きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.11.09 表参道「Gallery Concept21」




2007.1.1(月)


 その2  
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原田勇男氏詩集『炎の樹連祷』
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2006.10.31 東京都新宿区 思潮社刊 2200円+税

<目次>
埋もれ木は樹木に 8            花木幻想 12
草花の名前 16               魔法の木 20
ブルドッグの顔をした朝 24         熱い臓物がふる夏の街へ 28
火の旋律 32                雪菜を摘み 36
伝聞 40                  木靴の樹 44
旅の核を燃やすものは 48          刑事X 52
海の風は荒れ始めて 56           いのちの原郷 60
カマキリに会った日 64           比喩の樹 68
影絵 72                  夢の外から呼ぶ声 76
朝陽をあびて 78              ガジュマルの樹の下で 80
ミシェル・ウィーの誕生日に 84       いのちの悲鳴 88
虚栄の市で 90               火の鳥異聞 94
風の伝言 98                歳月のしぶきが十月の薄明を 102
あとがき 110
装幀=上野憲男



 歳月のしぶきが十月の薄明を

歳月のしぶきが十月の薄明を洗っている 鳥
のかたちをした朝はまだめざめない 暗黒の
核にワイン色をした夜の熟れない卵は孵化し
ないまま地球の縁をゆっくりめぐっている
初めて炎の樹の存在に気づいたのはいつだっ
たろうか だれのものでもないおまえの胸の
暗がりで燃えているいのちの炎 そのスリリ
ングで危険なほとばしる情念の奔流がおまえ
だけではなくすべての人びとの目にあふれ
生と死を支配しているらしいと知覚したのは
もう少し後だったろうか 乱反射する日々の
洪水に翻弄されていつか炎の樹が消えること
も 人と人の絆ほどもろいものはなく感情の
吊り橋は度々寸断されることもおまえは手痛
く知った そして地球上の夥しい国家は一人
ひとりの炎の樹を管理し時には抹殺すること
で存在し続ける 見えないいびつな帽子をか
ぶり今日も通過駅のプラットホームでゆれる
途上の魂 きみの炎の樹はまだ燃えているか

   *

きみだけのボールをキープする
魂のフットワークが鈍くなっていないか
ドリブルのボールを長く持ちすぎて
他者へのパスを忘れていないだろうか
この世のフィールドは
きみだけのために存在するのではない
車椅子のひとびと
目の見えない人びとの磁場でもあるのだ
一度かぎりの炎の樹を
想像力の火で燃やしながら
日々のゴールにボールを蹴りこむ

だが膨張する地球のゴミ戦争
さまざまな人種と言語のるつぼ
係争と対立の構図の種はつきない
暴力的なファールが足をすくい
ペナルティの笛が鋭く吹かれ
死者の手はひとつかみの土と草をつかむ

   *

今は幽明の境を異にして
藁のひときれのような生涯を終えた友よ
そちらの丘には光の束が
穀雨のように
虚空からふりそそいでいるだろうか
顎のメスの傷口は
なめらかに塗装されて
時代の粉飾された下り斜面のように
輝いているだろうか
きみの残した学識も反故も
墓地の湿った大気の中で
あえかにかすんでいる
消滅した炎の樹の残骸が上空でゆれる
それともそれは線香の煙にすぎないか
だが人にはだれでも
かけがえのない日々の記憶が
彗星のように魂の時空間をよぎって
彼岸の川を越えて行く
その藁のひときれを共有した者たちが
きみのために青いレクイエムを編むのだ
もうきみの目の奥は痛まないだろう
遍在する幻鳥の視座から
地球の壮大なパノラマの悲劇と
ホモ・サピエンスの
未成熟な乱痴気騒ぎを見守ってくれ
そしてこの爛熟卵の文明を救うために
もう一度何からはじめればいいのか
示唆してくれないか
きみの藁のひときれにすがる
たくさんのふしくれだった手の祈り
地球は今日も荒れ模様だ

   *

イカルスが堕ちた海はどこだ 海が怒濤の渦
巻きで奈落の底へ落ちこむ世界の果てはどこ
だ そこは夕焼けが次々に花開いて壮麗な祭
礼にみちているという 古代の人びとが恐怖
と憧憬のうちに夢見たこの世の終わり その
厳粛でどこかうさん臭い腐食画のタブローが
今の世にもひそかに伝わっているのだ

   *

十月の朝 埠頭から旅立っていく帆船が見え
る 白い帆布が風の後押しで力強くはためい
ている あの船にはどんなクルーが乗ってい
るのだろうか 積み荷の数は揃っているだろ
うか 食料や酒蔵は満ち足りているのだろう
か デッキの上で倒立する少年の顔に見覚え
があるような気がして 波止場を駆ける見送
り人の群れ あれは多分おまえが遠い忘却の
丘の梢に置き忘れた帽子のように おまえの
過ぎ去った世界から届いた贈り物かも知れな
い 人は繰り返し幻の旅に立ち向かう たと
え世界の果てが奈落に通じようと 未知への
誘いは生涯消えることがない さあ今日も旅
立とう 散乱する野菜やコーヒーカップのテ
ーブルから 港の冷ややかな海の風をあびて

 第9詩集(うち1冊は詩画集)になるようです。著者は1978年1月に第2詩集『炎の樹』を出版しており、それ以降何度か中断しながらも<炎の樹>を書き継いできたと「あとがき」にありました。詩集タイトルの連祷≠ヘそういう意味だということが判ります。ちなみに祷≠ヘ本字ですが今のパソコンでは表現できないので略字としてあります。ご了承ください。
 紹介した作品について、「あとがき」ではこの詩集を象徴する詩篇だと考えて巻末に収録した≠ニありました。<炎の樹>について他の作品でも多くのイメージが描かれていますが、ここでの「地球上の夥しい国家は一人ひとりの炎の樹を管理し時には抹殺することで存在し続ける」という詩句からも我々の生命・精神と捉えてよさそうです。深く人間を見据えた詩篇であり詩集だと思いました。



中山直子氏詩集『ヒュペリオンの丘』
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2007.1.12 東京都文京区 東信堂刊 1500円+税

<目次>
序文 千葉茂美…3             明治学院校歌…8
序詩 ヒュペリオンの丘に…10        一本の木…11
ヘボン像…12                チャペルの塔は…14
森の小道…16                朝の時間…18
ムルという猫…20              詩のいる場所…24
藤の花は隠れ咲き…28            ヒュペリオンの丘…30
風の白金台…34               チャペルに響くバッハ…36
点灯式…38                 待降節のチャペル…42
遠望ばし…44                「遠望ばし」の空…46
試験監督…48                パレットゾーン…52
春学期の終る日…55             チャペルの壁穴…56
記念館…58                 白い足あと…62
雨…64                   オルガンの音…66
卒業式…68
あとがき…70
挿絵 中山直子
装丁 杉山 肇



 チャペルの壁穴

炎のような東京の八月
そして十五日 蝉の声
白金校地の正門を入って少し行くと左手
チャペル南東の外壁に
まるい取手のある
チョコレート色の扉があり
地上からはかなり高く
鉄の梯子がかけてある
そこが一九三六年から
四五年の敗戦まで
御真影(天皇の写真)を
入れていた空間だと知る人は少ない
三六年当時
文部省に御真影を奉戴に行かれたのは
ウィリス・ホキエ学院長であったが
彼らはそれを外国人の手に渡さず
随行の人に渡したという
それからまもなく 私たちは
外国の人たちを鬼畜と呼ぶようになった

人を鬼畜と見なす心は
それ自身が鬼でありけものであり
それが戦争をひきおこすのではないか
戦争は即ち 私自身の心の
内側から出るのではないか
八月十五日
火が降って来る 蝉の声

 「明治学院詩集」と副題があり、明治学院の白金キャンパスと横浜キャンパスに想を採り、ほとんどの詩に写真か絵が添えられた清楚な詩集です。詩集タイトルの「ヒュペリオン」について「序文」ではヒュペリオンとはギリシア神話に登場する神で、太陽神へリオス、月の女神セレネ、曙の女神エオスの父であり、あらゆるものに恵みと育みと希望を与える神である。時にはアポロンの別称で呼ばれ、予言と詩と音楽の神でもある≠ニありました。詩の神が宿る明治学院のキャンパスと採ることができるでしょう。

 紹介した作品は本詩集のなかでは異質です。しかし、歴史的な事実として遺しておきたい詩です。「それからまもなく 私たちは/外国の人たちを鬼畜と呼ぶようになった」のは、つい70年前。「人を鬼畜と見なす心は/それ自身が鬼でありけものであ」ること、「戦争は即ち 私自身の心の/内側から出るのではないか」という問いかけには重いものを感じます。キリスト者詩人の真摯な姿勢に心打たれる作品であり詩集です。



個人詩誌『雲の戸』創刊号
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2007.1 埼玉県所沢市 山本萠氏発行 200円

<目次>
追想
天河へ
おさない韻(ひび)きのころ
あとがき



 追想

暁闇の 仄暗い窓に
見知らぬ遠方よりひそやかに来て
そっと
雲の戸を 開けていく

仕合せの人 は
路地奥の 古
(ふ)りた石段の草の名さえ
憶えなかった

 山本萠さんによる新しい個人詩誌です。詩誌名について、添えられた文には深く考えずに決まりました≠ニありましたが、紹介した作品の中の「雲の戸」という詩語から採ったのかもしれません。
 表面的な解釈は、「路地奥の 古りた石段の草の名さえ/憶えなかった」「仕合せの人」は「見知らぬ遠方よりひそやかに来て/そっと/雲の戸を 開けていく」ということだけなのですが、「仕合せの人」って誰? 「雲の戸」って何? と想像力を逞しくさせてくれます。しかもそれが「追想」ですから、過去のことと考えられます。おそらくこの作品はそれらへの決別ではないか、新しい出発への宣言ではないかと思います。短い詩ですがいろいろなことを考えさせてくれますね。今後のご発展を祈念しています。


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