きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.8.1 東京日仏学院




2007.8.1(水)


 午後から神楽坂の日本詩人クラブ事務所に行って、先日購入した押切りカッターとテプラーを置いてきました。総務担当の船木理事と待ち合わせして、ついでにホワイトボード用のマグネットなども事務所近くの百均で購入。少しずつですが事務所らしくなってきたと思います。しかし、一番大仕事のネット接続と電話の導入はまだ出来ていません。これは時間の余裕を持ってじっくりと取り掛かるつもりでいます。その前に早急に必要なのは下駄箱の購入かな。狭い玄関に20人分の靴を入れられるようにするのは容易ではありません。ネットで探してみようと思っています。

 夕方からは飯田橋の東京日仏学院に行ってみました。7月17日から8月5日まで、ヒロシマ特集の映画やシンポジウム、講演会があるから行かないかと誘われていました。日程的に今日が都合が良かったので、土田ヒロミさんという写真家の講演「ファインダーから覗いた被爆者の姿」を聴くことにしたものです。1945年から現在に至るまでにヒロシマ・ナガサキの原爆をテーマに、日本人の写真家が撮った写真や写真集をスライドで紹介しながら考察するというものでした。被爆当日はヒロシマ・ナガサキともに公的機関、特に軍部の報道官による写真は1枚もないことなど、現在の国家機構の欠点まで言及した講演で、学術的にも示唆が多いと感じました。

 書きたいことはたくさんありますけど、ここは日仏学院に敬意を表することだけを書き加えておきます。このイベントはフランス帰りだったのです。日本で取材されたドキュメンタリーが、2005年8月の1週間、「ヒロシマ、爆風ののちに」と題されて合計17時間の番組としてフランスで放送されたそうです。今回はその番組を日本に里帰りさせるということでフランス政府の公的機関である日仏学院がその会場となりました。フランスの皆さまの原爆に対する深い洞察と行動に感銘しました。これでフランス政府が率先して核放棄してくれたら、もっと良いんですけどね。

 だからというわけではありませんけど、今月の写真は学院の教室に通じる螺旋階段にしました。3階の踊り場から見下ろした構図です。携帯ですのでズームアウトなどの機能は貧弱ですが、何とか見られる写真になったかなと思います。ユニークな局面はさすがにフランス仕込み、気に入っている1葉です。

 こちらの写真は帰りに寄った飯田橋駅近くの「CANAL CAFE」にて。初めて携帯の夜景モードを使ってみました。外堀を眺めながら、風に吹かれて呑むビールと大きめのピザは最高でした。昼メシを食べるのを忘れていましたので特にピザは美味しく感じましたけど、空腹のせいだけではないと思います。石焼き風の焦げ目が良かったです。佳い夜でした。



溝口章氏詩集『流転/独一』
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2007.7.25 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊  2500円+税

<目次>
 T
月と影と首と――宗祖一遍上人誕生の地 豊国山宝厳寺を詣でる 8
 U 聖攷――「夢定」に寄せる詩章
幻化/遠き舟唄 18
流転/独一30
項歌/入寂 66
 V
聖攷 供養の海 86
 W 遊行詠草抄
踊躍 106
紫雲 120
墳丘の地 132
入水往生 144
 あとがき 154
 参考図書 157



  つき  かげ  こうべ
 月と影と首と
  ――宗祖一遍上人誕生の地 豊国山宝厳寺を詣でる

  神社の石段をのぼって消えた影と、この坂道でもすれちがった。ものさびた通称
  ネオン街は、殆どまっすぐにこの寺の門にぶつかっていた。案内されて、堂内に
  入ると、須弥壇の右手側の厨子に一遍上人立像が祀られていた。京の寺で出会っ
  た立像とは、趣きが違ってみえた。それは顔であった。由緒ある武家のというよ
  り、この辺りの漁師か農夫の血すじをうかがわせた。それ故私はこの顔はなくて
  もいい、顔とナミアミダブツと差し替えれば、全身これナミアミダブツの樹木と
  化す、と奇矯で過激な思いに駆られながら、固く合わせた掌の部厚い木の質感や、
  短い裾を分けて遊行へと踏みだす下肢の土臭さを見詰めていた。

時間ですからと寺の婦人にうながされて
庭へ出た
族衣木のねかやのねいづくにか身の捨てられぬところあるべき の
上人の歌碑が立っていた
その他にも 斎藤茂吉や川田順の上人ゆかりの歌碑もあった
日が落ちて庭に影がひろがり
街の灯が見え始めた
ずっと山際の方まで点々と
やがて
結界となる二層の楼門が黒々とした構えをみせる その上の空も
淡くなった

あの顔は なくてもいい
そう言って切り捨てた
首が
月になって 街の空に浮かんでいた
庶民的で温和な 顔立――
眉は薄く雲形に垂れ
ぼんやりと目もあった
あれは まるっこい鼻のあたり
ヘの字の口から 歯列がわずかにのぞいていた
こんなに遠くては称名の声も聞こえまい
私は
仰ぎながら それでも声を探していた
声が光だ と気づくまでは

  文永十一年(一二七四年)二月八日聖は超一、超二、念仏坊を従えて、此々予州
  の郷里を旅立った。月は、勿論その頃のではない。私が見上げている今のだとも
  言い切れない。

そんな宙ぶらりんが
むらさきの淡く細い雲を衣紋のようにひきずって
からだは いったいどこに捨ててしまったのか
次第に深まる空の闇を渡っていた
ナミアミダブツ
ナミアミダブツ
ナミアミダブツ
それにつれて
首のない人影が
 なんとまあ易々と 地表を歩いて
   私のからだをすりぬけてゆく
鉦を叩き踊りながら

 副題に「一遍上人絵伝 攷」とある詩集で、あとがきによれば「各詩篇は、『一遍聖絵』亦は『一遍上人語録』にその発想を依拠している。あるいは、それを材とし、契機とした」そうです。さらに「『攷』の本義は、私が詩に託す願いにすぎなかった、そう見るべきかもしれない」と続きます。紹介したのは詩集全体のプロローグとも言うべき部分で、「豊国山宝厳寺」で見た上人の顔が「
京の寺で出会った立像とは、趣きが違ってみえた」ことに詩作への発心があったようです。
 私は宗教に疎いので、正直なところ読みこなせているとは思いませんが、必要最小限の註には助けられました。また、遊行の果てに同行者が次々と行き倒れていくシーン、最後には一遍上人自身が行き倒れるシーンは圧巻です。そういう観点でも鑑賞できると思った詩集です。



秦恒平氏著『湖の本 エッセイ41
閑吟集 孤心と恋愛の歌謡
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2007.7.27 東京都西東京市 「湖(うみ)の本」版元刊 2300円

<目次>
小序…4                  一章 桑門の狂客 そして春の歌謡…5
二章 小歌の魅惑 そして春は逝き…35    三章 中世の陽気 そして夏が秋へ…70
四章 趣向と自然 そして秋が冬へ…103
.   五章 愛欲と孤愁 そしてめぐる春…135
六章 暗転の不安 そして恋の歌謡…167
.   撰抄「閑吟集」百九十三首…198
私語の刻…210 湖の本の事…221
<表紙> 装画・城景都/纂刻・井口哲郎/装幀・堤ケ子



 小序

 『閑吟集』は中世の歌謡を集めて、十六世紀はじめ(一五一八)に成った、全編が赤裸々な愛欲の情を清例に奏でた、それは面白い本です。大半がいわゆる室町小歌で、含蓄に富み、しみじみと親しみぶかい恋と夢うつつの歌詞の数々は、五百年の歳月をこえて、今も我々を切なく優しく感動させます。
 十二世紀半ばに成った、古代の『梁塵秘抄――信仰と愛欲の歌謡――』(NHKブックス、拙著)とあわせて、たぐい稀な「孤心」と「恋愛」のこの歌謡集の魅力を、思わず手を拍って満喫してくだされば幸いです。
 日ごろ古典になじみのうすい、高校大学生、主婦、お年寄りがたを念頭に、数多い日本古典文学の「大系」(岩波書店)「全集」(小学館)「全書」(朝日新聞社)その他(新潮社の「集成」は脱稿後に出版された)の本文や研究も有難く参照しながら、なお読み易く正しい歌詞の表記を著者なりに心がけ、昭和五十七年(一九八二)七月、NHKブックスのために新たに書下ろした本であることを申し添えます。  騒壇余人 秦恒平

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 とりあえず冒頭の「小序」を紹介してみましたが、書かれている通り1982年初版の再版本です。私は古典に疎く、秦さんの『湖の本』を拝読することで何とか親しめるようになってきましたが、本著はその中でも超一級の刺激を与えてくれました。何せ「全編が赤裸々な愛欲の情を清例に奏でた」本ですからね、21世紀に生きる私にもよく判ります。市販の本ですからあまりたくさんは引用できませんけど、それでは具体的なところを紹介してみましょう。
 *頭の「小」は小歌の意、後ろの番号は後世に振られたものです。また、読み易さを考慮して段落毎に空行をいれてあります。

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 小 世間
(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり(49)

 小 何ともなやなう 何ともなやなう 浮世は風波
(ふうは)の一葉(いちえふ)よ(50)

 小 何ともなやなう 何ともなやなう 人生七十古来稀なり(51)

 小 ただ何事もかごとも 夢幻
(まぼろし)や水の泡 笹の葉に置く露の間に あぢきなの世や(52)

 小 夢幻や 南無三宝(53)

 小 くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して(54)

 小 何せうぞ くすんで一期
(いちご)は夢よ ただ狂へ(55)

 四九番は、閑吟集を代表する小歌の一つです。しかも問題含みの一つです。「世間」を「よのなか」とどの本どの学者も訓んでいますのは後生の解釈で、一応私も従ってはいますけれど、そういうアテ訓みを強いる用字が、存外閑吟集に数寡いのを思えば、文字どおりの「せけん」と訓んで正しいのかも知れません。もっとも文字どおり歌謡は、黙読に先立って口誦第一に唱歌されるもの。おそらく編者も、これが「よのなか」と訓まれることに疑念はもたなかったでしょう。しかも「せけん」の意味も、この二字が体していたこと言うまでもない。そしてここからこの一篇の二重構造、趣向の面白さが真実湧き出すのですが、ところが私の見たかぎり、「よのなか」と訓んだ研究者たちが、口をそろえて「せけん」の意味でしか、この「世間」の面白さを汲んでいないのにはおどろきました。

 そもそもこの四九番で謂う「ちろり」が、はたして、ちらり、ちらッ、ということか。光陰の過ぎ易く、少しずつ移動する状態を「ちろり」と、浅野建二氏らのごく通常の解で本当に十分かどうかです。当然のように古語辞典でも、(1)一瞬目にふれるさま、ちらっと、(2)またたくま、さっとの二種の解を示しています。どうも、どれも閑吟集のこの四九番を原拠としていて、それ以前に遡る用例は示していないンですね。近世、近代の語感で溯って行って、閑吟集の小歌に分かりよく安直に解釈をつけたと、皮肉に言えなくもない。なるほどムリのない理解で、けっして私も反対ではなかったのです。

 とはいえ私自身「ちらッと」「じろッと」「じろり」という瞬時の瞥見を意味する副詞なら、たまには使ってきたでしょうけれど、「ちろり」という、音便でも何でもないむしろ澄んだ発音の名辞か、あるいは擬音のような物言いでは、もっとべつのことを考えます。例えば真先に、酒好きの私なら酒器の「ちろり」を思い出します。それと秋野にすだく「ちんちろり」のような虫の音
(ね)を思い出します。

 しかもこの二つは燗のついてくる時のさやかな音≠ノかぶって、親密に、印象として重なり合っています。「ちろり」と「ちんちろり」――どちらかが、他方の語源であるかとさえ想像したいほどです。事実、長崎ちろりといって、色硝子のそれは美しい酒器が遺っていますが、そんな南蛮・舶来めくものと限らず、やはり古語辞典が教えています「酒の燗をするに用いる容器。銅または真鍮製の、下すぼまりの筒形で、注口
(つぎくち)や把手(とって)がある」と説明しています、錫(すず)の品も多いこのような酒器の名前は、後撰夷曲集の八より引いたという、「淋しきに友まつ虫の寝酒こそちんちろりにて燗をするなれ」とある、燗のつくさわやかな鳴りからも、またその注ぎ勝手のやさしさからも、来ているわけです。

 この手の酒器を、では、いつの時代から「ちろり」と仇名ふうに呼んだか。にわかに確認できませんけれど、この閑吟集四九番の用例などは、松村英一氏や藤田徳太郎氏の示唆もあったとおり、早くにあらわれていた証拠の一つと、十分考えられます。いかにも閑吟集ふうの名辞、語彙として、しっくりこの場に嵌っています。もっと溯って平安王朝の女房がたで日常に使われだした愛称、仇名だったかもしれない。閑吟集時代にはもう市民権を十分もって広まっていたのではないか。

 こう察しをつけておいて、その上ではじめて、この名辞の語感の根に、先にあげたような「ちろり」の通解を、さらに語意を拡張されたものとして想ってみたいのです。
 私の理解を率直に言いましょう。この小歌で眼に見えている近景は、まず酒器としての「ちろり」です。そしてその蔭に遠景となり背景となってひそみ、懸詞
(かけことば)ふうの隠し味にもなってふくらんでいる意味が、いわば通解どおりの無常迅速の「ちろり」なのです。こう意味を取ってはじめて、「よのなか」の訓みがはっきり生きてくる。つまり「せけん」のことはと話が漠然と拡がってしまう以前に、この小歌では、男女の「世」の仲こそが、艶(えん)に直接にまず謡われているのです。

 愛し合いなじみ合うた二人が、濃厚な「世」の仲をいましも枕を倶に満喫し充足している最中≠ナあると想像しましょう。一つ床のまぢかに、あと≠フお楽しみの旨い酒が「ちろり」で媛められているのです。ちんちろりと燗はついてくる、その「ちろりちろり」の間にはや二人の愛の高潮も過ぎて行く。ひしと寄合う二人の思いが、あるいは男の、あるいは女の孤心が、夢うつつにその「ちろり」の迅
(はや)さをしみじみ認識しているのですね。相愛の営みが、わずか「ちろり」の鳴りはじめるまでの、酒に燗がつくまでの寸時に過ぎてしまう、果ててしまう、そのはかなさを惜しみ、呆れ、なげき、そして男女ともどもに酒の方へ這い寄って行く。そんな、やや醒めてうつろな睦まじさとして読むのが面白い。松村、藤田氏らもここまでは読まれていなかった。

 「ちろりに過ぐる」の「ちろりに」という形容動詞ふう語法は、酒器「ちろり」で爛がついてくるほどの時の間に、束
(つか)の間に、という意味でなければたしかに不自然です。そしてあとの「ちろりちろり」はその時の間を擬音ふうに表現し描写している。リアリティはすべて眼前の酒器「ちろり」が面白う確かに支持しています。

 そのものズバリ、有力な応援を、大田南畝先生、即ち天明狂歌壇の大将格だった四方赤良(よものあから)のこんな面白い狂歌に願いましょう。

  世のなかはさてもせはしき酒の燗 ちろりのはかま着たり脱いだり 四方赤良

 酒器を容れて置く「はかま」と着物の袴とを懸けている。袴を着たり脱いだりとは、すでにエロスの情景を直写しています。四方赤良は閑吟集のこの小歌をどうやら本歌にしていたかと言えそうですね。
 まずは、この小歌は、こう読まねばならぬはずの秀句です。そしてこれほどの具体具象を経て、さらに広く遠くに、「世間」は、時世は、人生はとおし拡げて行けばよい。「世の中はさてもせはしき酒の燗」です。「ちろり」の妙に、かくてこそ意味深長に手を拍つことができます。

 四九番は、いわば二重底、三重底の面白さなのです。はなから無常迅速調で単調に片づけてはへんに説法くさいものに終ってしまう。はじめに愛欲耽溺のはかなさがしたたかに感じられ、ついで男女「世」の仲の行く果てが想われ、それでこそ世間虚仮
(こけ)、無常迅速というほろ苦い諦念も遠景に生きてくる。身につまされるのです。ともあれ目前の景としては、男は男の、女は女の事後≠フしらじらをこの小歌で思いつ見つしているンで、真の意味の、これが「きぬぎぬ(後朝)」の情緒というものでしょう。

 さあ、先に挙げた一連の七篇は、最初の四九番一つをこう読まないと、すべて浮足立って生悟(なまざと)りのお説法くささに鼻をつままねばならなくなる。五〇番は「浮世は風波の一葉よ」といい、五一番は「人生七十古来稀なり」といい、五二番では「あぢきなの世や」とふッと口をついている。それをさえエイと振り切るほどいっそ勢いよろしく五三番は、「夢幻や南無三宝」――。一炊の夢に夢さめた謡曲『邯鄲』に出てくる一句です。

 一度はおちこみかけた「あぢきな」という否定や消極を、今一度「何ともなやなう」「何ともなやなう」と否定の肯定に反響させ逆転させての、すべては、「夢・幻」という真実の現実。これをすべてそのまま、「だからどうだと言うの」1何じゃいナ」とまたバサリ夢幻
(むげん)(無間)の底へ切って落とすわけです。その原点に四九番の男と女との愛恋夢幻、無限抱擁の束の間が過ぎ行きつつある。「ちろり」と酒が煮え立つほどの儚(はかな)い時の間にも、しかし、よくよく想えば、よその現実社会では決してえられなかった甘美と充実とがあった。あったはず……だ。
 「浮世は風波の一葉」それで、けっこう。「人生七十古来稀」で、けっこう。「水の泡」「露の間」で、とことん味わいつくす遑
(いとま)もなげな「世」は世ながら、それとて南無三宝「夢幻や」であるわけです。

 観念だけの諦悟は机上の空論です。最初に人間らしい愛欲の真相が寂然かつ「ちろりちろり」と据えられているから、四九番から五三番までが、みごとに緊密な、少くも一つの態度≠毅然と表わしえている。この態度の毅さは、この時代の人々にすれば、世間万事心細く心もとなければこそ、こう生きぬくしかない強さであったのでしょうね。またこの一連をこう編集しえたことで、閑吟集の編者は、「狂客
(デカダン)」たるの真骨頂を表わしえていると言えましょう。

 こうまで断乎読み切ってみると、もう、五四番の、また五五番の、「うつつ顔」を嗤って「ただ狂へ」と噴きあげる歌声に、余分の註釈は不要というものでしょう。男女の仲を、そして現世を、徹底して「夢の夢の夢の」と幾重もの合せ鏡の奥をのぞくような覚悟があれば、「一期(生涯)は夢よ」と見切って、だから肯定して、「ただ狂へ」と両手両脚を奔放に虚空になげ出すのは、語の真実として極めて自然≠ナす。この自然≠リアリティ≠ニ訓みたくなるのは、根本に男女の愛を据えて動かない『閑吟集』の人間肯定があるからです。

 ここで「くすむ人」というのは、一般に「まじめくさった人」ととるだけでは、じつは味わいがまだ稀薄です。明らかに「夢の夢の夢の世」つまり性愛の秘境を、はるばる訪れていながら、なお「くすむ人」は、尻ごみする人などは、とても「見られぬ」と嗤っているのです。
 「ただ狂へ」も、どれほど深遠に釈義してもいいのですが、根本には、男女愛欲の海のなかで狂い游
(およ)ごうよと、徹した思念が第一義に謡われている真相を見忘れては、聴き遁しては、いかな説法も屁ひとつ、何の足しにもならないのです。

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 ちょっと長くなりましたが「二章 小歌の魅惑 そして春は逝き…」から紹介してみました。学者に対する反論・異論は随所に出てきますけど、この部分が一番わかり易いように思います。有名な「世間はちろりに過ぐる ちろりちろり」を、本当に「相愛の営みが、わずか『ちろり』の鳴りはじめるまでの、酒に燗がつくまでの寸時に過ぎてしまう、果ててしまう、そのはかなさを惜しみ、呆れ、なげき、そして男女ともどもに酒の方へ這い寄って行く」場面まで拡大解釈してよいかどうかは異論のあるところでしょうが、その後の小歌との関係、果ては「四方赤良のこんな面白い狂歌」まで引き合いに出されると納得してしまいます。一概に深読みとは言えない説得力を感じてしまいますね。

 かように丁寧な解釈≠ナ成り立った本で、200頁を超える大冊ですが一気に読んでしまいました。私を含めて古典は苦手という人は多いと思いますけども、これを読めばヘンな不安≠ヘ払拭されます。高校の教科書や研究者から押し付けられる読み方ではなく、当時の庶民の視線に立った秦恒平文学の真骨頂と云えましょう。お薦めの1冊です。
 次回配本は『梁塵秘抄――信仰と愛欲の歌謡――』の再版本とのこと。今から楽しみです。



『「詩人の輪」通信』18号
shijin no wa tsushin 18.JPG
2007.7.24 東京都豊島区
九条の会・詩人の輪事務局発行 非売品

<目次>
私の原点/佐相憲一             九条詩人の輪福岡/草倉哲夫

ホトトギス/大西和典            日本一/山本道夫
沖縄の真実・日本の真実/おだじろう     暴走する自衛隊/杉山ひろし
アベ カンさん/澤田康雄          世界へ/三牧 亨
輝け9条!詩人のつどい・パート5 in千葉
賛同参加者・第14次分



 アべ カンさん/澤田康男

わたしは今度九十歳になります
(気品のある三木睦子さん)
女はものを言ってはいけない時代に
育ったわたしですが
今 憲法を変えようなんて
いいだすんだったら
わたしは黙っちゃあいられません
安倍晋三さん
あなたのお祖父さん
アべ カンさんは
今の戦争は
やっちゃあいけない と
説いて歩いた人だった
マスコミは一言もカンさんのことを
言いません
岸さんの家系ばっかし

夜 三木のところへ来ては
にぎり飯を喰っては
また非戦論を説きに
闇の中へ消えていったんです

 おそらく「三木睦子さん」の講演を聴いての作品でしょう。不勉強で、「安倍晋三さん」の「お祖父さん」に「アべ カンさん」という人がいたとは知りませんでした。戦争中に「非戦論を説」いていたようですから、相当気骨のあった人だったと思われます。確かに「マスコミは一言もカンさんのことを/言いません/岸さんの家系ばっかし」ですから、これはマスコミ関係者に考えてもらわなくてはいけませんね。「安倍晋三さん」もいつまでもつか分からない現状ですけど、こちら側の報道もしてほしいものです。



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