きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.11.04 仙台市内 |
2006.12.30(土)
いよいよ今年もオシマイ。あれも出来なかった、これも出来なかったと悔いばかりが残りますけど、まぁ、しょうがない。やれるだけのことはやったと開き直っています。寝しなの2時間お酒を呑んで、月に1日は何もしない日を作って、これが限度でしょうね。こんな調子で会社勤めがよく出来たものだと改めて感心しています、我ながら。来年もこのペースでグダグダと過ごすんでしょう。
本を贈って下さった皆様、HPを覗いてくれる皆様に感謝しています。有形無形の後押しがあればこそ、ここまで来れたのだとつくづく思います。ありがとうございました! 来年もよろしくお願いいたします。
○北畑光男氏詩集『死はふりつもるか』 |
2006.12.28 東京都千代田区 花神社刊 2300円+税 |
<目次>
T
アメリカのみみず 8 氷渡りの魂 12
乳の川 18 木の魚 22
木の老婆 26 雪 30
冬のひと 34 夜明け前 38
稲妻 42 冬の私に 44
やまめ 50
U
海の蛍 54 青い星雲 60
羊の喜捨 64 父のあかり 66
冬の口 70 初冬の子犬 74
藤村の馬籠 78 風の虎 82
晩夏 86 畏怖の雨 90
雪ひらのうさぎ 96
あとがき 100 装丁=及川武芳
アメリカのみみず
しぐれるアメリカの街を
寒気団が襲う
ひとりわたくしはらせん階段を這いのぼる
嘘と誠のうすい踏み板から
はるかな下をみおろすと
うごめいているのは手も足もない
耳も目もない
硬い殻さえない
みみずになったもうひとりのわたくしがみえる
薄いらせんの踏み板を一段一段這いのぼってきた
不安をいっそう募らせてただただわたくしは這いのぼるだけだ
超高層のビルについた避難路のらせん階段
いつもわたくしは逆に生きようとする
強い風雨にゆすられながら
蜜蜂が菜の花の花粉に頭をうずめている
しぐれはいっそう強まり固くつながれたてすりは
とけてかたちがくずれている
どうしょうもないいのちのかなしみが
菜の花になりさいていたのだとわかったのは
しぐれが酸性であると気づいたときだ
はらはらおちていくのは菜の花のはなびら
やせた蜜蜂がなむあみだぶつの読経をとなえている
蜜蜂の舌からは菜の花が右に左に迷うようにおちていく
ニューヨークのらせん階段はとけてきえた
いのちがいのちを奪う戦争 いのちがいのちを喰らうことにおそれおののき
腕はもげ脚がとけた
管だけになったわたくしは
肉の管なにもない管だ
とけた繊毛の肉のなかにうまっている管だ
しぐれはいつしか霙にかわり
わたくしはとけていく
あと一千万年もたてばこの場所も
ふたたび海にみたされてとうめいなひかりが
きらきら乱反射しているか
それでもいのちがいのちを奪う戦争のようなものはおこるのであろう
海の底ではたくさんの死がふりつもっているのであろう
五億年後か
四十六億年後か
百三十七億年後か
肉にとけこんでいるみみずのどろどろ
もうひとりのわたくしは組み変わった遺伝子
死はふりつもるか
「死はふりつもるか」というタイトルの詩はありません。紹介した作品は巻頭詩で、最終連にその言葉がありました。なんとも粋な詩集タイトルの付け方だと思います。内容は粋とは無縁な「みみずになったもうひとりのわたくし」を見つめる作品ですが、その思考の深さには驚いてしまいます。「どうしょうもないいのちのかなしみ」が根源にあるのでしょうね。「ニューヨークのらせん階段はとけてきえた」というのは9.11を連想させます。まさに「死はふりつも」ったと考えてよいでしょう。
本詩集の「夜明け前」は拙HPですでに紹介しています。ハイパーリンクを張っておきました。紹介した詩とは趣きを異にしていますが、こちらも佳い作品です。合わせて北畑光男詩の世界をご鑑賞ください。
○詩誌『樹洞』24号 |
2006.11.30 仙台市青葉区 建入登美氏編集責任 非売品 |
<目次>
◆詩
予感/渡辺悦子 二 飯田岡/斉藤 央 四
余命/川崎洋子 六 ほんとのはなし/川崎洋子 八
そぞろ寒む/秋山千恵子 一○ 澄空/秋山千恵子 一二
声/細谷節子 一四 触手/細谷節子 一六
神戸北野坂/小西たか子 一八 白い風/佐藤のり子 二○
虹/佐藤のり子 二二 風景/建入登美 二四
晩秋/建入登美 二六
◆随筆
懐かしい歌/永田玲子 二八 入院記/川崎洋子 三〇
すべてです/建入登美 三一
◆執筆者住所・著者案内 表紙絵 氏部経彦
ほんとのはなし/川崎洋子
病院のろうかで
妹がなぐさめます
むすめはいるし
かわいいまごも 三人いるし
だいじょうぶよ
まんいちのことがあっても
まんいちのこと
それは わたしのオットセイ
毛の抜けたオットセイがしぬこと
わたし
むすめ いりません
まごも いらない
しんせつな妹よ
あなただって
わたしには
あの動物だけが ひつよう
だれもいらない
それだけで
ぽかんと くちあけて
ねむれるのです
同じ作者によって「余命」という詩が書かれています。「うちのひと」が「余命三か月」と宣言されたという作品です。そのあとにこの作品を読みましたから、いよいよ「オットセイ」が亡くなるのかと信じてしまいました。しかし随筆の「入院記」では退院して回復に向かっているとありました。詩作品ですから「ほんとのはなし」を書く必要は毛頭なく、私もそれを判っているつもりでしたが、つい信じてしまいました。やられたなぁ、と心地好い読後感です。
現実には大変なことだったのかもしれません。それを明るく書いているのかもしれませんが、2編の詩と随筆を読んで非常に親近感を持ちました。それだけの筆力を感じます。初めて頂戴した詩誌ですけど、紹介した作者を始め力のある書き手が揃っていると思いました。
○季刊詩誌『裸人』28号 |
2007.1.1 千葉県香取市 裸人の会発行 500円 |
<目次>
■詩
花火/天彦五男 3 匂い/禿 慶子 6
海/くろこようこ 8 雨ふり/くろこようこ 11
■エッセイ
根岸の丘から山手へ/大石規子 14 山村暮鳥の晩年の詩/水崎野里子 18
■詩
仮面/長谷川忍 20 永遠/水崎野里子 22
アイルランド・雨/水崎野里子 23 銀杏売り/大石規子 26
■エッセイ
『学童疎開』と『学童疎開その後』を読んで/絹川早苗 28
戦争は原爆だけじゃない/五喜田正巳 32
心に故郷を持つ詩人/五喜田正巳 34
■詩
女は酔った方がいい/五喜田正巳 36
■雑記
受贈書、後記39
表紙・森五貴雄
ぎんなん
銀杏売り −上野/大石親子
美術館への道
木立ちのそばに 銀杏売りがいる
一袋 五百円
ここは桜紅葉の名所で
銀杏は売るほどは採れない
外国からのものに違いない
銀杏売りも外国人のようだ
青いテントに住んでいるのだろうか
−帰りに買うわ
季節の ほろりとした味が好きだ
実の 翡翠色が好きだ
五百円玉を握りしめて
美術館を出ると 時雨のあと
銀杏売りの姿も見えない
宇宙的浮遊者の私と 地球的浮浪者の彼
木立ちの奥の
住処を訪ねる勇気はない
落胆する私に
湿った枯葉が降りかかる
−来年は買うわね
上野の公園で「外国人の」「青いテントに住んでいる」らしい男から「銀杏」を買うというだけの話ですが、妙に惹かれます。「宇宙的浮遊者の私と 地球的浮浪者の彼」という1行が効いているのでしょう。特に「浮遊者」と「浮浪者」の対比が際立ちます。「木立ちの奥の/住処を訪ねる勇気はない」が、「落胆する私」に作者の本質的な優しさも見えます。散文で書いたら、たぶん、どうということのない光景でしょうけど、詩にすることによって力を得る見本のような作品だとも思いました。
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