きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.10.22 山梨県立美術館 |
2006.11.16(木)
午前中は父親の通院に付き合って、午後から床屋に行ってきました。何ヶ月ぶりだろ? たぶん3ヶ月ぶりかなと思います。長いときは4ヵ月も行きませんから、まあ、少しは短くなったのかもしれません。できれば月に一度ぐらい行く方が良いのでしょうが、幸いなことにあまり気になりません。でも、若いときはそれで良いかもしれませんけど、トシ取ったら身嗜みはきちんとした方が良いなと思い始めています。見てくれる人の気分を害さないように、、、って、見てくれる人もいませんけどね(^^;
○伊藤幸也氏詩集『被災地』 |
1973.11.12 東京都立川市 時間社刊 1500円 |
<目次>
T
ラバの唄 七 蝙蝠 一二
原野ものがたり 一三 岩 一六
被災地 一八 あれから一年 二二
富士 二六 樹氷 二八
ミイラになった首をかかげて 三〇 君たち<松川>の真犯人たち 三三
赤富士 三六 下水 三八
風のコレクション 四〇 自然 四三
夏・一九六七年 四五 秋深む 四七
鏡 四八 ピアノと女 五〇
虎 五三 鼻の嗅ぐ風景 五四
死角 五七 首尾のない会話 五九
U
黒内障 六五 亀裂 六七
黒い重量の夢 六八 兎 七〇
いななき 七一 野性 七二
闇 七三 泥河 七四
竜 七六 樹海 七七
イカルスの翼(一) 七九 イカルスの翼(二) 八一
春 八三 馬と朝露 八五
鬼たち 八七 霧 八八
騾馬 九〇 蠅 九二
ぼくはセールスマン 九四 理髪店にて 九六
臨月 九八 蛾 一〇一
静かな村にて 一〇三 雪 一〇五
終末 一〇七
小跋 金子光晴 あとがき 伊藤幸也
題字 北川冬彦 企画装釘 北川多紀
扉カット 田畔照久 表紙絵・カット 伊藤 京
被災地
船がのし上っている
屋根を跨いで
舳先が長くめり込んで
一見 かつお船だナとわかるが
誰もふりむきもしない
自衛隊の鉄かぶとが
えんやらえんやら
網を曳くが
めりつくのは屋台骨ばかりだ
何処が路面なのか
ベたつくのは重油まじりの泥濘
臭い
土蔵造りの白かべが
水量(みずかさ)を刻んで
臓腑をむきだした丹頂鶴のようだ
身丈ではかると すっぽり
軒場まではとどく
逃げおくれて
二階ですごしたと云う知人が
しけを喰(くら)ったぼろ船でしたナと笑う
水にあそばれて
田ン圃にはまった家屋
ポンコツにされた家並み
人々は陽気に戯言(ざれごと)は云うが
その手足は堰切られたように忙しい
せめて 助かっただけが儲けですァと云う
知人の表情は鋭い
あわただしく人がむらがる
掘りおこされた屋根の下に
泥にまみれた赤いアノラック
五六才だろうか
おえつをこらえて顔を拭いてやると
おかっぱ姿が眠ってるようだ
どの顔もしゅんとなる
厳しい
折から しゅんとなった顔のど真中を
ヘリコプターが掻きむしってゆく
日和りは五月
快晴
註 一九六〇年五月二十四日未明、三陸海岸一帯は、チリ津故に集われ、甚大な被害をこうむつ
た。とくに宮城県志津川港・女川港・石巻港はひどい惨状であつた。
この作品は志津川町を目撃して、その頃かいたものである。
2004年12月に亡くなった著者の遺稿詩集『火星(マルス)、頭上にきらめいて』を拙HPで紹介させていただいた縁で、生前の4冊の著書をご遺族から頂戴することができました。お礼申し上げます。
最初に紹介した詩集は1973年時間社刊で、第1詩集です。著者は1928年生まれですから、この詩集を発刊したのは45歳頃で、詩人としては遅い出版だったと言えるでしょうが、跋:金子光晴、題字:北川冬彦という豪華版。さらに企画装釘は北川夫人、扉カットは北川冬彦ご子息、表紙絵・カットは著者の愛娘の小学時代の版画と、著者を囲む人々の愛情があふれるという羨ましい詩集になっていました。
詩作品はタイトルポエムを紹介してみましたが、人間を見る眼の確かさと「日和りは五月/快晴」という最終部のフレーズに象徴される詩作の堅実さを感じさせます。他にも「ラバの唄」「騾馬」など社会性のある佳品が充満している詩集で、第6回北川冬彦賞を受賞するだけのことはあるなと思いました。
○伊藤幸也氏作品集『北の稲妻』 |
1981.10.5 神奈川県大和市 朋信社刊 3800円 |
<目次>
T(短編小説)
海景 1 歌枕 13
黄土の匈奴たち 30 夢幻 42
みじんこ暮らし 66 おりん 77
落葉の宿 89 月明 108
縁 117. 鴉 126
春のいぶき 133. 終着駅へ 137
U(シナリオ)
宇津木氏、蒸発す.141 天国議会 171
天錮恢々にして 200. あとがき 229
序 北川冬彦
題字 伊藤ちよ
装釘・レイアウト 石上喨介
カバー版画 伊藤 京
終着駅へ
発車すれすれの列車に、こみ上げそうな酔いをこらえて割り込んだとき、デッキばかりか車内の通路にさえ乗客が犇めいていた。
手提げカバン一個の身軽さであったが、たそがれ時のたて込みには辟易を感じさせられると同時に、年甲斐もなくラッシュに紛れ込んだ己れの無分別に、奥田は自嘲めいた憤懣さえ覚えさせられていた。
乗客のほとんどが若い男女で、その訛りのきいた喋り工合から、この小都市へ通勤している近郊の者たちに違いなかった。女性の身なりは、それぞれにケバ立つような装いでへんに都会風であったが、若い男たちは一見してS製紙の工員とわかるやぼったいマーク入りのジャンパー姿で、くすんだような顔色をのぞかせていた。
列車はその窓に秋晴れの冴えた夕空とくろずみはじめた海のいろを吸いとるように映じながら、軋むようにひた走っていた。
この二年間、月に三度訪れるこの沿線の風景には、すっかりなじみ抜いたつもりの奥田であるが、人混みにもまれて肩越しに眺める日本海の静まり返った海のいろが、妙によそよそしく興ざめた老残のように思われて、虚ろな気持ちであった。
三っ目の駅を過ぎると、車内が急にがらんとし始めた。その頃から灯がともり、列車はゴツゴツよじ登るような喘ぎをたてて、山峡にさしかかっていた。
奥田は手近かな窓際の席に、身を沈めるように落ち着いた。毛穴という毛穴から一時に酔いが発散して、胸苦しさがつのった。
ネクタイをゆるめけだるい目蓋を閉じると、海鳴りのような轟音に吸われた。列車がトンネルを通過するのだ。このあたりは短かいトンネルが矢継ぎ早やにつらなり、進行方向の左手にエゾ松や白樺の峰峰がそば立ち、右手の足下には、風雪にくろずむ懸崖(きりぎし)に日本海の荒波が絶え間なくいどむ、大自然の絶景が一望されるところであった。
奥田は目蓋を閉じたなりで、頭の芯のしこりのような疼きを反芻していたが、やがて、とろりとまどろんだらしい。列車のリズムがいつの間にか、軽快になっていた。
窓から瞳をこらすと、列車はくろぐろと息をひそめる海原の、大きく湾曲した入江のほとりを驀進していた。時おり、点在する家並みの窓明りが、光芒のようにきらりとにじんでは遠ざかる。
背後の席から、くしゃみがとどいた。
奥田は空席の目立つ車内を見渡しながら、うら悲しい気分にひたされていた。
今さらと思いながらも、酔いざめのせいか、そそけだつ胸裡の佗びしさがこみ上げる思いであった。
この古ぼけた列車の乗客として、あの小都市に通うことは、もう二度とあるまい。
奥田は内ポケットをまさぐって、のし袋を取り出した。寸志という墨書がヤケにれいれいしく、腹ただしかった。裏返えすと、金弐拾万円也の文字が嘲笑うように躍っていた。奥田と勤務先の会社とのつながりは、退職金ではなくこの寸志という文字にこめられていた。
かっての奥田なら、この処遇を一喝して断ったことであろうが、最愛の伴侶を病床に喪ってから、彼は一変して腑抜けたように卑屈になっていた。
前職の会社では、営業きっての辣腕家として出世コースの先陣争いに加わり、次長のポストまでのし上ったが、妻を喪ってから退職時までの奥田は、鳴かず飛ばずの日を重ねて、ついつい閑職に左遷されたといちう曰くがあった。
その奥田を、下請け会社の岡村が嘱託として拾ったのである。むろん、利害の目算を踏まえてのことであった。彼のかっての部下たちが、親会社のそれぞれの要職を占めていたので、その橋渡しが役割であった。
この二年間、奥田はその役目を曲りなりにも果たし、期待に応えていた。が、そろそろご利益(りやく)がきれかかっていた。
岡村は内密に後任探しをすすめていた。その白羽の矢が、かっての奥田のもっとも信頼した部下のひとりに、親会社の折り紙づきで決まりそうだと知ったとき、彼は未練をもつまいと肛にくくっていた。
まもなく役員席と同居していた奥田のデスクが、役員室の模様替えという名目で、総務部の大部屋へ移された。彼の不在の時のことである。
奥田が辞意を申し出たのは、その直後であった。
窓外を眺めると、闇の中で渦をえがくように、濃霧がたちこめていた。
汽笛がけたたましく吠えたてている。
車内灯が心もち明るさを増すと、スピーカーが五分後に終着駅につくことを報じて、列車がガクンと揺らいだ。
奥田は名刺入れから、参与という肩書の名刺を一枚一枚とり出すと、丹念に千切りはじめていた。
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こちらは第1詩集から8年後に出版された短編小説12編、シナリオ3編の作品集です。こちらも北川冬彦の跋を得、ご夫人、ご令嬢が題字、カバー版画を担当するという羨ましい本になっていました。作品は江戸時代、中国14世紀、敗戦直後、そして現代(1970年代)と多岐に渡り、著者のカバー範囲には目を見張るものがあります。特にシナリオが佳いですね。
紹介したのは短編小説の中では最も短いもので、全文です。この身近さの中に「奥田」の置かれた状況、人間性が端的に描かれており、文体も申し分ありません。「その窓に秋晴れの冴えた夕空とくろずみはじめた海のいろを吸いとるように映じながら、軋むようにひた走」る「列車」が効果的に使われており、シナリオと合わせ愚考するに、映像作家としても通用していた方なのかもしれません。
○伊藤幸也氏詩集『茫茫』 |
1988.11.10 埼玉県狭山市 セコイア社刊 2500円 |
<目次>
T
秋日和…4 神かがりの眼…6
翼となって かろやかに…9 富士…12
原罪…14 義眼…16
滅却…18 再会…20
U
おきな草…34 年輪…38
苛烈…39 近況…40
札幌…42 馬糞風…44
胃痛…46 風顔…49
火を あらたに…52 囀声…54
渺…56 悠…57
V
風のコレクション…68 発疹…71
猛禽…72 驟雨…74
〈独白〉抄…76 もくれん…79
春日遅々…80 キャンプファイア…82
涸れて 愛…84 赤面症…86
漁港にて…88 愛撫…90
パノラマ…91
W
ラバの唄…98 氷柱…102
変身…104. 地球のなげき…106
黒内障…108. ピアノと女…109
龍…112. 君たち<松川>の真犯人たち…114
烟むる風景…118. 夕日…120
光りたつ力点を求めて…122. ささしぐれ…124
快晴…128
一言まで 北川冬彦 一献 木暮克彦
あとがき 伊藤幸也 企画装釘 吉川 仁
おび文 松本建彦 カット版画 伊藤 京
驟雨
遮断機にはばまれて
空を見あげた
たそがれ近い空の眼ざしは
警報にあおられて淀み
いまにも泣き出しそうだ
屈強に装甲された
ぎんいろの地鳴りが通過する
その疾走を
背中でささえて スパークし
レールは歯ぎしりつづける
すると 驟雨が
所在なげな顔 顔を
さっと一薙ぎして濡らした
折から
遮断機の手が
垂れこめる空へながく伸びて
人びとは
われがちにくぐり抜ける
そのざわめきを
爆音だけのジェット機が
曇天にまぎれて
たけだけしく掻き毟っていく
1988年に刊行された15年ぶりの第2詩集です。紹介した作品は、おそらくお住まいの近くにある踏切で、小田急江ノ島線・東急田園都市線の中央林間駅付近を描いているのだろうと思います。普遍性のある作品を固有の場所に限定して考えるのはどうかと思いますが、奥付に書かれた住所を手掛かりに、「爆音だけのジェット機が」というフレーズで米軍厚木基地を想起し、手持ちの地図を見ながらそう考えました。実はこれ、作品を読む、別の楽しみなのです。
この短い詩には実に多くの新しいことが描かれています。空が「いまにも泣き出しそうだ」という喩は古くからありますが、ここでは「警報にあおられて淀」む空となっており、この視点は新しい。電車を「屈強に装甲された/ぎんいろの地鳴り」とする点。「レール」は電車の「疾走を/背中でささえて スパークし」「歯ぎしりつづけ」ています。「遮断機」が上がることを「垂れこめる空へながく伸び」ていくとする点。「人びと」の「ざわめきを/爆音だけのジェット機が」「たけだけしく掻き毟っていく」点など、全ての言葉に無駄がなく、かつ新しい視点・表現で満たされています。20年ほど前に書かれた作品ですが、21世紀の現在でもまったく古さを感じさせません。小説やシナリオも書く著者の安定した視座の賜物でしょうか、頁を繰るたびに新鮮な風を吹き込んでもらった詩集です。
○伊藤幸也氏詩集『からすの顛末』 |
1999.8.1 東京都千代田区 鶴書院刊 2500円+税 |
<目次>
T
些事の痛み 10 歌声 12
風景 14 霞ケ関寸描 16
ひまわり綺想 20 キナ臭いやつら 24
U
遊牧地にて 30 からすの顛末 34
熱帯夜 40 回想 42
妖氛 44 回帰 46
V
仮想現実 54 霜夜 58
望郷 60 戯画像 62
山峡 66 壮絶の美 68
目顔の光景 70 空耳 72
あとがき 77 略歴 81
装丁・装画/塩谷良治
からすの顛末
闇夜(あんや)につままれるように
からすには 冷やっとさせる
粗暴な神秘(ミステリー)がひそんでいる
そのミスティックなところが
古代中国では
端雅な女性のイメージでよそわれ
黒衣の神の使者として崇められたらしい
ある五月晴れの昼下がり 路上でのこと
緑のきらめく並木の梢から
からすが一羽 すうっと舞い降りて
通りがかったペットの狆(ちん)ころを
すかさず襲った というのだ
がさつな話で腑に落ちないだろうが
確かにホントの話
反対側の歩道から ぼくが見ていた
小犬が突如 きゃんきゃん 鳴きわめくので
思わずたたずみ眺めると
ペットを抱きあげながら
身なりのラフなご婦人が
梢を睨んで 息巻くようすであった
頭上からの咄嗟の出会いに
まず狆ころが魂消て吠えたて つられて
からすがはばたきで威嚇したのだろう
襲撃なら 当然反復して襲うに違いないが
からすの姿はなかった
近ごろ頓(とみ)に
市街地に棲みつき 各所を三三五五
横行するからすどもは ふてぶてしく
まるで可愛げがない 胡散臭いのだ
危害に及ぶことはないにしても
けものじみて 気味わるく
漆黒のすがたそのものに 陰湿で
腥(なまぐさ)さが臭うのだ
そういえば 漢字では
牙(きばへん)に鳥がくっついて
鴉(からす)と訓ずる――漢音ア
鴉という字のばあい 普通は
はしぶとからす と はしぼそからす
この二つを指すそうだ
身近にたむろするやつを観察しようにも
どちらがはしぶとか 同様に見えて
識別 甚だむずかしく 同種なのかさえ不明
くちばし湾曲して太く 額(おでこ)がでっぱり
澄んだ声で鳴くのが はしぶとからす
はしぼそからすは 前者よりやや小振りで
くちばし細く 濁った声で鳴くそうだ※
因(ちなみ)に烏なる漢字 からすと訓じ その総称
まっくろで目がどこにあるのか分らず
鳥から 目にあたる一画を省いた象形化
中国的思考の痛快さ 瓢逸の妙がある
烏乎(ああ) それにつけても
とうきょうの からすどもの俗悪さよ
都心には推定二万羽 巣くって群がり
地域住民たちの日常生活に 甚大な
迷惑になっている というのだ
これが 夕刻の気ぜわしいさ中の
テレビ特集番組なのだから
悪戯(いたずら)っぽいからすならずとも
小耳にして気色をわるくするだろう
ただ一つおやっと思い 画面を覗かせたのは
行政の担当と住民陳情団のやりとり
陳情団の調べでは 同じようなゴミ状況の
大阪では からすに因るゴミ災害は
殆ど発生していない と主張している
(むろん 糞(ふん)垂れながし街路汚染も)
鳥目(とりめ)のからすが寝込んでいるあいだ
つまり 深夜にゴミの回収処理を
すべて完了するので 餌になるものがない
だから この方法の実施を懇願しているのに
行政窓口は強(したた)かに 慇懃なのらりくらり
そのクローズアップは まるで目のとろけた
からすの影絵そっくりの 化身であった
※新字源(角川版)国語辞典(岩波版ほか)参照。
著者生前最後の詩集です。タイトルポエムを紹介してみましたが、最初に二三お断りしておきます。HTML形式ではルビがうまく再現できません。やむを得ず(
)に入れてあります。同様に傍点も難しいので、下線付き文字としてあります。また「顛末」の顛は原本では本字ですが、これもJISコードで再現できる略字としてあります。途中の行空けは原本に従いましたが、本来は連続だったかもしれません。
さて、本題。この作品は「からす」について教わるところが多くありました。「鴉という字のばあい 普通は/はしぶとからす と はしぼそからす/この二つを指」し、「澄んだ声で鳴くのが はしぶとからす」、「はしぼそからすは」「くちばし細く 濁った声で鳴く」。カアカアと鳴くのがはしぶと、ギャアギャアと気味の悪い声がはしぼそということのようで、はしぼそが増えているのかもしれません。「烏」はその二種の「総称」とは知りませんでした。「まっくろで目がどこにあるのか分らず/鳥から 目にあたる一画を省いた象形化/中国的思考の痛快さ 瓢逸の妙がある」というのは、まさにその通りですね。続く「烏乎」も「瓢逸」と云えましょう。最終の「まるで目のとろけた/からすの影絵そっくりの 化身であった」という詩語は、この作品の詩たる由縁で、著者の批判精神が結実しているところだと思います。
これで著者生前の詩集3冊、作品集1冊、遺稿詩集と全ての著作を拝読しました。全体を通じて感じるのは、著者の文学者としての姿勢の良さとともに、師、詩友、そしてご家族と、人脈の暖かさ豊かさです。もちろんそれは著者自身の人間性の結果でしょうが、それだけでなく周りの人たちの人品が著者にも作用したように思います。76歳という生涯は、今の世では早いと云えるでしょう。一度お会いしたかった文人だとつくづく感じました。改めてご冥福をお祈りいたします。
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