きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.8.1 東京日仏学院 |
2007.8.20(月)
午後から湯河原町の「グリーン・ステージ」に行ってきました。櫻井千恵さんの朗読は貫井徳郎作「清洲橋」。当日のプログラムからは、
<響子の、切迫した深夜の電話の声に起こされた私は、彼女のマンションに車を走らせた。友人として付き合っている響子との三つの約束を果たす為に。男と女の友情は可能なのだろうか?>
となりますが、三つ目の約束がなかなか出てこず、ちょっとイライラしました。しかし、最後の最後に出てきて納得。さすがに上手い展開です。朗読もいつにも増して味わい深いものでした。
今日は写真を割愛します。携帯電話で撮ろうとしたのですが、携帯は音が出ますので遠慮しました。無粋な音で会場の雰囲気をブチ壊したくなかったのです。それほど熱の入った朗読でした。今度はまじめに一眼レフを持って行きましょう。
終わったあとはいつも通りに同所でお茶会。そこで私は不思議なものを見てしまいました。見掛けは六つに切られたグレープフルーツ。しかし中身が違います。見慣れたグレープフルーツでありませんが色は同じでした。やけにツルンとしてます。何か新しい果物でも出てきたのかなと思ってしまいました。
持ってきた女性が解説してくれて、ようやく判りました。ゼリーだったのです。レシピももらいましたが、かなり手が込んでいて、実を刳り貫いたグレープクルーツの皮にゼラチンを流し込んで作るようです。これは騙された!と思いましたね。新しい果実と思い込んで、皆さんの失笑を買ってしまいました。でも、笑われながら食べた新しい果実≠ヘとても美味しかったです。今度は笑われないように、皆さんの様子を窺ってから発言しようと思います(^^;
○國中治氏短編小説集『風景画の窓』 |
2007.5.25 東京都新宿区 れんが書房新社刊 1600円+税 |
<目次>
雨の贈物…7
庭…21. 少年の指…37. 風景画の窓…61
テンポ・ルバート…85. 隣人たち…101 コーヒーと二つの雨の日…117
聖堂へ…135 トレーニング…153 石の還るところ…161
犬の蕾……185 熱い川…201
三つの窓
遺稿集……224 受難…228 海鮮丼…232
海の塔…237 アマリリス…247 ジグザグ派…261
初出一覧…284 あとがき…286
海鮮丼
夏の終わりに、北国の山の温泉を訪ねた。戦前、そこに滞在して主要な作品を執筆した作家について調べるためだ。
が、生原稿、反古紙、手帖といった重要な資料がその旅館に保存されているわけではない。当時作家と接触のあった人の話が聞ける見込みもなかった。正直にいえば、作家が起居した部屋に自分を立たせ、作家が歩いた廊下や川沿いの路を自分の足に踏ませ、作家がしばしば眼を見張ったという連山の透明な青さに自分の眼もさらしたいという、ほぼもっぱら素朴な愛好者の心理に促された探訪だった。
出かける前に少し心配になって旅館に問い合わせると、浴場や食堂などは全面的に改築され、三年前に建てられた新館が今は中心となっているが、作家が泊まっていた部屋のある本館も、補修を繰り返し施されながら、まだ健在だという。予約は、むろん本館の方にした。
通されたのは、半世紀以上前の温泉旅館の雰囲気をよく残している部屋だった。廊下は静かで心持ち狭い。窓ガラスは緩く波打っている。ガラス越しの山々は背景にほどよく滲んでいる。古風である。
しかしなにか落ち着かないものに突き上げられて、その夜の眠りは浅く、幾度も中断した。調査しなくてはいけない、という強迫観念が燻っていたのだろうか。それとも作家の擬似体験をしているという昂揚が、神経の放逸を妨げたのか。
眠ろうとすればするほど疲れる。午前三時を回ったとき、とうとうこの事実を受け入れ、起き上がって、川べりの露天風呂に行った。
当然、といっていいかどうか、やや心許ないが、誰もいなかった。だが照明は煌々と明るい。この大きな岩風呂には、到着早々、ゆっくり入った。今はこの旅館の名物となっているようだが、作家が滞在した頃にはまだなかった風呂だ。確かめたいことや記憶しておきたいことが特にあるわけではない。当時は内風呂しかなく、そこに深夜、原稿書きに行き詰まった作家は勢いよく飛び込んだり、子どものように飛沫を撥ね散らしたりしたという。そんな由緒ある内風呂は戦後まもなく取り壊されてしまった。
日があるうちは、川を挟んでその向こうに広大な森林が広がり、さらにその上に山々の稜線がくっきりと連なって、荘厳という形容を想起させるほどの眺めだった。だが、今照明が闇のなかに浮かばせるのは、風呂を囲む岩と岩の仏像のような立体感だけだ。身体が温まると風呂から上がった。
作家がいくつもの季節を過ごし、無数の感情を抱えて往き来した廊下や階段。それを足裏の皮膚で直接確かめられないのがもどかしい。スリッパでは感触がよくわからない。もっとも作家も裸足ではなかったろうから、正確な追体験にはやはりスリッパ越しの方が適切なのか……。
足許に考えを集中していたせいか眼がおろそかになっていた。行きどまりなので顔を上げると、暖簾の向こうからいい匂いが漂ってくる。暖簾に手をかけたまま、
「今、いいですか」と奥に声をかけた。
「はい」という即答に気をよくして、
「じゃあ、ウニ丼ください」
「ウニ丼ですね」
それからやっと全身を暖簾の内側に入れ、席を探した。
先客がいた。白いワイシャツと黒いズボンを身につけた男がひとり、湯呑みに片手を添えたままじっとしていた。こちらを振り向きもしない。無愛想だなと思ったが、それはお互いさまである。男の隣の卓に、同じ方向を向いて腰かけた。卓は三つしかなく、ほかの席は座敷だったからだ。
ウニ丼は、隣の男のイクラ丼と一緒に来た。それで図らずも食べる手順も一緒になった。どちらも海鮮丼なので、食べながら途中で幾度も醤油をふりかけるのがおいしく食べるコツだ。少し食べ、少し醤油を注ぎ足す。それを繰り返すのだ。箸を取るのも、それでごはんを口に運ぶのも、箸を置いて醤油差しを取り、丼の上にふりかけるのも、申し合わせたように動作のテンポが一致している。だんだんこそばゆくなってきた。なにやら得体の知れないものに操られているみたいだ。隣の男も、変だな、とくすぐったく感じているような気がする。ときどきチラッと、こちらを横目で見たりするのだ。しかしそれはこちらが相手を横目で見るからこそわかることで、自分が意識しているのは間違いなかった。ただ、隣の男もそういう意識を持っているとなぜか確信していた。
翌朝、チェックアウトの際、ここの海鮮丼はどこから材料を仕入れているのですか、と尋ねると、苦情と受けとったのか、川魚ではお気に召しませんでしたか、すみません、と謝られてしまった。なにしろこんな山奥ですから。
「では、夜中に営業している食堂なんかないんですね?」
と問い直そうとして、だがその気持はすぐ萎えてしまった。旅館の人の反応は予測できたし、自分としてはもう十分だったからだ。これと全く同じ体験をあの作家が長篇中の一場面に仕立てていることを、そのとき思い出したのだ。ただ、どうしても腑に落ちないことがあった。天丼や鰻丼ならともかく、通常なら生臭さ以外は考えにくいウニ丼とイクラ丼が、なぜあんなにいい匂いを放っていたのだろう。帰京してからその作品を確認すると、海鮮丼は香ばしくはないが、「いい匂い」がした、と書いてあった。隣の卓に浴衣をだらしなく着崩した男がいたこともちゃんと書きとめられていた。
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同人誌『愛虫たち』に1990年から2005年にかけて発表した短編小説の一部を収めた作品集です。最後の「ジグザグ派」はエッセイですが表題には小説集≠ニ付けさせてもらいました。非常におもしろい作品集で、どれを紹介してもHPをご覧の皆さまは魅了されると思います。一番短い部類の作品ということで、三部作「三つの窓」から「海鮮丼」を紹介させていただきました。この異空間に惹かれます。是非お求めになって國中治ワールドをお楽しみいただければと思います。現実の生活の中で疲れた頭にお薦めの1冊です。
原本は42字で改行となっていましたが、ブラウザでの読みやすさを考慮してベタとしてあります。ところどころに空白行を入れたのも同様の趣旨に由ります。また「由緒」には傍点が振られていましたが表現しきれないので割愛してあります。ご了承ください。
○個人詩誌『進化論』7号 |
2007.8.20 大阪市浪速区 佐相憲一氏発行 非売品 |
<目次>
詩 夕焼けアンコール 『詩と思想』Book Review より
『詩人会議』より 『軸』より
『しんぶん赤旗』より 『「詩人の輪」通信』より
エッセイ 文学と歴史の道で(7) 受贈詩誌等紹介
受贈詩集等紹介 詩 雨上がりの夕焼けの風の水分
小熊秀雄賞市民実行委員会会報より
夕焼けアンコール
一日中夕焼けだったら
見飽きてしまうだろうか
黄金の風にまばたきして
じわあっと
苛立ちが優しさに
失意が力に
そんな夢は
ひとときだから美しいのだろうか
満員電車の憂鬱
外が見えない
吐き出されるのはまさに人ゴミ
わたしもあなたも使い捨て
わかっていても
賃金にしばられて
会社員と呼ぼうがサラリーマンと呼ぼうが
労働者は労働者
(万国の労働者よ
どうにかするぞ)
香水とシャンプーの匂い
眠たい目の裏側は濃厚なラブシーン
セリフのない脳波の映像
シュールな夢を見ながら年をとるから
人生はやはり夕焼けの比喩がいい
映画のような雨上がりの夕焼けが
つまらない日常を染めるなら
書類の入ったかばんもランドセル
ここはきっといつかの公園
スーツについたしがらみが
真っ赤な太陽のアイロンに
じゅわじゅわっ
アロハシャツに変身だ
女の子 男の子
みんな あしたも げんきでね
街のどこかで
誰かが誰かに
こころのハンカチ
ああ
一日中夕焼けだったら
そんな夢を見ても
人生クビにはならないだろう
もうこんなに暮れてしまったから
まだこんなに燃えているから
今日もそっと夕焼けアンコール
夕焼けはいつ見ても良いものです。私の部屋からも見えて、パソコンで疲れた眼を休ませたりしています。そんな時は「苛立ちが優しさに/失意が力に」なるような気がします。
「人ゴミ=vという言葉にドキリとさせられました。人込みではなく人塵か…。ある人たちからは私たちはまさに塵みたいな存在なんでしょうね。「そんな夢を見ても/人生クビにはならないだろう」というフレーズも魅了されました。何をやっても人生からクビにはされませんが、年間3万もの人たちが自らクビにしている現実も考えてしまいました。「今日もそっと夕焼けアンコール」をして「真っ赤な太陽のアイロンに」心の襞を延ばしてもらいたいものです。
○『かわさき詩人会議通信』44号 |
2007.9.1 非売品 |
<目次>
志賀直哉の『創作余談』から作品化された「真実」の重み/河津みのる
ある母/斉藤 薫 農地賛歌/山口洋子
歩け 歩け/寺尾知沙 わずかな救い/枕木一平
花/さがの真紀 おやすみなさい/丸山緑子
金時山の登山/小杉知也 「私の青空と日本の青空」/斉藤 薫
桃/さがの真紀 好日/寺尾知沙
わずかな救い/枕木一平
政府はどんどん穴を掘る
そして水をためる
さあ魚を釣れ たくさん釣れるぞと宣伝する
メダカ一匹見えない水たまりで何が釣れるか
前の総理から強引に進められる構造改革
私に言わせればそんな水たまりを作るようなものだ
キセイカンワも競争原理も民営化も今の改革で
恩恵をあずかれる人たちはごくわずか
多くの人びとは改革のシワ寄せをまともにうけて
現実生活の苦しさに悲鳴をあげている
次から次へと追うちをかけてくる
負担増やら増税やら暮らしへのしめつけ
国民の多くは手のひら返えすように反発した
参院選挙でこんな政治はやめろと投票した
政権政党は惨敗したのに総理はやめない
私たちは一体何をすればこの痛(いた)みをはね返せるのだろう
たったひとつ わたしなりの救い
選挙後あの人が「美しい国」とひと言もいわなくなったことだ
――二〇〇七年参院選後しばらくして。
「政府はどんどん穴を掘る」のも「前の総理から強引に進められる構造改革」で「多くの人びとは改革のシワ寄せをまともにうけて」いるのも、それは私たち自身が選んだ政府がやっていることだから、それはとりもなおさず私たちの責任だからしょうがないでしょ! と私はこのHPで書いてきました。「二〇〇七年参院選」でそれがひっくり返ったんですから痛快でしたね。保守から保守へ移っただけで、基本的には大きく変化したわけではありませんけど、それはそれとして一大変化と見てよいでしょう。作者の「私たちは一体何をすればこの痛みをはね返せるのだろう」という問に今すぐ解答が出るわけではないにしても、いずれ衆院選で答は出るかもしれません。
最終連は私も同感です。それだけでもこの選挙の意義はあったと思っています。多くの国民の声を代弁してくれた作品だと思いました。
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