きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.9.16 群馬県榛東村「現代詩資料館・榛名まほろば」にて



2006.10.22(日)

 埼玉詩人会と山梨県詩人会の交流会にゲスト参加してきました。朝8時に大宮を貸切バスで出て、夜9時半に帰って来るという結構キツイ日程でしたが、楽しかったですよ。訪問したのは山梨県立文学館と美術館、それに武田信玄公菩提寺の恵林寺、勝沼ワイナリー葡萄工房(ワイングラス館)でした。参加者は埼玉詩人会側が50名、山梨県詩人会側が27名の計77名という大人数でした。

 最初に山梨県立文学館の研修室で対談とスピーチが行われました。対談は「現代詩−ふるさと山梨を大いに語る」と題して、埼玉・石原武氏、山梨・古屋久昭氏。山梨と言えば土橋治重さんが出てきて、山梨県内の現代詩人の分布など30分の予定時間を越えるほどの熱心な対談でした。
 スピーチは山梨側5名、埼玉側3名、そして最後にゲストの2名。私も話せということでしたので、私にとっての山梨は空白区であることを喋らせてもらいました。8年間の拙HP運営で山梨の詩誌・詩集は1冊も無いんです≠ニお話させていただきましたが、実は1冊ありました。2000年12月刊行の
福田弘氏詩集『銹の記憶』です。山梨の皆さん、失礼しました。
 この発言はちょっとショックだったようで、その後、次々と詩誌・詩集をいただくことが出来ました。ありがとうございました。

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 写真は交流会が済んで、恵林寺に向かう直前のものです。ここで山梨県詩人会の皆さんとはお別れしました。その後、恵林寺、勝沼ワイナリーを訪れて、帰路についたのは17時半。中央高速が大渋滞で、大宮まで4時間も掛かってしまいましたけど、バスの中も楽しかったです。全員のスピーチや朗読、ワインパーティがあって、アッという間でしたね。幹事の皆さん、ありがとうございました。
 大宮に着いてからも反省会と称する呑み会に9名も残って、23時頃まで呑んでいたかな。私は今夜も泊めてもらいました。佳い一日で、私にとっては大きな収穫のあった小旅行でした。お誘いいただいて良かったです。感謝!



『山梨県詩人会会報』創刊号
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2006.6.4 山梨県笛吹市
古屋久昭氏方事務局 非売品

<目次>
ごあいさつ/会長・笠井忠文 1       復活「山梨の詩祭」/こまつかん 2
詩人会講演会の開催/桜井節 2       文学散歩を終えて…/橘田活子 2
再開二年目に入る「山梨県詩人会」 3     「山梨県詩人会」役員・賛助会員名簿 3
会員消息 4



 10年ぶりに再開された山梨県詩人会の会報・創刊号です。すべての頁が会のHP「
http://www7a.biglobe.ne.jp/~yamanashishijinkai/」に載っていますので、詳細はそちらをご覧ください。山梨県詩人会の今後のご発展を祈念いたします。




詩誌『草炎』24号
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2006.8.22 山梨県笛吹市
わたなべ政之助氏発行 700円

<目次>
◆詩
置き忘れた小包とは/わたなべ政之助 2   綱引き/浅木 萌 4
木/荒井初枝 6              空/荒井初枝 9
プリズナー/前島正吾 12          菩提樹の下で/まき の のぶ 14
◆エッセイ
井之口村界隈/乙黒善彦 19         閉局そして開幕/杉原邦佳 24
詩人小沢真砂夫と私/あさいまさえ 26    深沢七郎抄(三)−「ラブミー農場訪問記」その三−/浜野茂則 29
源氏物語を歩く(一)−黄泉路への旅立ち−わたなべ政之助 40
受贈詩誌 47                編集後記/わたなべ政之助 48
同人名簿 49
題字:一瀬 稔/表紙カット:赤井須磨子



 置き忘れた小包とは/わたなべ政之助

この列車は各駅停車
いろいろな風物にあい
人情にふれ一条の軌条に乗って盲進する

老いた男は
もはや取り戻す術もなく
遥かに遠のく懐かしい風景に
浸ることさえできないまま
はや終着駅の灯りが滲んで見える
この男には
そこまでの切符しかない
座席もなく把手もなく
身体の均衡を保つことにつかれて
揺れに動じぬよう
転ばぬよう
爪先に力を入れて足を踏ん張る

突然先の見えない真暗なトンネル
嶮しい渓谷に架かる鉄橋
まさに積々した人間一生の
ドラマそのままではないか

老いた男の
置き忘れた小包とはなにか

 「終着駅」に向かう「老いた男」の心境が良く出ている作品だと思います。最終連の「老いた男の/置き忘れた小包とはなにか」というフレーズがよく効いていて印象的です。そうやって男というものは「置き忘れた小包」に執着するものなのかもしれません。やるべきことはやり、見るべきものは全て見たという男がいる反面、詩人は常に「置き忘れた小包」を考えるという人種なのでしょうか。深い感銘を受けた作品です。



安藤一宏氏詩集『燃えない木』
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1995.12 山梨県甲府市 乾季詩社刊 1500円

<目次>
燃えない木 6               焼かないで焼く 10
蟹の足 12                 逆さのレタス 16
ヤスデ 20                 ヘラ細胞 24
アメーバ 30                双子 36
手品の様に 40               恐竜 42
さかな 44                 光るメダカ 46
お産の場合 50               キメラ 56
マントヒヒ 58               コピー 62
仮想生物シャルロット 66          接木 70
遣伝子 74                 遣伝子銃 78
象がいなくなる 82             捨てる 90
エボラ出血熱 96
 あとがき 102               装丁 古屋久昭



 燃えない木

燃えない木を作ったという

「燃えない木」
言葉としては
あまり変ではないですが
木が燃えないというのは
変だと思いませんか

私たち生き物はすべて
炭素や水素から出来ていて
燃えてみんな灰になる

燃えないのは
金属や石などの
無機物と呼ばれるもの

私たちの住む家は
燃えない方がいいからと
そこで石や煉瓦も使うけど
やはり石は冷たいと

その点木の家には温もりがあるから
どうしても木を燃えなくしたい
この「木」であればいいという
そこを変だと思いませんか

特殊な樹脂で加工して
木を燃えなくするのは簡単で
家は燃えなくなったけど
燃えない家は燃えるだろうか
燃えない家に温もりは生まれるだろうか

同じように考えて
安い木材を加工して
年輪模様までも真似をして
本物よりも本物らしい檜の板を作り出し
檜造りにも住めるようになったのですが
このこともやはり変ではないですか

そして
この家の食卓には
「かにあし」入りの即席ラーメン

 紹介したのはタイトルポエムで、かつ巻頭作品です。「燃えない木を作ったという」人類に対して「変だと思いませんか」と警鐘を鳴らしています。この姿勢は詩集全体を貫いていました。「安い木材を加工して/年輪模様までも真似をして/本物よりも本物らしい檜の坂を作り出し」た我々の向かう先はどこか。「本物よりも本物らしい」「『かにあし』入りの即席ラーメン」を食べる「食卓」。それは違うだろうと横っ面を張られたような感じを受けました。10年前の20世紀の詩集ですが、21世紀の現在も問題は何も解決していないと気付かされた詩集です。



村松英氏詩集『らどりお』
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2000.7.25 東京都新宿区
思潮社刊 2000円+税

<目次>
 *
日の丸 8                 鍵 14
左様奈良 18                雪 22
薬局の記憶 26
 **
F君は何になるつもりなんだ 30       少年とホームレス 34
新しい自転車で時間を買う 36        おもちゃやさんになりたい 40
いつの間に 44               焼き芋 46
三十一歳の母親の記憶 48
 ***
蒟蒻 52                  猫や 54
口は あった方がいい 56          海は怖い 58
里芋と菜箸 60               あきらめてしまったから 64
死 66                   Mさんが蝶をつれてきた 68
若いというだけで 70            慶弔儀礼 74
それっきり 76
 ****
岩と海と 80                シべリウス公園のペンペン草 82
氷河 84                  ダム湖の雨 88
敵を愛する不幸 92             喫茶店ラドリオ 94



 喫茶店ラドリオ

教えられて行った
まだ やっていますよ
なかなか おもしろいお店でね
時間があったら 行くといい
冨山房の裏です

五十年前の喫茶店
極小出版社の応接室 と伊達さんが書いていた
大きな木の鋲のようなカウンター席
エル字の椅子ともソファーともつかぬ腰掛け
たばこの煙で煤けた煉瓦の壁
木枠のガラス窓
客は背広姿の男同士ばかり
カウンターの中の女性は あか抜けた表情で
「いらっしやいませ 奥へどうぞ」
と言った
娘と私は 大きな鞄を肩に
奥の奥の入り口からいちばん離れた席に座った
ウインナコーヒーとジンジャエールをテーブルに
周りの客と同じように
買ってきたばかりの本を読み始めた

この五十年にどんなドラマがあったんだろう
伊達さんの言う 舗装してない神田の路地
私が生まれる頃からずっと
冨山房の裏で こうしてきたという

私は この五十年の詩を知りたくて
戦後詩を読み
黒田三郎や那珂太郎や数々の詩人を読んだ
生きている詩人は少なくなった
けれど この店は
ふりだしの日々の
極小出版社の応接室だった頃と変わりなく
ノスタルジックな佇まいを輝かせ続けている

また お越しください
カウンターの女性は
繰り返して言ってくれた

ええ また 行きますとも

 詩集タイトルの「らどりお」は紹介した作品「
喫茶店ラドリオ」から採ったと思われます。インターネットで検索すると、現在でも「まだ やってい」るようです。「私が生まれる頃から」とありますから、「私」は私と同世代のようです。必死に「戦後詩を読」んできた世代かと思うと親近感を覚えますね。「黒田三郎や那珂太郎や数々の詩人を読ん」で育ってきたように思います。
 「
喫茶店ラドリオ」はネットの評価でも「ノスタルジックな佇まい」とありました。「五十年前の喫茶店」に「娘と私は 大きな鞄を肩に/奥の奥の入り口からいちばん離れた席に座」り、「買ってきたばかりの本を読み」ながら半世紀を感じていたのではないかと想像しています。時間を超越した現在の空間を結晶させている作品と云えましょう。佳い詩集です。



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