一年たっても」そういう状態なのに、人類は新たに「チェルノブイリ」を抱えてしまいました。考えさせられる作品です。



中四国詩人会ニューズレター18号
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2006.8.30 徳島県阿南市
宮田小夜子氏事務局長 扶川茂氏発行 非売品

中四国詩人会第12回理事会報告 1
中四国詩人会第6回倉敷大会特別講演者・金時鐘氏のプロフィール 2
大会などの予告 2
受贈詩集等 3



 9月30日13時より「中四国詩人会第6回倉敷大会」が倉敷市芸文館アイシアターで開かれる予定で、そのプログラムも添付されていました。講演は金時鐘氏。この演題がとても良いです。「詩を生きる」と題して、副題が「書かれない小説は存在しないが、詩は書かれなくても存在する」。ポエジーについて小説との違いを見事に述べた副題と云えましょう。聴いてみたくなる、ワクワクする題ですね。一般参加者も募っていますので、お近くのぜひ行ってみてください。
 第6回中四国詩人賞表彰式もあるようです。受賞者は日本詩人クラブ会員でもある川野圭子氏。詩集
『かいつぶりの家』で受賞しています。この詩集は拙HPでも紹介していますのでハイパーリンクを張っておきました。興味のある方はご覧ください。



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