きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.11.04 仙台市内




2006.12.18(月)


 その2  
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『中部の戦後詩誌』1945年12月〜2006年5月
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2006.11.25 名古屋市中区
鈴木哲雄氏編集・中日詩人会(岡崎純会長)発行 1000円

<目次>
「中部の戦後詩誌」の刊行にあたって
T 愛知県の詩誌 ・・・・・・・・・・・1
U 岐阜県の詩誌 ・・・・・・・・・・・47
V 三重県の詩誌 ・・・・・・・・・・・69
W 静岡県の詩誌 ・・・・・・・・・・・87
V 長野県の詩誌 ・・・・・・・・・・・137
Y 福井県の詩誌(石川県の一部を含む)・171
 ・編集後記   ・・・・・・・・・・・185
 ・参考資料   ・・・・・・・・・・・186



『中部の戦後詩誌』刊行にあたって/中日詩人会会長 岡崎 純

 中日詩人会は、昭和26年(1951)5月、中部日本詩人連盟として中部詩界、当時は東海4県の同人詩誌による詩人たちを結集して発足しました。その後、範囲を広め、中部各県の詩人を加えて、詩活動の歳月を重ねてきました。
 平成16年(2004)6月刊の「中日詩人会の歴史」には、発足当時の会員たちが所属し発行した27冊の同人詩誌名が記されていますが、勿論これだけではなく、他県でも戦後の困難な時代に同人詩誌は発行されていました。
 永年継続して発行されている同人詩誌もありますが、種々の事情によって生まれては消えていく繰り返しのなかで、発刊されてきたのではないかと思います。それゆえ、どのような同人詩誌が戦後の中部詩界で発行され、どのような詩人が活動していたのか、歳月のなかに埋没し、忘れ去られてしまいがちです。しかし、いつの時代にあっても、こうした同人詩誌によって詩は守られ、発展してきたのだといえます。
 その意味でも、戦後60年の節目のときに、中部詩界の戦後同人詩誌について、できるだけ事実に基づいて記録しておくことは、大変に意義のあることだと思います。
 これまで中日詩人会は『処女詩集の頃』(平成7年9月刊)、『中部地方の戦後詩集年表』(平成14年6月刊)、『中日詩人会の歴史』を発刊してきました。そして今回、『中部の戦後詩誌』を発刊いたしました。発刊にあたり、編集者鈴木哲雄氏のとりわけのご努力、並びに会員各氏等のご支援を得ましたこと、心からお礼を申し上げます。
 平成18年(2006)10月

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 これはとんでもない本を頂戴しました。戦後60年に及ぶ中部地方の詩誌を網羅した史料です。刊行の意図を中日詩人会会長の岡崎純さんが述べていますので、ここに転載させていただきました。
 どんな詩誌があったのか、とても全てを記すことはできませんが、せめて各県でどのくらいの詩誌が掲載されているか書いておきます。
 愛知県…91詩誌+その他14詩誌
 岐阜県…39詩誌+その他8詩誌
 三重県…32詩誌
 静岡県…93詩誌+その他53詩誌
 長野県…66詩誌+その他19詩誌
 福井県…18詩誌+その他11詩誌+石川県4詩誌
 単純に足し算して448誌! もちろん今も健在の詩誌がたくさんあります。数の上では愛知県が多いように見えますが、静岡県がそれを超えているということもまた、面白い点だと思います。

 私がこの史料をいただけるようになったのには、実は理由があります。生まれは北海道ですが静岡県内の高校を卒業し、今も実家は静岡県にあります。そんな関係で沼津の詩誌に加わっていた時期があり、その詩誌の紹介をせよと事務局から連絡がありました。その詩誌は『混燐祭』と言い、20〜30代の若手10人ほどの集まりでしたが、すでに20年も前に解散しています。私が書いても良かったのですが、ようやく当時の主宰者を探し当て、彼に書いてもらったという経緯があります。そんな関係で頂戴することができました。
 各詩誌について、どんな感じで書かれているか、『混燐祭』を例に紹介しておきましょう。

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(詩誌)静岡県 混燐祭(こんりんさい) 1983年9月創刊 1987年1月9号(終刊) 同人11人以上 <創刊号の表紙写真あり>
 1983年9月、前身の「BLUE」メンバー、大倉文、室伏十四彦、原博康らが呼びかけ、村山精二、田中豊、上田純也、田代勉、渡辺一太、高田数量が加わり発足し、創刊。
「誌名に深い意味を込めたくない。何となく祭り気分で・・」不思議さを読み手に委ねるといった共通項が感じられた。詩誌ではあったが、ボーダレスでもあった。イラスト、写真、戯曲など誌面上を表現の場として、可能なジャンルには開放し続けてきた。よって同人の縛りも希薄で自由な空気が流れていた。
 1987年9号を発行するまでの間、片山ユキオ、杉山恵一、鈴木綾、寺田全子、有田昭三、白井祥子、鈴木雄二、奥原登紀子、望月みどり、渡辺康子、大崎美意、服部容子、小池康子、直井和夫らが各自の持つ表現手段で登場、祭り気分を高めていった。
 9号発行以後、休眠状態、消息不明である。
   9号発行所 三島市**町*-*-* 鳥居方

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 1頁の半分を使って、簡潔に書かれています。貴重な史料であるだけでなく、関係者には懐かしい名前も見えて、その後の同人の消息も気になるところでした。(*には町名、番地が書かれていますが、ここではネットの性格上伏字としました)
 中日詩人会の皆様のお仕事に敬意を表します。ありがとうございました。



詩誌『錨地』46号
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2006.11.30 北海道苫小牧市
入谷寿一氏方・錨地詩会発行 500円

 目次
<作品>
立ち上がる水のノマド…新井幸夫 1     白い帆船と道化師…中原順子 3
古い海…尾形俊雄 5            このいたいけな…宮脇惇子 7
滴る葉…遠藤 整 9            八月…サワダヒカル 11
自分…浅野初子 13             花火…菊谷芙美子 15
花売りおばさん…関知恵子 17        流れ星…笹原実穂子 19
生き通しの生命・恩寵…あさの蒼 21     遡上する・土と蟹…入谷寿一 24
靴を磨く…山岸 久 27           たうんあにま…新井幸夫 31
<エツセー>
口笛を吹く子は親不孝者…山岸 久 57    生命感の躍動・木田金次郎…入谷寿一 57
祖父ちゃんと列車と冷凍みかん…菊池一豊 62
<風鐸>『錨地45号』に寄せて…65
同人近況…30・56              受贈詩誌・詩集紹介…67
あとがき…68                同人名簿…69
表紙…工藤裕司 カット…坂井伸一



 遡上する/入谷寿一

滝は二段になり 岩面をすだれ状に流れ落ち
止むことのない爆水の音
上から見ると 三段になって空から落下し
緑闇の合間に 天女の脱いだ白布が垂れ下がる

滝の上流を遡る
重なり合った岩を噛んで白波を立て
朽ちた倒木の列にキノコが点々と生え
ヤナギタケ ヒラタケ ナラタケ ムキクケ
山が豊穣な生命を産み

川から上がったが 進むべき道がない
往ったり 戻ったり へとへとになって
やっと古林道に出る
道を横断する清流に 背鰭を立てて尺大のイワナの群
が遡上する
水が豊穣な生命を育み

北へ北へ 暗い谷間に碧い本流が奔り
木立を縫って大きな白蛇がうねる
奥の森には温泉が沸き出て
青大将とゆっくりつかる
鹿が連れ立って覗きに来る
森が豊穣な生命を養い

 北海道の自然をうたった雄大な作品だと思います。「山が豊穣な生命を産み」、「水が豊穣な生命を育み」、「森が豊穣な生命を養い」と3連に渡って「豊穣な生命」をうたっていますが、一見、破綻しそうで破綻していないのは、その後に続く動詞上一段活用連用形(たぶん合っていると思います)が効果を表しているせいでしょう。おもしろい手法です。視覚的にも「緑闇の合間に 天女の脱いだ白布が垂れ下がる」、「木立を縫って大きな白蛇がうねる」などのフレーズは見事ですね。「奥の森」の「温泉」で、「青大将」は願い下げとしても「鹿」に「覗」かれて「ゆっくりつか」ってみたいものだと感じさせた作品です。



詩誌『石の詩』66号
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2007.1.20 三重県伊勢市
渡辺正也氏方・石の詩会発行 1000円

<目次>
まわり道/濱條智里 1           インドの雨/北川朱実 2
永遠のコドモ会 Z/高澤靜香 3      一つ星/真岡太朗 4
魔女宣言 XXXX/濱條智里 5      セドナ/橋本和彦 6
森の中へ−八木道雄・主治医のカルテ−/佐伯 晋 8
午睡の夏/米倉雅久 10           夏の挨拶/谷本州子 11
旅のメモ(6)/落合花子 12
三度のめしより(二十) そうと ちゃいまっか/北川朱実 14
世情/加藤眞妙 18             夏空のオリオン/浜口 拓 19
焼き薯/奥田守四郎 20           湖のほとり/澤山すみへ 21
八月の空/キム・リジャ 22         左利考/西出新三郎 23
朝へ/渡辺正也 24
■右の詩会 CORNER 25        題字・渡辺正也



 左利考/西出新三郎

縦書きの邦文の文書を
右からの書き始めると
生乾きのインクや墨を
こすってしまう不便はあるが
欧文を引用するときには
九十度紙を逆時計回しするだけですむ

左から書き始めた場合
同じことをすると
文字の向きが邦文と逆になり
二行以上にわたり引用するとなると
上へ上へと書き進めるという
不都合が生じてしまう
九十度紙を時計回しにすればと言うなら
やってみればいい

ごく近年まで
左利き用の鋏はなかった
今でも楽器はすべて右利き用である
指揮者が左手にタクトを握ったら
オーケストラはうろたえるだろう

舞台は右が上手である
右に出る者はいない
左遷などと言うが
縦書きを右から始める
文化のなごりであろう

マサッチョでもボッティチェリでも
聖母子像ではマリアは
左手でイエスをかかえている
いちばん大事なものは
右手で守りぬく必要からであろう

母親の心臓の音を
左の耳で聴きながら
右の手で乳首を含んだ遠い昔
だれもが
文字も鋏も楽器も
知らなかった

臨終の床に横たわる
母親の心臓の最期の音を聴こうとする場合
左の胸をまさぐるには
右利きと左利きと
どちらが優利か

 「縦書きの邦文の文書を/右からの書き始めると/生乾きのインクや墨を/こすってしまう不便は」確かにあって、昔、同僚が「縦書きの邦文の文書を」左「からの書き始め」ていました。素直に読むと、いきなりさようなら≠ゥら始まるのです(^^; 理由を聞くと同じことを言っていました。なぜ右から書くのかは「舞台は右が上手である」ことから来ていたのですね。勉強になりました。
 最終連は、その前の連を受けたものでしょうが、これは身につまされます。「どちらが優利か」は結局、どちらも有利、どちらでもない、というところに落ち着くように思います。おもしろい作品でした。


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