きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.4.8 神奈川県真鶴岬




2007.5.17(木)


 久しぶりに東京會舘で開かれた日本文藝家協会の総会に出席しました。基本的には執行部原案通りに可決されましたけど、やはり著作権保護70年化の議論は若干紛糾しました。これはもう少し議論を進める必要があるだろうと私も思います。私が真っ先に質問したので、そのあと意見が続いたのかもしれません。私の質問は、著作権保護期間を70年にしたいけど、遺言などによって著作権保護期間を短縮する、あるいは取らないという意思表示システム≠考えているという、知的所有権委員会の三田誠広委員長へのものです。それは良いことだと思ったのですが、フッと、外国はどうなっているんだろうという疑問が起きました。その前の70年化では、先進的な諸外国はほとんどが70年だという説明があったからです。三田委員長は関係することまで縷々述べて丁寧に回答してくれましたが、要は外国には無いというものでした。先例に倣う必要はないのかもしれませんけど、お手本があるとメリット・デメリットが判りやすいですからね。無ければないで日本が先例を作るしかありません。70年なんか長すぎる、著作権を放棄するからオレの作品を世に出してくれ!という作家は意外に多いのです。そこを救う意思表示システム≠ヘ優れた方法だろうと今は思っています。

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 懇親会の冒頭では、嵐山光三郎さんが20分ほどのミニ講演をしてくれました。芭蕉の俳句「古池や蛙飛び込む水の音」を巡ってです。その蛙って、一匹? それとも複数? というところから始まって、日本では一般的に一匹と思われているけど、外国では複数なんだ、なんて話で、面白かったです。
 会場では皆さんとお話しできました。有名人には近づかない方なんですけど、今日は総会での質問の一件もあったので三田さんにも挨拶に伺いました。日本ペンクラブの電子文藝館についてもご存知ですから、今後は必要があればコンタクトをとるようかもしれません。
 行きも帰りも千代田線と小田急線を使いました。二重橋まで片道1時間半でした。このルートは初めてでしたが意外に近いと思いました。小田急特急で新宿に出て、というのが常に頭にありましたけど、急行で代々木上原乗換えが正解なようです。日本詩人クラブの会場となる駒場東大は下北沢で井の頭線に乗り換え。それで少し慣れたルートです。22時帰宅。0時過ぎないお出掛けは楽だなとヘンなところで感心しています。



佐古祐二氏詩集『ラス・パルマス』
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2007.5.20 大阪市北区 竹林館刊 2300円+税

<目次>
詩で 3
I 追憶 13
幼年 14                  橋をわたって 16
色彩の祝祭−ラウル・デュフィヘのオマージュ 20 熱風 22
波 26                   天神橋から天満橋へと続く錦繍の道で 28
ポプラ 32                 跨線橋 34
津波 36
U 静かな亀裂 39
何かが道をやってくる 40          流れる水 42
樹を植える 44               地球と寝る 48
やわらかな白い花 50            時代の空 54
アラート発令中 56             葡萄の房
(クラスター) 64
沈黙のしたたり 66             この道は 68
線路 72                  パントマイム 74
V クロッキー 77
不定根 78                 乗客 80
チェロの海 82               重力と浮力 86
午下り 90                 ありがとう 92
Everything happens to me 96        ひがさ 98
愛の季節 100
.               十月の空 102
W 空 105
信号灯 106
.                かくれんぼ 108
桜幻夢 112
.                星の収穫祭 114
風が吹く世界 116
.             凍裂 120
葉 122
.                  あの境目は 124
希望の重量 128
.              少年と夏 132
冬の海 136
初出一覧 141
あとがき 145



 希望の重量

希望には
重量があって
大きければ大きいほど
望みそのものの重みのために
落ちて来る

    打ち上げても
  打ち上げても
どんなに高く打ち上げても
最後には地に落ちる
    希望
儚くてむなしいものの代名詞

果たして そうであろうか
たとえ落ちて来ようが
望みを手放さず
生きるということ
ひとが
ただ在るということが
美しいのではなかったか

希望を高く
もっと高く
打ち上げようとする力と
希望にかかる重力とが
ほどよく釣り合っている
その美しさ

 クリムトの「接吻」が表紙を飾る美しい詩集です。
 「希望には/重量があ」るという発想に驚きます。そして「儚くてむなしいものの代名詞」であるかもしれませんが、「ひとが/ただ在るということが/美しいのではなかったか」という姿勢にも共鳴します。詩集から読み取る限りでは、著者は血液透析の治療を続けているようです。その置かれた境遇からもこの作品を鑑賞してみました。最終連の「打ち上げようとする力と/希望にかかる重力とが/ほどよく釣り合っている/その美しさ」というフレーズにも著者の前向きな姿勢を感じ取ることができます。
 詩集中の
「信号灯」はすでに拙HPで紹介しています。ハイパーリンクを張っておきましたので、合わせて佐古祐二詩の世界をご鑑賞いただければと思います。



文芸誌『兆』134号
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2007.5.7 高知県高知市
林嗣夫氏方・兆同人発行 非売品

<目次>
武田松姫(落穂伝1)…石川逸子 1
ココ…増田耕三 32             ドライブ…大ア千明 34
花ものがたり…林 嗣夫 36         喪主(ほか)…山本泰生 42
ここなく…小松弘愛 47           昼寝をしていたら…清岳こう 50
外はみぞれ…石川逸子 53
塙保己一を偲ぶ−あとがきに代えて…石川逸子 54
<表紙題字> 小野美和



 花ものがたり/林 嗣夫

 37 風の音

世の中
こんなにも落ち着きのないものだろうか
マックス・ピカートのいう「騒音語」が
はびこりはびこって
テレビをはじめ 雑誌 インターネット 駅も学校も

そっと
世界の肌にも触れたいのに
破片ばかり(の私)が がやがやざらざら通り過ぎる
静かな時間 静かな詩がほしい
水の流れをひとりのぞき込むような

満ち満ちるおしゃべりを操っているのは
「消費資本主義」と呼ばれる生きものだろうか
帝都名利の地、鶏鳴いて安き事なし、
と書かれたのは平家の時代
いまはもう 帝都ばかりではないようだ

木が木の姿を持たず 一日は始まりも終わりもない
静かな時間 静かな詩
そこに紡ぎ出される軽やかな歌が聞きたい
ヒヨドリのくちばしにつつかれて揺れる
ヤブツバキの花のような

いのちという空洞に響く 風の音のような

 総題に「花ものがたり」と付けられた連作です。今号は35から37までが載せられていて、そのうちの37を紹介してみました。相互に密接な関連があるわけではなく、単独の詩としても充分通用する作品だと思います。「マックス・ピカートのいう『騒音語』」がどういうものかは浅学にして知りませんが、言わんとしていることはこの作品からよく伝わってきます。繰り返される「静かな時間 静かな詩」という詩語は、「『消費資本主義』と呼ばれる生きもの」に最も欠けているもののように思います。それが「いのちという空洞に響く 風の音のような」ものなのでしょう。

 石川逸子氏の新連載「武田松姫(落穂伝1)」は読み応えのある作品でした。分量も本誌の半分以上の頁を割き、誌としての力の入れ様も判ります。武田信玄の六女・松姫は織田信長の嫡男・信秀との婚約者でありながら、武田・織田の闘争で生涯一度も信秀と逢うことがありませんでした。しかし最後まで信秀を慕い続けます。史実に即しながら戦国の女を描く力作で、次の落穂伝2が楽しみです。



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