きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.10.22 山梨県立美術館




2006.11.22(水)


 久しぶりにハンス・ベルメールの絵が観たくなって、伊東・一碧湖畔の「池田20世紀美術館」へ行ってきました。ハンス・ベルメール(1902〜1975)はポーランド生まれの解剖学者で、シュールリアリズム詩人・ロートレアモン(1846〜1870)の唯一の詩集『マルドロールの歌』の挿絵を描いた人として有名です。そのハンス・ベルメールのペン画が数多く収蔵されているのが「池田20世紀美術館」。1975年の開館直後から何度も訪れていますが、ここ数年行っていないので、たまには行ってみるかという気になったのです。

 しかし、なんと休館! 以前は休館日がなかったように記憶していますし、仮にあったとしても月曜日だろうと思っていました。あとで調べたら一碧湖畔や大室山周辺の美術館はほとんどが水曜休館でした。がっかり…。ま、気を取り直して来週でもまた足を運んでみようと思っています。



詩誌『谷神』7号
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2006.11.15 千葉市稲毛区
楓社・中村洋子氏発行 非売品

<目次>
くちびる・鍵/田中憲子 1         まさか・秋の空の下/肱岡晢子 4
渡り廊下/増田恭子 8           登山の道具/中村洋子 10
玉川 3・4/松田治江 12
楓舎の窓/中村洋子 16           あとがき



 玉川 4/松田治江

太って背の小さな祖母は
ウサギを飼っていた
白いごはんを餌に与えた
こうすると肉がおいしくなるよ
(コウスット ニグ ウンマグナルヨ)
と言った

ウサギは赤い鼻先を動かして
白いごはんの餌を食べた
緑色の草も食べた
赤い鼻先の下の
小さな口の中に
餌は消えていった

白いからだは
だんだん重くなっていった
ウサギ小屋の前で
「いい子だ いい子だ」
と祖母は言っていた

ある日
ウサギは女の子の食卓にあった
祖母は言った
柔らかくておいしい肉だよ たくさん食べて 元気をお出し
(ヤッコクテ ンメニグダベ イッペクッテ ゲンキダサネバ
  オメニクワレレバ ウサコウモ ヨロコブベ)

女の子は食べた
おいしいかどうか分からなかったが食べた
大好きな祖母が育てた
かわいいウサギ

食べると祖母は女の子に言った
「いい子だ いい子だ」

 注・玉川 東北、飯豊山のふもとを流れる清流

 怖い詩ですね。「いい子だ いい子だ」と「祖母」に言われた「女の子」も、そのうち「食卓にあっ」て…。( )内の東北弁も奏功しています。
 こうやって私たちはいろいろなものを食べているのだなと改めて気付かされます。生きる上では止むを得ないことで、誰からも批判されるものではありませんが、生きるということの業、原罪を考えさせられます。怖くて、それからちょっと考えこんでしまった作品です。



詩誌『アル』34号
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2006.10.30 横浜市港南区
西村富枝氏発行 450円

<目次>
特集 子供
幼児…江知柿美…1             鎮魂…江知柿美…5
祈りといのり…西村富枝…9         くらいしす(とべないこどもたち)…平田せつ子…11
Uちゃん…阿部はるみ…15          子供…阿部はるみ…17
道化師の朝…荒木三千代…19
エッセイ
私たち そしてY子の死…江知柿美…21
詩篇
明るい方へ…西村富枝…25          旅…西村富枝…27
喫茶店…西村富技…29            めまい…江知柿美…31
まわる…荒木三千代…33
編集後記…江知・西村…35



 幼児/江知柿美

床を鳴らして
走っている
くるりと向きを変えたり
ぐるぐる回りだしたり
どこへ行くのか と
また戻ってくる

覗き込む
母の口の中を
土管の中を
蛇の口まで
中へ中へ
顔を上げると
大きな目
驚いて
問うている

何故 何故
どうして?
大人は困惑する
答えは用意してないから
地図の中にはないから
どこで探したらいいのだろう

体を傾けてくる
母の支柱に向かって
すりよってくる
母の乳房の根源まで
傾けてくる
ふと体を離す
母の支柱から離す
乳房でないものに向かって
遠い遠いものに向かって
母の手は届かない

笑い出す
声を出して
なにがおかしいのか
大人にはなぞの
秘密のおかしみ

空中に手を上げて
かきまわす
何を

懐かしい狂人
つかの間の
虹だ

 創刊25周年、通巻50号の記念号です。おめでとうございます。創刊は1981年、途中で第U期となって、通巻50号とのことでした。今号の特集は「子供」。巻頭作品を紹介してみましたが、第2連のあちこち「覗き込む」様に子供の特質が良く描かれていると思います。そして何も「答えは用意してない」「大人」の「困惑」もよく捉えていると云えるでしょう。最終連がまた佳いですね。「懐かしい狂人」、「つかの間の/虹」とするところに作者の並々ならぬ感性を感じました。



禿慶子氏詩集『我が王国から』
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2006.11.22 東京都千代田区
砂子屋書房刊 2500円+税

<目次>
ビーズ遊び 10    水の花から 14
コンペイトウ 18   処刑遊び 24
手紙 30       蜘蛛の指 36
解体 42       非在の庭 46
飢えのかたち 52   白い毛布 56
虹 60        対話 64
やさしい関係 72   ろうそく 78
やさしい木 88    ほおずき 92
こぶしの花 96    リンゴ 100
ジェンダーのまち 106
あとがき 110



 解体

ざわざわ
松林が黒い塊になって揺れている
もう 帰らなければ
汚れた額に唇をつけてから
砂を掘り枯れ松葉を敷き
人形を静かに寝かせた
あした逢いにくるからね

からだを倒すとうっとりと眠り
きつく抱くと籠った細い声を出す
お定まりの人形だが
誰にも愛されるよう作られたものに
わたしは馴染めない
誰にも褒められる良い子のように
だが目障りな存在だ

思い付いたある日
あちらこちら調べてみた
柔らかい巻き毛をはぎとると
頭のなかは空洞で
目の裏に重りのついたバネが見える
指を差し入れてそれをはずし
ついでにドレスを引き裂いて
腹に仕込まれた袋を千切って捨てた
寝かせても締め付けても
もう したり顔で目を閉じない
甘えた声で訴えない
立たせるとぐにゃりと腰を折った

思いのほか集中した時間だった
勝者になってぶざまなひとがたを
しばらく見下ろしていたが
捨てるには哀れだった
まだ興奮の残る手で
ドレスを直し髪を被せたが
もとの人形には戻らない
それから
壊れたからだをしっかりと抱いた
無くした声帯から言葉が伝わってくる
いとしいとはこういうものなのか

掘り出した人形の着衣から砂を払い
丁寧に顔を拭いてやる
目元をハンカチで拭うとき
ふと目頭が熱くなった
わたしにもこうして
気遣ってくれる指が欲しい

 「誰にも愛されるよう作られた」「人形」に「わたしは馴染め」ず、「目障りな存在」として「解体」してしまったものの、「捨てるには哀れ」と感じ、「いとしいとはこういうものなのか」と幼心にも気付く。そして「わたしにもこうして/気遣ってくれる指が欲しい」と「目頭が熱くなっ」てしまう…。幼児の心理を見事に表現していますが、それは幼児に限らず大人でも同じなのではないかと気付かされます。ことによったら「解体」したのは人形だけでなく自分自身だったのかもしれない…。そこまで読ませてしまう佳品と云えましょう。第3連の「立たせるとぐにゃりと腰を折」るまで「調べてみた」箇所が、鬼気迫るものがあって佳いですね。

 本詩集の中の
「白い毛布」は拙HPですでに紹介していました。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて禿慶子詩の世界をご堪能ください。



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