きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.11.04 仙台市内




2006.12.19(火)


 その1  
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 栃木の詩人から拙詩集出版のお祝いにと日本酒が送られてきました。箱から出してみて驚きました。一升瓶の包装がなんと新聞紙! ご本人が包んでくれたのかなと思ってよくよく見ると、新聞紙の上から酒造メーカーのラベルが貼ってあります。この形で売っているようです。しかも新聞紙は地元の下野新聞。英字新聞や全国紙ではなく、地元紙というのが素晴らしいですね。

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 嬉しくて思わず写真に撮ってしまいました。このセンスの良さはバツグン! 栃木県にはなぜか惹かれて、何度も訪れているのですが、潜在的にこういうセンスに魅力を感じているのかもしれません。味は? もちろんおいかったです。敬意を表してデータを記載しておきましょう。栃木県大田原市・渡邉酒造(株) 生純米吟醸 旭興 たまか 2006年10月製造
 ありがとうございました!



伊藤啓子氏詩集『萌野』
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2005.6.25 東京都中央区
夢人館刊 2000円

<目次>
 
余熱 8       鬼子 12
触覚 16       さくら 20
春に遅れて 24    ひつじの眠り 28
夜の声 34
 
鬼子 40       夏草 42
馬肉 46       昼の物語 48
休日 52       涙谷 56
夏のお茶会 60    夏の飲み物 64
 
本読み 70      絵日記 76
標本 80       夕暮れに 84
なみだ 88      川のほとり 92
木こり 96      冬空を見上げる 100
冬の鬼灯 104
あとがき 109



 川のほとり

家のすぐそばを流れる
恥川
(はずかしがわ)沿いに
ひっそり建つ
「居酒屋はる」

お客が出入りするところも
女主人のはるさんも
一度も 見たことがない

この辺りが一面田んぼだった頃に
店を構え
男を待ち続けているという
はるさんの
けなげな噂が流れたこともあったが
最近では
古い天ぷら油を川に捨てているとか
店の奥は何年分のゴミの山だとか
あまりいい話はない

新しい店や住宅が建ち並び
はるさんの店は
いっそう色あせてきたと思ったら
このごろ
ペンキを塗り替え
看板も新しく
「カラオケはる」となった

相変わらず はるさんとは会わないが
模様替えしてから
店の前を人が通ると
ぴかっ、と
街灯が点くようになった
一日の労働を終え
川沿いに自転車を走らせて
はるさんの店に差しかかると
センサーが
ぴかっ、とわたしをとらえる

わたしは灯りに向かって
ただいま、と
つぶやくのだが
あれは
いつかやってくるたったひとりの男を
照らして獲るための
せつない
仕掛けなのかもしれぬ

 「四十代はおもしろい」(あとがき)という著者の第3詩集のようです。紹介した作品には不思議な魅力を感じました。「はるさん」は一度も登場せず、「わたし」も「女主人のはるさん」を「一度も 見たことがない」のに、存在感があります。「はるさん」をめぐる「噂」だけで人物を描いてしまった稀有な作品と云えましょう。「恥川沿い」という設定も佳いですね。実在するのか創作なのか判りませんが、いかにも在りそうで無い、無さそうで在る、そのギリギリの地名だと思います。詩全体の虚実ギリギリの構成に寄与している地名と云えましょう。おもしろい作品であり、詩集です。




個人通信『萌』16号
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2006.夏の号 山形県山形市
伊藤啓子氏発行 非売品

<目次>
産み月
夏列車



 産み月


夏の終わりに生まれます――。

年の離れた女友だちから届いた
暑中見舞いの住所におどろいてしまった
わたしたちは
先週 写真を撮りに訪れたばかりだった
あの子のふるさとだね、
あなたのことを思い出しながら
知らなかった
あの村に帰ってきていたなんて

最上川沿いの道
車を螺旋状に走らせていると
緑の稜線が
じわじわ目の前に迫ってくる
険しい山々のふもと
ひっそり建つ数件の
どこにあなたはいたのだったろう

 ここは
 昼間でも日が射さないのです
 夕暮れと間違って
 早い時間にカナカナが鳴くことがあります
 月の光が入りこむ夜には
 さまざまなことを考えます――。

舟運時代 難所で恐れられた峡谷の
長いつり橋を渡る
足元のはるか下に激しいうねりが見え
数歩進んだだけで足がすくんだが
あなたは毎日この橋を渡って通学していた
月の夜に
こわごわ ここに立ってみたい
急な流れは
川面に映った月までさらっていくかもしれない

ほの白い部屋で何を考えていますか
葉書の数行からは
身ふたつになる喜びよりも
見えないものにおののいているような
あなたの姿が痛々しく浮かんできて
ヒトは生まれた瞬間から
終わりのときに向かって歩きはじめる
そう はらむとは
「生」も「死」もいちどきに引き受けること

怖がることはありません
月が満ちて その日は
ひたひたと確実にやってくる
青白い光のもとに
ただ身を任せておけばいいのです

 あっ、女の人の詩なんだな、と感じました。「はらむとは/『生』も『死』もいちどきに引き受けること」という感覚は、我々男どもには逆立ちしても判らないでしょう。しかし、だからと言ってこの作品は男を拒絶したり蔑んだりしているわけではありません。淡々と女同士で「産」むということについて語っているだけです。それだけなのに、この力強さは何なんだろうなと思います。「ただ身を任せておけばいいのです」という、ある意味での信頼感を持ち続けているからなのでしょうか。女性の不思議さをまた一つ見せつけられた作品です。



個人通信『萌』17号
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2006.秋の号 山形県山形市
伊藤啓子氏発行 非売品

<目次>
指のかたち
金木犀



 指のかたち

交差点の向こう側
微笑みながら
しきりに手を動かす男がいる
二十五年ぶりの再会だった

――ひさしぶり
道路のむこうとこちら
見えにくいので
互いに大ぶりに手を動かす
指を使って話すのも久しぶり
忘れかけていた単語は
大口を開けてゆっくりしゃべると
即座に読み取ってくれる
ダンナはげんきか?
訊かれて
瞬間、手が空
(くう)で止まった

あの頃
結婚、という手話なら
頻繁に使った
立てた親指に
片方の手の小指をくっつける
男と女が添う
みんな そういう年頃だったから
だれかとだれか次々と
親指と小指になって
華やいでいた 指のかたち
近況をどう伝えればいいのか
指先にまで感情をこめて
音のないぼくたちの心に届くように
かつてこのひとに教えられた
咄嗟に思いついて
結婚、のかたちにつくった親指を
勢いよく
小指から引き離してみた
道路の向こうの笑顔が
こわばっている
――いつ?

意味が通じたらしい
長い信号がようやく青になり
もどかしそうに走ってきた
もう昼休みが終わる
あわただしくアドレスを交換して
あとでメールする、と
また職場に走ってしまった
でも言いたかったことは
この指がすべて動いてくれた
身の上をたらたらしゃべるより
これで充分

親指は離れていった
今 小指一本
語り終えても
すっくと反らせてみる

 まるで映画の1シーンを観ているように鮮やかな展開の作品です。「二十五年」の歳月で、最も「言いたかったこと」を「この指がすべて」「語り終え」た…。こんなに凝縮された場面はそうそう作れるものではありません。作者の構成力の確かさに瞠目しています。
 技術的なことだけでなく、最終連で表出させたように語り手の内面のさざ波もきちんと表現しています。「今 小指一本」、「すっくと反らせてみる」。佳いですね。作者の矜恃が読む者の胸を打つ作品です。



文芸同人誌『暖流』復刊10号
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2006.10.1 静岡市駿河区
苫米地康文氏方事務局
江馬知夫氏代表・暖流文学会発行 500円

<目次>
■創作■ 終幕のシナリオ…斗真康文 6
■詩■
あなたは立ち続ける…松尾庸一 2      それが出来たらなあー=c中村益造 4
遺産…江馬知夫 19             卒業する少女に乞われるまま…佐藤 隆 22
信州の追憶・他五編…吉田直行 42      秋の夕暮れ・他四編…吉塚はつ枝 58
■短歌■ 水平線・鬼胡桃…八嶋棗子 24
■招待席■
〔訳詩〕ロンドンの夜明け…佐藤健治 28   〔随想〕ああ そうだったのか…佐藤健治 30
☆ 暖流サロン…斗真・江馬 38
■随想■『宗清便り』より…大嶽正孝 33
■レクイエム■ 山田二郎の死に…橋本理起雄 47
□エッセイ□ 同盟関係ということは…江馬知夫 50
□記録風回想□ わが青春に悔いはあるのか(1)…佐藤 隆 54
★ 編集室の窓…江馬知夫 63
◆復刊して10年◆
『暖流』追想…斗真康文 66         既刊号作品目録…(編集部) 68
◇編集後記      ◇執筆者・同人名簿  ◇暖流文学会規約(抄)



 遺産/江馬知夫

三十年前の八月も終わりに近い暑い午後だった
「お前に 遺産を…」
「そんなことよりも 早く良くなって…」
父は一瞬口籠って 息絶えた

その一月ほど前には
屋根に上がって煙突の掃除をしていた そんな父が
遺産と言えるようなものは何もないのに
せめて 最後に何か言いたかったのだろうか

学校を卒え独り立ちしてから 私はずっと
生きるための仕事に追われて過ごしてきた
生きるためには 働くしかなかった

そんな中で
出世のために部下を踏台にした上司と喧嘩したり
保身に夢中の同僚に妬まれたり
朝起きると 思わぬ職場が待っていたり
しかし いつも
誰かが私を呼んでいる声が聞こえていた

私はその声に励まされ
声のする方に向かって いつも歩いた
歩くことが生きることであった
それ以外は 何も欲しいものはなかった

ある日 ふと 声は光とともにあると感じた
光は 私やすべての始まりのように思えてきた

そして 今になって
父が逝ったのと同じ この歳になって
なぜか気付いてきたのだ

私自身が 父の遺産であることに――
知らぬ間に 父の言いたかったことを その道を
そっくりそのまま 歩いてきたことに――

これでは 父はまだ不足だろうが
曲がりくねりながらも 時々 振り返りながらも
なんとかここまで歩いてきた

しかし まだ道は続いている
その彼方は 霞んで見えないが
ただ この道を歩き続けるだけだ

自分にだけしか解らない父の遺産を背負って

           (2005.11.07)

 拙HPでは初めて紹介する文芸同人誌です。「復刊」とあるのは、1951年7月に創刊され1956年6月で休刊、その後1997年7月に復刊されたことによるようです。
 紹介した作品は私が20〜30代で知り合った先輩詩人で、この会の代表者です。久しぶりに御作を拝読させてもらいました。「私自身が 父の遺産である」という詩語が生きていると思います。しかし「これでは 父はまだ不足だろうが」とあくまでも謙虚です。30年も前にお会いしたときから謙虚な詩人だと思っていましたが、やはりお人柄は作品に現れるものなのですね。「自分にだけしか解らない父の遺産を背負って」今後も「この道を歩き続ける」詩人だと感じた作品です。


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