きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.8.1 東京日仏学院 |
2007.8.17(金)
今年4月に開館した横須賀美術館にようやく行ってきました。企画展は「アルフレッド・ウォリス」……。んんん!? 副題が「海に生きた素朴画家」……。んんんんん!? 庭園美術館で観たような…。やっぱりそうでした。3月に東京都庭園美術館に行ったときに「アルフレッド・ウォリス」展をやっていたのです。ま、いいかぁ。
庭園美術館とだいたい同じような作品が並んでいました。おそらく巡回しているんでしょうね。二度目ですから細部まで鑑賞させてもらいました(^^; お菓子の箱やダンボール、その辺に落ちていた板切れに描いているのは変わりませんでした、、、って、当たり前か。もちろん全てを覚えているわけがなく、初めて観たような気になった絵もあって、それはそれで良かったです。
美術館の常設展コンセプトは横須賀に関係した画家、または海の絵ということで、テーマがはっきりしていて判りやすかったのですが、各作家の絵が基本的には1枚ずつしかないというのは寂しい感じでした。新設ですから仕方ないのかもしれませんけど、同じ作家の絵をせめて2〜3枚は続けて観たいものです。そこは今後に期待しましょう。でも、三岸好太郎(金魚)・三岸節子(室内)夫妻の絵、李禹煥(線より)、麻田鷹司(海角)などは観応えがあって良かったですよ。
横須賀美術館の目玉は「谷内六郎館」のようです。週間新潮の表紙絵でお馴染みですね。詩情あふれる絵にファンも多いかもしれませんけど、かなり屈折した面もあって、そこがひとつの見所だなと感じました。
私の地元・神奈川の新しい美術館は東京湾が目の前というロケーション。それも見所のひとつです。よろしかったら一度は訪れてみてください。
○松下和夫氏詩集『虹』 |
2007.8.23 千葉県茂原市 草原舎刊 2000円 |
<目次>
まえがき 8
一
まぶしい春 12 花の器 14 影について 16
返事がない 20 虹 24 風の方法 28
風の楽器 30 花時計 34 こわれた古時計 38
鏡の囁き 4景 42
二
思い出 50 雑木林の記 52 カクレンボ 56
渚の唄 60 指について 64 白い舌 68
新体操 72 地球市民 76 ひとり占い 80
訛にて候 84
三
砂丘 90 椿の唄 92 ベコ座 96
摘心 100. 空耳 104. 森林浴 108
宇宙時代 112. 縞模様 116. 囀り 120
真紅のシクラメン 124
あとがき 128
表紙絵*秋田かなえ
カクレンボ
カクレンボシテ
オニニナル
ダレモイナクナッタロジヲサガス
ソラニキエタカ
ツチニモグッタカ
ソンナニカクレルトコロガアルトハネ
アタリガヒカリトカゲダケノ
チズニナリシーントナリ
カクレンボシテユウガタガクル
サガシタリサガサレタリシテ
マタアシタナンテワカレル
ソンナニカクレルトコロガアルトハネ
ヨルハ
タイヨウモカクレンボ
マドガカーテンノマブタヲトジルト
ホシノセカイニデンワセンガアリ
ツキニムカッテクルマノウズマキ
ソンナニカクレルトコロガアルトハネ
ネムリハ
ウチュウノカクレンボ
ムカシモイマモユメノクニ
ヨアケノホシガキエタアト
カクレンボシテメヲサマス
ソンナニカクレルトコロガアルトハネ
ヒトリボッチデニホンアシ
ソノカゲ
ダーレ
詩集としては第7詩集になるようです。その他にエッセイ集は3冊、旺盛な執筆に驚嘆しています。
紹介したのは本詩集に中で唯一のカタカナで書かれた作品です。繰り返される「ソンナニカクレルトコロガアルトハネ」というフレーズが効いています。私たちは知らず知らずのうちに、どこかに「カクレルトコロ」を持っているのかもしれないと感じました。最終連もよく決まった佳品だと思います。
○詩誌『山形詩人』58号 |
2007.8.20山形県西村山郡河北町
500円 高橋英司氏方編集事務所・木村迪夫氏発行 |
<目次>
詩●ひとりつぶやき/菊地隆三 2
詩●菩提寺・二〇〇七・初夏/大場義宏 6
詩●オムニバス・連鎖の破断/阿部宗一郎 9
詩●虫草(ちゅうそう)/佐野カオリ 13
評論●超出論あるいは無への舞――吉野弘詩集『北入曽』論/万里小路譲 17
詩●蕎麦賛歌/近江正人 24
詩●ヨハンヘの手紙/高啓 28
詩●草を刈る仕事/高橋英司 31
詩●夜も昼も/木村迪夫 34
反論●他者非難によるデッサン法の不毛について/高啓 37
論者●(承前)詩人としての真壁仁論デッサンの試み 『日本の湿った風土について』のあたりで――/大場義宏 45
後記 52
オムニバス・連鎖の破断/阿部宗一郎
大道芸人
大道芸人の大男が鉄の鎖でぐるぐる巻きだ
程よく観客が集まると気合で鎖をぶち切る
客の輪の拍手に女が廻って投銭をあつめる
ドーランで口をピエロに画いた哀しい笑顔
幼い日の患いで小児のままの女が捨てられ
拾い拾われた大男と女の大道芸人の二人だ
修道院の小屋にもぐり寝てパンを分けたり
怒鳴り泣きわめきながらも切れぬ鎖の二人
それに銭を投げるチーズを分けるもみな鎖
やがて女が病んで海の見える故郷に去るが
旅芸の日々なお切れぬ鎖にたぐられる男が
訪れた村の果てで誰かが吹くトランペット
曲はただひとつ女が口ずさむあの唄だった
はるか遠くの長靴の形の国の連鎖の物語り
貧しいとき人は連鎖を破断することはない
「オムニバス・連鎖の破断」として5編の作品が収められています。その中の「大道芸人」を紹介してみました。「長靴の形の国」とありますから、舞台はイタリアと考えてよいでしょう。「鉄の鎖」と「怒鳴り泣きわめきながらも切れぬ鎖の二人」の「連鎖」がおもしろい作品ですが、特に最終行が見事です。「貧しいとき人は連鎖を破断することはない」というフレーズは人間の繋がりの妙を謂っていると思います。支えあわなければ生きていけない私たち庶民を感じさせます。
○詩誌『烈風圏』第二期12号 |
2007.7.15 栃木県下都賀郡藤岡町 烈風圏の会・本郷武夫氏発行 非売品 |
<目次>
ひぐらしの道/寒椿…水無月ようこ 2 間違い、それともユーモア…小久保吉雄 6
06'〜07'冬〜春/美しい青の惑星…山形照美8 古澤履物店 十二…古沢克元 14
孫が生まれて…三本木昇 17 今さわらないで…立原エツ子 20
ひとつぶの涙…松本ミチ子 22 さそり座の女…たのしずえ 24
額の穴/朝の烏…須永敏之 26 臼(四) スルス屋…深津朝雄 31
詩の核(コア)とは何か−一篇の詩の命に繋がる詩集−…金敷善由 32
永劫/俘虜…瀧葉子 33 炉火…金子一癖斎 36
シルクロード 敦煌(二)…高澤朝子 59 別れ…菊地礼子 42
小さな抵抗/さよなら…坂本久子 44 転寝(うたたね)/おじさんの言葉…白沢英子 48
疼痛…石神かよ子 55 もし/斜光の中で…本郷武夫 56
むかしのおんなは…金敷善由 60 地球で/願い…都留さちこ 62
周縁終焉…柳沢幸雄 65 日々草とは日々に咲く花…百瀬綾子 68
三本のバナナ…水無月ようこ 70
あとがき 72
間違い、それともユーモア/小久保吉雄
友人が職場の机のネームプレートを届けてくれた
よーく見ると、小山市福市長 小久保吉雄と書いてある
良質の古木に、書家の彼が数日かけて仕上げてくれたものらしい
感謝を述べるとともに、彼のユーモアに驚いたものである
私を明るくしようと気を使ってくれている
指をさして「ユーモアありがとう」というと
彼の顔が真っ青になるではないか
「すまん、許してくれ」といって持って帰ってしまった
数日が過ぎて、また訪ねてくれた 今度は
小山市副市長 小久保吉雄となっていた
副と福のちがいはなんだろうか
私はこの間違いをうれしく思っている
市民の幸福を願って毎日仕事をしているのだ
福市長でいいではないか
このことを考えると気持ちがほのぼのとしてくる
間違い、それともユーモア
小山市福市長 小久保吉雄
なかなか無い素材だと思います。「福市長」は「副市長」の間違いだとすぐに判りましたけど、作者は「ユーモア」と捉えていて「この間違いをうれしく思っている」と続けます。「市民の幸福を願って毎日仕事をしている」作者の姿がそこに表出していると云えましょう。「このことを考えると気持ちがほのぼのとしてくる」という「小山市福市長 小久保吉雄」さん、きっと良いお仕事をなさっているのでしょうね。こちらまでが「ほのぼのとして」きました。
○詩誌『墓地』60号 |
2007.8.12 茨城県古河市 山本十四尾氏発行 1000円 |
<目次>
雑記/山本十四尾
<掌編小説> 雪待ち/石下典子 <長篇詩> 赤猪子/大掛史子
詩 月島/岩崎和子 <エッセー> 月島慕情/岩崎和子
詩 散花−夏季/山本十四尾 <書評> 山本十四尾詩集『鬼捜し』について/図子英雄
散花−夏季/山本十四尾
庭先の鷺草の花 里山からは老木に着生する風蘭の花を摘
んで 私の夏季の散花としている 共に白い花だ
あすからは蓮の花を 井口雅代*
の作品で散花をする こ
の花は蕾から開いたその日はためらい咲き 次の日は迷い
咲きという 三日目は私が名づけてゆだね咲き そして次
の朝に落花する
ためらいながら生き 迷いながら生きつづけ あとは天に
ゆだねる生きかたがよい そんな人間の生き様を蓮*
の花
は沈黙のなかで示唆し 徐ろに散っていく すでに自化へ
の実を残して
*陶芸家・日本工芸会正会員。千葉市在住。
*蓮は花と同時に実をつける。
「ためらい咲き」「迷い咲き」、そして「ゆだね咲き」とは、何とゆかしい花かと思います。池や沼の蓮をときたま見ることはありますが、「花と同時に実をつける」ことも知らず、4日目の「朝に落花する」ことも知らずに漫然と眺めていた自分を恥じ入るばかりです。蓮なら蓮の背景を知って眺めるのと、何も知らずに眺める差異、詩の結実の方向さえも違ってしまうでしょう。何より私の場合には詩に結実することなど無理なこととなってしまいます。花の知識と鑑賞がいかに結びついたものであるか、勉強させられた作品です。
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