きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
070801nichifutsu.JPG
2007.8.1 東京日仏学院




2007.8.5(日)


 詩友が清里に開設した「ギャラリー・譚詩舎」のオープンです。ギャラリーと銘打っていますから、多少の絵は飾ってあるものの、主は本です。特に四季派関係、立原道造関係の本はかなり充実しています。しかし、それらは売り物ではありませんし、基本的には貸し出しもしないようです。じゃあ何をやるのかというと、それらの本をゆっくりと静かに読んでもらい、そんなおしゃべりが出来たらいいな、というかなり変わったコンセプトです。もちろん採算度外視になるでしょうね。会員制をとりますので、その会費からギャラリーの賃料が出せれば良いという設定のようです。

070805.JPG

 ちょっと大きな写真でごめんなさい。オープニングを飾ってくれた四重奏です。ギャラリーは室内楽用に設計されているわけではないと思うのですが、どこで聴いてもよく響いて、かつ抜けて、意外に良い効果でした。天井近くに換気用の窓が並んでいて、それを開けたことによって室外と通じて、音に無理がなくなったのだと思います。久しぶりのナマ演奏、至福の時間でした。

 お客さんも当初の予想の2倍、60人ほどが集まって盛会でした。詩人は意外に少なく10人ほどだったと思います。画家、音楽家、建築家など、いつもとは違ったおもしろい集まりでした。有名なところでは女優の藤田三保子さん、評論家の色川大吉さんなども見えて挨拶していました。

 ギャラリーの大きさは写真の10倍ほどになりましょうか、ご覧のように壁は本だらけです。本好きには背表紙を見るだけでもたまらない空間です。
 譚詩舎のHPは
こちら です。冬は閉鎖になりますが、今年の高原の夏・秋を楽しみがてら、よろしかったら皆さんも行ってみてください。



アンソロジー『山梨の詩』2006
yamanashi no shi 2006.JPG
2007.3.10 山梨県笛吹市 古屋久昭氏方事務局
山梨詩人会編・笠井忠文氏発行  1000円+税

<目次>
発刊に当たって/笠井忠文…1
会員の詩
『秋霖』古びた日々 問題なし/青井 茫…6 木守り/秋山捨雄…8
父の日記/あさいまさえ…10         置いてけ堀・祭りの日/浅木 萌…12
ノスタルジア/穴水公一…14         月へ/荒井初枝…16
鍵とは/安藤一宏…18            語る 2・頌歌への途/いいだかずひこ…20
流動的な幸福/石川祝吉…22         暮れ行く/井上 隆…24
寄り道・密やかに/井関真由美…26      古希の唄/遠藤静江…28
一枚の紙・海鳥(うみどり)/長田好輝…30   梨の思い出/小沢啓子…32
人間浴/小沢邦子…34            そこに秋がいる/小野 卓…36
老犬(アローに)・秋に(パピに)/小俣みよ子…38 異文化/柿沼美智子…40
寒い春/笠井忠文…42            いのちを担いで/橘田活子…44
てをふる・うごけるうちに/椚原好子…46   恋路が浜/窪田サエ…48
花守/こまつかん…50            風景/斉藤英嗣…52
夏、めぐりめぐりて/桜井 節…54      春の雨/澤フジ子…56
満蒙開拓団の話/志村 宗…58        記憶・夢の中で/せきぐちさちえ…60
街/武井久美子…62             不在/竹居正穂…64
名残り草・正午の風/竹原国子…66      助けた蜘蛛/内藤 進…68
黒曜石ものがたり/中川和江…70       オニガミ/濃野初美…72
帽子・熊/花里鬼童…74           かたつむり/ひろせ俊子…76
廻る風景の中で/深沢勝子…78        父 4・父 10/古屋淳一…80
すずめ/古屋久昭…82            人生マラソン・玉手箱/まき の のぶ…84
別れ/前島正吾…86             まねごと科学者/三井真由美…88
旅詩人/三井美代子…90           身辺感懐/宮川逸雄…92
F君は何になるつもりなんだ/村松 英…94  もしも/目黒容子…96
霧の森へ94才美しき認知症の日記より=^本澤四津子…98
菜園点描/山田みとり…100
.         氷のオブジェ/横打みえ子…102
母よあなたに/わたなべ政之助…104
賛助会員作品
(エッセイ)内田義広の「飛翔」/石原 武…108
. (エッセイ)想い出の村は美しく…/堀内幸枝…112
(詩)冬芝居にもうしばらく/石原 武…114
.  (詩)寄り道/岡島弘子…116
(詩)優しい場所/尾崎昭代…118
.       (詩)秋の毛氈 蒲鉾の板/佐野千穂子…120
(詩)古墳の四神/中川 敏…122
.       (詩)転機・のうてんき/中村吾郎…124
(詩)蛇口あるいは聴覚について/林 立人…126 (詩)幼き頃−畑の食卓・高山の花/堀内孝枝…128
(詩)ふるさとの駅/向田君子…130
.      (詩)飛(と)べ飛(と)べ自転車/安永圭子…132
小史「山梨の詩人会」
 その誕生、再生、改称、活動の記録など− 古屋久昭…134
平成18年 山梨県詩人会名簿…141
編集後記…145
.               (表紙 いいだかずひこ)



 満蒙開拓団の話/志村 宗

真夜中の水道の蛇口をひねると
水の勢いはすさまじい
私はその時
六十六年前のことを思い出す

たしか昭和十五年
私が小学校五年生の時だった
満蒙開拓団に行っていた先輩が来て
開拓団の話をした
話を聞いたのは四年生以上だった

開拓団では水が尊くて
朝は小型洗面器一杯で
それを飲み口をそそぎ
顔面を洗う……
そこだけを私はよく覚えている

日は地平線から上り地平線に沈む
私はそんな話を期待したのだが……

先輩は最後に
何か質問はありませんかと言った
誰も質問はしなかった
すると教頭先生が
開拓団には率先して志願すべきかどうか
と尋ねた

ひとしきりして
そうです志願して行くべきです
ただよく考えてと言った

先輩は開拓団の一員として来たのに
先生の質問に何故ためらったか
私は今でも不思議に思っている

真夜中の水道は勢いがいい

 歴史の証言としても貴重な作品だと思います。「満蒙開拓団」のことは、例えば『1億人の昭和史』(1975年・毎日新聞社)などに出てきますけど、「満蒙開拓団に行っていた先輩が来て/開拓団の話をした」という記録は少ないのではないでしょうか。その先輩が「そうです志願して行くべきです/ただよく考えて」と「ためらっ」て言ったところは実感でしょうし、こういう場面はなかなか表に出てこないと思います。
 作品上も「真夜中の水道」がよく効いています。「日は地平線から上り地平線に沈む」という「私」の「期待」とは違い、「開拓団では水が尊」いという現実の苦労を先輩は語ったわけで、水を仲立ちとした「六十六年前」と現在との時間処理も優れていると感じました。再び戦争ができる国になろうとしている現在、体験した詩人の生きた証言として大事に拝読させていただきました。



文芸誌『ノア』13号
noa 13.JPG
2007.7.31 千葉県山武郡大網白里町
ノア出版・伊藤ふみ氏発行 500円

<目次>

成果…右近 稜 2             旅の宿…筧 槇二 4
つれあい…佐々木禎子 6          鬼…此木三紅大 7
さんぽ…田中眞由美 8           五月のオモチャ箱…伊藤ふみ 10
エッセイ
私の不思議体験…保坂登志子 12       雛月のころ…森下久枝 14
アート・ノート…望月和吉 15        栗原貞子さんの詩『生ましめんかな』のこと…遊佐礼子 16
 学童作品…19
大人の童話 おじいさんの頭の中…伊藤ふみ 20
詩画 武政 博  田村和子 22
エッセイ エカテリーナU世の宝冠から…馬場ゆき緒 24
創作 夢の八衢…川村慶子 26
ご紹介…29
新刊紹介 つまぐろちゃんのたべものさがし…30
追悼 内田晴康さん… 31
編集後記 32



 さんぽ/田中眞由美

みるく がおじいちゃんをさがしてる
ひとつひとつ
部屋のなかをたしかめて

そろそろ散歩の時間で
つえをついて歩くおじいちゃんの後を
いっしょに付いていくのを
楽しみにしてた

近所のひとは
変なネコねって
笑って見送っていたけど
気にしちゃいなかった
みるく には
借りがあったから

世間しらずの ワカゲノイタリって
おじいちゃんはいってたけど
ジュリエットをめぐって
ボスネコのクロに
ケットウを申し込んだんだ
結果は
鼻 と お尻をかまれる大けが

みるくは 恐くて外に出られない
おじいちゃんは言った
いっしょに散歩に行こうって
それから みるくは
散歩ネコとして
世間に再デビューした

あの日
黒い車が玄関にとまった
おじいちゃんが
寝たまま 乗っていった

ぼくが
もう帰ってこられないところに
行ったんだよって 話すと
みるくは にゃあ というけれど

今日も
みるく がおじいちゃんをさがしてる
ひとつひとつ
部屋のなかをたしかめて

 子ども向けの詩も書く田中眞由美さんの作品です。「ぼく」の視点から書かれているのが成功しています。第6連、7連を見ると、「ぼく」は小学校3年生ぐらいの設定なのかもしれません。「みるく」はいずれ「おじいちゃん」のことは忘れるでしょう。しかし「ぼく」は「もう帰ってこられないところに/行った」「おじいちゃん」と、「ひとつひとつ/部屋のなかをたしかめて」いる猫とを生涯忘れることはないでしょう。そんな少年の心理を上手くうたった作品で、タイトルもよく効いていると思いました。



詩誌『黒豹』115号
kurohyo 115.JPG
2007.7.30 千葉県館山市
黒豹社・諫川正臣氏発行 非売品

<目次>
諫川正臣/春の舞 2            諫川正臣/キッちゃん 3
西田 繁/砂時計 4            西田 繁/出征 5
よしだおさむ/眼 6            よしだおさむ/海鳴り 7
前原 武/宝の箱 8            前原 武/二匹のかえる 9
山口静雄/遠山よりも 10          富田和夫/赤い河−カナダのウィニペグにて 11
杉浦将江/ラストラブ 12          杉浦将江/えにし 13
本間義人/叫び 14             本間義人/
Leoの居る部屋 15
編集後記 16



 春の舞/諫川正臣

膨らんできた苞がぽとりこぼれて
ポピーの莟がほどけてゆく
なかみを守ってきた苞の役目は終わった
不要なものは落ちていくだけ

見る見るうちにしわをのばす
うす紙のような花びら
ほのかな愁いを芯に
しだいに花のかたちを整えていく

かすかな風の誘いにのって
ふんわりと春を舞う
吹かれるままに揺れているうちが花
色とりどりに今をきそう幾千の顔

ひらききった花びらは地に落ちる
なよなよ細い軸一本に身を任せ
ゆれて ゆれて
何とも危うい皿回しの皿のよう

 おや お客さん
 咲いてる花は
 家につくまで保
(も)ちませんよ

ここ 花摘みポピー園

 第1連からドキッとする詩語に出会います。「役目は終わった/不要なものは落ちていくだけ」というのが自然の摂理なんでしょうが、改めて書かれると驚きます。人間もしかり、役目が終われば退陣するのみ、晩節を汚したくないなと思います。
 第3連の「吹かれるままに揺れているうちが花」というフレーズにも魅了されます。なるがまま、なされるがままになっているうちが花≠ネんでしょうね。「ひらききっ」てしまったら、もう「地に落ちる」しかないのかもしれません。これは第1連と深く関わっていると思います。
 そういう身につまされる詩句ばかりではなく、第5連、最終連ではホッとさせられるところが手腕と言えましょう。猿回しの猿の役割を作中人物が演じてくれたおかげで、グッと作品に親しみやすくなりました。このギャップが読者を惹きつけるのだと思います。勉強させてもらいました。



詩誌『ONL』92号
onl 92.JPG
2007.7.30 高知県四万十市
山本衞氏発行  350円

<目次>
現代詩作品
土志田英介/村の入口 2          小松二三子/MRI 4
水口里子/T先生 6            宮崎真理子/母 7
浜田 啓/とぼとぼ 8           河内良澄/虹 9
柳原省三/見えない手 10          西森 茂/心残りな禁断の恋と訣別した陽子 12
丸山全友/大声大会 16           福本明美/下宿のおばさん 17
岩合 秋/ちょっとだけ 18         土居廣之/生後百日 19
徳廣早苗/微光 20             山本歳巳/疾走 22
北代佳子/地球温暖化 24          森崎昭生/渚にて 25
文月奈津/風 26              大森ちさと/動く 29
山本 衞/青春 30
俳句作品 瀬戸谷はるか/花ぎぼし 32
寄稿評論 村上利雄/九十一号読後感想 36
随想作品 秋山田鶴子/ふるさと 34     芝野晴男/酔ッパラッチャッタ 35
評論
谷口平八郎/幸徳秋水事件と文学者たち(5) 33
山本 衞/神話の里に生きた詩人−牧野正史詩集を読む− 38
後書き 42
執筆者名簿                 表紙 田辺陶豊《変貌・そのV》



 見えない手/柳原省三

女性の友人に誘われて
おやじサミットに出席した
地元の詩人ということで
ぼくの詩が朗読されるというのだが
それよりも女性でありながら
おやじサミット会員というのが面白かった

そういえばこの友人は
若くして自衛官の夫に死なれ
女手一つで三人の子を立派に育てた
「おやじ」の役割も心に宿していたのだ
面白さには犠牲がある

講演の先生は不登校も精神病も
みんな夫婦の不和に原因があるという
息子の不登校や精神病を
しっかり体験していたぼくにとって
それはとても納得できる説明ではなかったが
広い日本には適合するケースもあるだろうと
黙って聞いていた

けれども話が熱を帯びてくると
ぼくは段々嫌な気持ちになってきたのだ
社会制度の不備や現象を
みんな自己責任として
批判精神を押さえ込みながら
何処かへ引っ張って行こうとしている
そんな見えない手を感じてしまったのだ

 「女性でありながら/おやじサミット会員というのが」確かに「面白」いのですが、それを「面白さには犠牲がある」と抑えたところに詩人としての面目躍如たるものを感じます。
 「講演の先生」の話は「とても納得できる説明ではなかった」のでしょう。私ならそんな場合、席を蹴って立ち去りますけど、作者は「広い日本には適合するケースもあるだろうと/黙って聞いてい」るんですね、寛容の度合いの広さに脱帽です。しかもそれだけではなく「社会制度の不備や現象を/みんな自己責任として/批判精神を押さえ込みながら/何処かへ引っ張って行こうとしている」と分析し、「そんな見えない手を感じてしまったのだ」と結びます。ただの寛容だけではない、詩人らしい「批判精神」が発露しています。勉強させられた視点です。



   back(8月の部屋へ戻る)

   
home