きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.1.26 小田原「アオキ画廊」




2007.2.4(日)


 珍しく忙しい日で、アタフタしていました。午前8時から11時は地域の美化清掃。これはちょっと早くサボって、10時半に日本詩人クラブ・オンライン現代詩作品研究会の閉会宣言。そのあとは小田急線に飛び乗って、14時から新宿で開かれた「Edge」のイベントの観客に。移動しながら電話やメールで私の詩集出版記念会の打ち合わせ。帰りの小田急線では同時期に退職した仲間と出逢って、懇親。久しぶりに在職中のような忙しさでしたね。

 毎年2月に行われる美化清掃は、地域を流れる河の清掃です。枯れ草に火を点けて燃やすという昔ながらのやり方の、火遊びが楽しめる作業で、大好きです。しかし河川を管理する県の土木事務所から、燃やすのは今回限りにしてくれという依頼があったそうです。おそらく100年も続いているだろう年中行事ですが、地球環境に配慮すれば当然かもしれませんね。個人的には残念の極みですけど、まあ、しょうがないか。最後とあってあちこちの枯れ草を燃やして歩きましたけど、枯れ草も悲しんでいるのか例年になく良く燃えてくれました。燃えカスは河から500mほど離れた我が家にも飛んで来たようで、クルマに灰が着いていました。

 日本詩人クラブのオンライン現代詩作品研究会は、インドからの参加者もあって、結局100件ほどの発言となり盛会でした。私の任期中の研究会はこれが最後になります。作品を出してくれた方、発言してくれた方、発言はしなかったけど見守ってくれていた方、皆さん、どうもありがとうございました。新理事会になる来期からはどうなるか判りませんが、再開するようでしたらまたよろしくお願いいたします。

 「Edge」はちょっと措いて私の詩集出版記念会の話。出版記念会なんて大袈裟なものではなく、小田原地方に在住の、昔、同じ会社で働いていた詩人3人が開いてあげようと言ってくれたものです。私を含めて4人で居酒屋で呑むだけのことです。何とか理由をつけては呑みたいという魂胆でしょうが、でも嬉しいですね。詩集の話はさて措いて昔話に花を咲かすことになると思いますけど、それが私も望むところです。楽しみです。

 さて「Edge」の話。「Edge」は城戸朱理さんがやっているイベントのようで、SKY PerfecTV!で番組も持っているようです。今回のイベントは新宿の NECO Bar というバー(カフェ?)で開かれ「Edge in Cafe 地下室への誘惑〜女声詩の交響日」という長いタイトルが付けられていました。「Edge」提供の、たぶんTV番組だと思うのですが白石かずこさんと平田俊子さんの出演するドキュメンタリーがそれぞれ一本ずつ上映されました。そのあとに6人の女性詩人のトークと朗読です。

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 出演は海埜今日子、斎藤恵子、杉本真維子、中右史子、水無田気流、渡辺めぐみの方々。司会は久谷雉さんでした。トークは「場所」と「名前」について。特に「名前」がおもしろかったです。本名で書いている人はなぜ本名なのか、ペンネームの人はその由来が語られ、それが詩作品にも反映しているように私には感じられました。
 終わったあとの懇親会では、海埜さん、斎藤さん、福間健二さん、井田秀樹さん、高貝弘也さんと一緒のテーブルになり、あとで久谷雉さんも加わって交歓することができました。お酒は呑み放題というのでワインを5本ぐらい空けたかな、だいぶ酩酊しました。
 今回は二次会はパス。ちょっと疲れ気味でしたので早めに帰宅しましたけど、良い夜だったなと思います。ありがとうございました。



倉田良成氏詩集
『東京ボエーム抄』
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2007.2.4 横浜市鶴見区
私家版 非売品

<目次>
とんぱた亭 4               ゆふづつ 8
海 12                   王子たち 16
THE CRUELLEST MONTH 20  ともだち 24
饗宴 28                  水晶宮 34
碧空 38                  聖夜 42
言問い 47                 祭笛 51
美しい町 56                豊玉姫 61
ドルチェ・ヴィータ 66           深き淵 72
イジオート 76               唐棣の花 81
舟泊て 86
 *
森戸海岸で 92
挿画 和田彰「連歌」シリーズより



 豊玉姫

 ヒッピー、というよりむしろ遅れてきたビートニクである
彼のねじろは渋谷の百軒店(だな)で、ジャズ喫茶よりもお好みはひ
とすじ裏側にあった名曲喫茶のようだった。私より十ほど年
嵩の彼は長い顎鬚をたくわえていて、それが哲人みたいで、
しばしば都会から姿を消すことがあった。どうやらどこかの
山の窯場で修業していたようで、ときたまじぶんで焼いたぐ
い呑みや徳利などを見せてもらったが、それをくれることは
ぜったいになかった。昼夜ぶっ通しで、眠ることのない労役
のさなかに見る窯の炎の素晴らしさといったらない、と語る。
昼間の間はたいてい、コーヒー一杯で死んだ魚のような眼を
して名曲喫茶の座席に沈みこみ、夕方を待つ。道玄坂の坂の
途中の方々に水が打たれて宵が始まると、哲人の眼はらんら
んと生気を帯び、あちこちで獣臭い煙を上げている一番安い
部類の縄のれんをくぐることになる。哲人には私のような若
造ではなく、やっぱりおんなじ生活のプリンシプルを有する
哲人仲間がいて、彼らが集まる酒場があり、仲間の男女がい
た。私のアパートは渋谷から横浜に行く私鉄をずっと下った
駅が最寄りで、ある日哲人が同じ駅の近くに引っ越してきた。
家賃が安いのが理由だという。ひとりではなく、これがボク
のなになんだと言って、ひっそりとした女性を私に紹介して
その晩はみんなで飲んだ。奥さんは看護婦だそうで、私が幼
時、喘息の体質改善をする注射を打っていたと聞いて、あれ
は大変な注射なのと頷いて眉根をひそめたのが印象的だった。
別の時に、私がプルーストを読みつづけて「ゲルマント家の
方へ」まできたことについて奥さんに、あんな文章を読んで
いてなにが面白いの? と真顔で尋ねられ、その面白くなさ
に無上の楽しみを見出しているとかなんとか誤魔化したけれ
ど、このとき哲人の奥さんもやっぱり哲人の仲間なんだと
知った。それまで鳶の仕事で生計を支えていた哲人は、思い
切って借金して畑付きの農家と窯を念願の奥多摩の地に手に
入れた。やがてそこで子どもも一人生まれ二人生まれ、来客
も増え、焼き物の注文も入るようになったが、その間も奥さ
んが家事と町の病院の双方で、はげしく働きつづけることを
やめることはできなかった。哲人の方は奥さんが働いている
町ではないもっと大きな都会の町に、週末ごとに飲みに出か
ける。あるとき友人と二人奥多摩に遊びに行って、夜に入り、
渓流の河原で酒を飲もうということになり、その晩非番の奥
さんもめずらしくそこに加わる。月はなく、おびただしい星
の燥めきのもとを河原まで下る。カジカの乱声(らんじょう)と絹のような
渓流の白い迸り。囲んでいる焚火の炎を見るうち、いつか哲
人が言った窯の炉心に淀ぶ青ざめた色のことをふと思った。
酒が進み、みんなが手を拍
(う)つ歌になり、奥さんの瞳がいまま
で見たことのない明るさで輝いた。渓谷全体が耳に届かない
ローレライの深い響きで満たされたような気がした。哲人が
突然もう帰ろうと言いだす。宴はこれからなのにと思ってい
ると、私より彼のことを知っている友人が服の袖を引っ張っ
て、哲人は奥さんがああなるのが嫌いなんだと囁く。哲人が
口説いたときのむかしの奥さんみたいだから。その夜を境に
ふと奥多摩へは行かなくなった。二人の子どもを哲人の手に
置いて、奥さんがいなくなったのも、たぶんその夜が境だ。

 恋しくばたづね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ
の葉
                  (説経浄瑠璃より)

 『コールサック』や『現代詩図鑑』で作品を度々拝見している著者の詩集を初めて拝見しました。全編散文詩で、最後に引用の詩や歌が置かれた濃厚な味のする詩集です。読み終わって思わず「佳い詩集だな」と呟いている自分に気付きました。紹介した作品は『ゆぎょう』36号(2006・4月)初出のようで、私は初見です。「哲人」と「
奥さん」の人間性が、まるで小説を読むように迫ってきました。「渓流の河原で酒を飲」むという設定も詩的で、雰囲気がよく伝わってきました。なお、「説経浄瑠璃」の「」は本字ですが表現できないので略字としてあります。ご了承ください。
 本詩集中の
「ともだち」はすでに拙HPで紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて倉田良成詩の世界をご鑑賞ください。



詩誌『花』38号
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2007.1.20 東京都中野区
菊田守氏方・花社発行 700円

<目次>
虹の花/水木 澪 4            倦む/和田文雄 5
再会/丸山勝久 6             似る/山田隆昭 8
モッテノホカ/飯島正治 9         地の愚者は/鷹取美保子 10
日和/都築紀子 12             箱のなかの火/甲斐知寿子 13
花のいろ/坂東寿子 14           千曲川のもひとつの源 白糸の滝/山嵜庸子 15
窓をめぐりて/篠崎道子 16         童話の時代/菊田 守 18
蟹を喰う日/柏木義雄 20          黄昏どき/平野光子 26
じゃが芋/小笠原勇 27           くらい眠りから/高田太郎 28
観測気球は拙い/馬場正人 29        手が早い/石井藤雄 30
不穏な蚊/青木美保子 31          啄む/佐々木登美子 32
目覚めて 好漢/中村吾郎 33        野史/天路悠一郎 34
猪と]Y染色体/36             清朝宦官日録 その2/山田賢二 38
一本の椎/林 壌 42            兵馬俑/酒井佳子 43
灯(ひ)冴ゆる/鈴切幸子 44         夏の日/川上美智 45
ペンケウタシュナイ川/湯村倭文子 46    冬のクレマチス/宮崎 亨 47
蝿捕り蜘蛛/菅沼一夫 48          夕暮れどき/原田暎子 49
らんまん/秋元 炯 50           ふたつの影/神山暁美 51
エイダの七時/峯尾博子 52         わが「渓声山色」/佐久間隆史 54
海、みつけた/宮沢 肇 54
評論(私の好きな詩人) 無の世界の影−村上昭夫の視産/山田隆昭 22
書評 中村吾郎はな詩集『紫の絲』/原田道子 40
エッセイ 落ち穂拾い(4)/高田太郎 66
特集《「花」名古屋詩の集い・2006》
開催される/坂口優子 58          「花」名古屋詩の集いアルバム 60
名古屋を観光する/山崎 哲 62       静かな励ましを項いたひととき/佐々木朝子 63
牛の眼/冨長覚梁 65
編集後記 67



 モッテノホカ/飯島正治

白菜が球を結びはじめた畑の境
薄紫の花群れが晩秋の陽を浴びている
苗を頂いて育てた食用菊モッテノホカだ

黄色い芯から細い筒状の花びらを
あまり広げないで咲いている
うつむき加減の細身の立姿が
風に着物の袖を返したように揺れると
菊の香が匂いたった

こんな慎ましい花をむしりとってもってのほか
まして食べるなんてもってのほか
だからモッテノホカ

私も花をむしって湯がいて食べた
とんでもないことをしてしまった
激情が顔を出したのだ
湯上がりの花は薄紫のしずくをしたたらせ
秘めた香を解き放ち鼻孔をくすぐる
舌に乗せるとほんのり甘く
噛むとさくっと応えてくれる

おいしさは思いのほか
これを食べないなんてもってのほか
だからモッテノホカ
薄紫の細面を揺らして誘っている

 山形に出張に行っていた頃は新庄の行きつけの呑み屋さんで「モッテノホカ」をよく出してもらっていました。ネーミングの由来は「こんな慎ましい花をむしりとってもってのほか/まして食べるなんてもってのほか」もあったかもしれませんが、私の記憶に残っているのは「これを食べないなんてもってのほか」です。日本酒によく合うツマミでした。
 そんな個人的なことよりも、この作品では味の表現について勉強させてもらいました。日本語には旨いとか美味しいとかの貧弱な表現しかありませんけど、ここでは第4連で見事に現していると思います。「舌に乗せるとほんのり甘く/噛むとさくっと応えてくれる」というフレーズに出合って、往時の味を思い出した作品です。



詩誌『北の詩人』53号
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2007.2.5札幌市豊平区   100円
日下新介氏方事務局・北の詩人会議発行

<目次>
写真・コハクチョウの群れ・詩・コハクチョウ/佐藤 武 1
俊の年賀状/たかはし・ちさと 2      スキンシップ/たかはし・ちさと 2
幸せ/貴島雄二 3             コスタリカ/大竹秀子 4
ネズミ/大竹秀子 4            アメリカの三大罪悪/大竹秀子 5
補償しない日本政府/大竹秀子 5      不透明なる断片/高田淳一6
直ちゃんの父さん/八不由美 6       パレード/八木由美 7
嘆いてばかりはいられない/阿部星道 8   茂子 12 パーマ/阿部星道 9
月詩集/内出秋香 10            愛されたタガリ/内山秋香 11
幸せの理由/かながせ弥生 12        地獄の底で/かながせ弥生 13
黒い川のある町/乾 葉子 14        歴史/日下新介 14
信楽ナル世界/釋 光信 15         お正月/佐藤 武 16
冬の雨/佐藤 武 17            姉の背/佐藤 武 18
戦争への道に抗して/松元幸一郎 18     七時雨牧野/高畑 滋 19
短歌 新しき歳の始めに/幸坂美代子 20   歌を乞う/泉下イチイ 21
スラブの彫像/泉下イチイ 22
エッセイ
ナタネはアイヌの主食作物だった/高畑滋 23 花を貰う・病院にて/かながせ弥生 24
哀悼 木下順二(1)/松元幸一郎 25
受贈詩集・詩誌 27
「日本平和新聞」「詩人会戦」より・乾・泉下・倉臼 28
北の詩人52号作品評 大竹秀子 30
もくじ・あとがき 32



 歴史/日下新介

ぼくが子どもだったころ
日本には戦争があった
学校の出口は戦場につづいていた
「八紘一宇」・「死は鴻毛より軽し」――

おびただしい死者と廃墟の墓標は
「侵略戦争」の申し子だった

戦後、新しい歴史にぼくらは刻んだ
憲法第九条と

あれから六〇年
戦後生まれの首相は言う
「美しい国・日本」つくると

それは彼の父祖がめざした国
  日の丸 君が代 愛国心 核兵器 日米「血の同盟」
  海外派兵 靖国神社……
  団体献金 談合・汚職 失業 格差社会 貧困
  過労自殺……

歴史は繰り返す

彼らがこの国の山野に再び漆黒の花を咲かせようとも
          
うた
古木にだって芽生えの詩のあることを知れ!

 何気なく読み過ぎて、「学校の出口は戦場につづいていた」にもう一度戻りました。そしてギクリとしました。校門を出ると、そこはもう戦場。そんな時代感覚があったことに今更ながら驚いています。今ならそんな感覚はあり得ないことですが、作者が「子どもだったころ」は現実だったのでしょう。頭の中では判っていたことですけど、詩の言葉として提示されたときの勁さを感じます。これが詩の力なんですね。「戦後、新しい歴史に」「刻んだ/憲法第九条」をどこまでも守りたいと思った作品です。



機関紙『コロポックル』3号
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2007.1.26 札幌市豊平区
日下新介氏発行 非売品

<目次>
証言詩「その少女の名を」より 17
北海道新聞記事「戦う者たち5 VS 風化」原爆症訴訟札幌原告団長 安井晃一さん 18
赤旗の詩壇瀬野とし≠ノ一言 20



 証言詩「その少女の名を」より
  「生まれてきた子を殺すな」(安井さんからの聞き取り)の一部から。(日下)

それからというもの
Yさんは被団協や原水協の活動家として
北海道はもとより
日本を 世界を卑け巡ることになる
ジェニー
ロッタ
モーガン
彼ら六〇〇余人のスエーデンの高校生たちの
涙を流して証言に聞き入る姿に
Yさんは世界の未発に明るい展望を持つ
SSDVの時は国連へ
ヒロシマの火を持って行く

経理に明るいYさ人は
北海道の生存被爆者六八○余名の
北の砦の
「北海道ノーモア・ヒバクシャ会館」建設に尽力

核兵器廃絶
被爆者援護法制定と
東奔西走の
Yさんの心のなかには
老いてなお新しい火が燃えさかっている

 副題の「安井さん」は北海道新聞記事「戦う者たち5 VS 風化」の原爆症訴訟札幌原告団長・安井晃一さんのことのようです。聞き取りを作品化した日下新介さんの詩だと思います。コピーされた新聞記事も拝読しましたが、82歳の現在も原爆症訴訟の原告団長として病を押して先頭に立つ安井晃一さんの活動には頭の下がる思いをしました。その同じ思いが最終連の「老いてなお新しい火が燃えさかっている」というフレーズに結実している作品だと思いました。



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