きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.8.1 東京日仏学院




2007.8.29(水)


 今夜は少なからぬカルチャー・ショックを受けています。
 誘われて渋谷の「0-EAST」という処で<Space Tropical Night>というライヴを観てきました。トリニタード・ドバゴからやって来た「カリビアン・マジック・スティール・ドラム・オーケストラ」というグループが主の演奏です。楽器の基本はドラム缶、化学工場に勤務している人にはお馴染みの200リットル缶です。そのままの形で12本ほどが出ていて、あとはスティール・パンと呼ばれる、原型はドラム缶を輪切りにしたものでしょうが、実際には楽器として新たに製造されたものだろうと思います。メンバーは20人ほど、一斉に飛び跳ねながら叩く様子はド迫力でした。

 当然、会場は若い人たちばかりです。このメンバーは何度も来日していて、連れて行ってくれた人に言わせると、いつもは椅子席で聴くそうですが、今夜は立ち見、というか昔のディスコ状態です。若い人たちはメンバーの動作に合わせて踊っていました。会場で最高年齢だろう私たち、おぢさま、おばさま方はかぶりつき状態で最前列。おばさま方は若い人たちと一緒に踊っていましたけど、私は無理でしたね。せいぜい手拍子をする程度という情けなさ。でもおもしろかったです。昔、ディスコに行っていた頃、「俺が踊り方を教えてやる!」と叫んで、みんなにラジオ体操をやってもらったことがあります(^^; ロックのリズムとラジオ体操の動作が合うのを発見して、そんなバカなことをやっていました。それを今夜も! と思うだけで、もちろんやりませんでしたけどね。

 久しぶりのハードな音に酔い痴れていて、フッと気づきました。基本的には打楽器だけなのに繊細なメロディーも加わっているのです。どこか陰でエレクトーンでも弾いているのかな? 連れて行ってくれた人に聞くと、それもスティール・パンで出しているとのこと。えーっ!? と思いました。よく見るとスティール・パンの内側がお椀のような金属で覆われていて、そこが場所によって音階を出せるとのこと。一つのパンで2オクターブぐらい出るそうで、パンの厚みを変えたものが10台ほどあり、その組み合わせでメロディーを作るそうです。これが今夜のカルチャー・ショックの最大のものでした。楽器に詳しいわけではありませんけど、基本的にはドラム缶の輪切りでメロディーを出せるとは!

 おそらくマイクは使っていなかったと思います。20人もが同時に音を出すのですから、その必要もない、というところでしょうか。前座で「リトルテンポ」という日本人のグループがベースの大音響を出したいましたけど、それに負けないほどです。
 彼らは音符が読めないと聞きました。身体で覚えていくそうです。奴隷の子孫が何もかも取り上げられて、転がっている空きドラム缶を叩いたのが始まりというスティール・パン。その音楽性の豊かさと高度な技術に魅せられてしまいました。

 会場は撮影禁止でしたから写真は撮りませんでした。でも強烈な印象は頭に刻み込まれています。佳い夜でした。連れて行ってくれた皆さん、ありがとうございました。



青柳俊哉氏詩集『結晶』
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2007.7.7 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊  1600円+税

<目次>
T――棘 9
静寂の園 10
U――誕生 14
心象 17                  手 20
落葉 22                  群れと葉 24
砕断された欲望の赤と黄 31         ゲルマニア 34
美の網膜 37                夏・金属の散華 42
V――扉 52
少女 55                  リンドウ 60
水の部屋 63                わだつみ 69
雨とねむり 71               水と蝶 76
アザミ塔 82
W――神話 86
白い樹木の巨大なうねり 89         静寂への意志 93
結晶 96                  純白の世界 99
純粋理性 102
.               生家の庭へしずむ 105
初出一覧 108



 結晶

析出される人間の結晶―――
氷河に屹立する
鏡はあなたの像をむすばず
言葉は鏡から飛散する

あなたは
否定性の渦まく水晶塔の外部へ
斬首された太陽の中心へ
意志的に、求心的に削がれてゆく

酷しい喪失!
人間性の、結晶を析出するための
暴力的な純粋化!

流木の荘重な墓に近く
あなたに似た生物の骨が
風に研がれ、白く光る

名もなく、棺もなく
裸身のまま一切を所有せず
すべての生物と等価の
一つの固体であるあなた

氷河の深遠に結晶をきよめ
この世界のポリフォニーと一体化し
風、水、空―――無へ融解してゆくあなた

宇宙を全身に孕み
青い閃光を放ちながら
あなたは至上の大地を歩んでゆく

析出される人間の結晶―――
流木の荘重な墓に近く
あなたは風に研がれ
氷河に屹立する

 第1詩集です。ご出版おめでとうございます。ここではタイトルポエムを紹介してみました。ご覧のように典型的な形而上詩と読んでもよい作品で、硬質なイメージが心地よく拡がってきます。「析出される人間の結晶」という詩語に魅了されながらも「結晶を析出するための/暴力的な純粋化!」に驚かされています。確かに化学的には結晶の過程で「暴力的な純粋化」が必要となるでしょう。それを人間に当てはめたところにこの詩の「深遠」があると思います。ここでの結晶は「生物の骨が/風に研がれ、白く光」ったものと採る必要もあるでしょう。良質な精神を持つ詩人の、今後のご活躍を祈念しています。



詩とエッセイ『きょうは詩人』8号
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2007.8.28 東京都世田谷区 アトリエ夢人館発行 700円

<目次>
●詩
機屋の八月/伊藤啓子 1          除草/長嶋南子 4
山吹/吉井 淑 6             野原のこちら/森やすこ 8
公園で/鈴木芳子 10            睦月/赤地ヒロ子 12
梅雨の家/小柳玲子 14
●エッセイ
占い 16
花は散るモノ人は死ぬモノ(8)−照れるじゃないの 茨木のり子/長嶋南子 22
表紙デザイン 毛利一枝
表紙絵 リチャード・ダッド (C)
Reiko Koyanagi



 機屋の八月/伊藤啓子

刀を捨てたあとのなりわいは機織りであった
何代続いたかは知らぬが
たいした財を成すほどでも 蔵が建つほどでもないような
そこそこの家であった

機織りといっても
夕鶴のつうのトッテンパタパタのものではない
古い家のあった街並みを歩いていると
路地裏のどこかから
カシャカシャとせわしない機織りの音がしてくる
機屋の娘の遺伝子が騒ぎはじめ
陽炎の中に立ったときの目眩に似た感情が泡立つから
家中があの音で充ちていたに違いない
一度傾いたらあれよあれよ傾き
露ほども残らなかったという

女たちのたしなみは針仕事であった
この家に生まれた女も ほかから嫁いできた女も
見事な針さばきの腕を持ち
傾いたあとの家をかろうじて支えていた
薄暗く黄色い灯りの下の夜仕事が
女たちの目を次々つぶしていった
女たちの中で眼のいい者はいなかった
老いてくると いつか来る日のために
繦褓と白装束を縫いあげ
箪笥の隅にしのばせてあった
殊勝な心掛けのわりには
皆 長患いであった

眼鏡をとっかえひっかえしても
日ごと 眼が見えにくくなる
女のたしなみを何も知らぬくせに
煮ても焼いても食えぬような
詩なんぞ夜な夜な書いているからであろうと
死ぬに死ねないといったようすの女たちが
あちらの部屋でひそひそ
向こうの部屋でカシャカシャ
どこからか鬢付けの匂いまで漂ってきて
女たちのたいていが
示し合わせたように夏に逝ったせいか
この季節は 家中がざわざわ
見えないものたちの気配に溢れている

 旧家の、「女たち」から見た歴史と云ってもよいでしょう。「刀を捨てたあと」ですから明治、大正、昭和、平成の140年ほどに限定されますけど、ここには日本の代表的な「たいした財を成すほどでも 蔵が建つほどでもないような/そこそこの家」が表出しています。「殊勝な心掛けのわりには/皆 長患いであった」のも一昔前の典型と云えます。
 「煮ても焼いても食えぬような/詩なんぞ夜な夜な書いている」のは作者自身と考えてよいでしょう。作者の置かれている背景が分かる作品で、その姿が浮かび上がってきました。



個人誌『伏流水通信』24号
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2007.8.25 横浜市磯子区
うめだけんさく氏発行  非売品

<目次>

雨の中の赤いポスト…長島三芳 2
破壊の風景…うめだけんさく 4
上野にて…うめだけんさく 5
 *
フリー・スペース(23) ヨーロッパの空…椿原頌子 1
 *
〈シネマ・ルーム〉映画「夕凪の街 桜の国」を観て…うめだけんさく 6
 *
後記 8
深謝受贈詩誌・詩集等 8



 雨の中の赤いポスト/長島三芳

降りしきる若葉雨の中
町角に赤いポストが一つ
ずぶ濡れになって
ぼんやりと立っています

あの雨に打たれている
老いた赤いポストは私です
宛名のない手紙を
一日中待ち続けている私です

私の病んだ今の足では
もう赤いポストまでは
到底歩いては行かれません
だから私は
赤いポストの身代わりとなって
ポストの中を空
(から)にして
朝から手紙が来るのを
待っているのです

私の命は枯葉のように軽く
もう少なくなりました
タンポポの産毛のように風に吹かれ
孤独で耳も遠くなり
体の中まで寒い風が
一日中吹き抜けて行きます
この赤いポストは
私の淋しい成れの果てです
私はもう疲れました
雨の中のずぶ濡れの赤いポストよ
私の詩
(うた)
私に来る手紙は
全部灰にして 空に撒いて下さい

 なんとも「淋しい」作品ですが、ひとつの覚悟の形として拝読しました。しかし「雨の中の赤いポスト」に仮託している姿は、やはり詩人と申せましょう。「宛名のない手紙を/一日中待ち続けている」、その手紙とは、「私の詩」と採っています。その手紙を「全部灰にして 空に撒いて下さい」というのは、無に返せということでしょうが、それが本来の詩の形なのかもしれません。あるいは灰にしても残るものが本当の詩、とも読み取れます。大先輩の、詩の本質を突いた作品だと思いました。



『白鳥省吾研究会会報』4号
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2007.8.27 宮城県栗原市
白鳥省吾研究会事務局・佐藤吉人氏発行 非売品

<目次>
白鳥省吾詩の原点−宮城県詩人会栗原大会に寄せて 1
後記 8



 大正十二年九月一日、「関東大震災」がおきています。省吾等編集委員(「詩話会」編集委員:村山註)は震災詩集『災禍の上に』を率先して共同企画出版し、派閥を問わず、罷災
(りさい)した詩人達に印税を配っています。
 大正十五年十一月「詩話会」が解散してしまいますが、省吾は大正詩壇を背負って立つ詩人の一人になっていました。
 「詩話会」解散後は自分の詩誌『地上楽園』(大正十五年六月号〜昭和十三年七月号まで通巻八十八号)を中心に活動し、日本全国に支部を作り、詩を民衆に広げる運動をしています。各支部の同人達は、当時地域のリーダーとして活躍しています。貧しい農民を見るに見かねて、詩による農村社会の改造を試みた省吾は、「土の詩人」と呼ばれるようになります。
 また、省吾はよく講演を依頼され、日本各地を訪れていますが、その際の開口一番の言葉が「恋はやさしい野辺の花よ、こういう恋情を、詩と思っていられてはこまるのであります」というものでした。『科学と文芸』(大正七年二月号)
 晩年の詩集『北斗の花環』(昭和四十年七月十五日・「大地舎」発行)には以下のように記しています。

 「わが血液に郷土の音楽が流れている。遠く歩んで来た民族の心が蘇っている、これはどうしても否定することの出来ない事実である。私はこの郷土といふものの影響を脱却することが出来ない。」
 「詩は鬼でも幽霊でもクイズでもない、詩は路傍の草であり天の星である。詩は子供にもわかり百姓にもわかる。詩を落日に捧げ、犬に読んできかせる。
 詩の大道の意図するところは、貧富と階級と生と死から解放され、真実を探求して止まないもの。
 徹底せる自由詩の道へ!」

 こうした省吾の詩の境地は、中学時代まで過ごした故郷
(ふるさと)「栗原」の地が育んだものでした。

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 9月22日に開催予定の「宮城県詩人会栗原大会」で配布される資料だそうです。
白鳥省吾研究会事務局の佐藤吉人さんが講演するようですから、その原稿と考えてもよさそうです。白鳥省吾の生誕から大正時代までが簡潔明瞭に載せられていますが、ここでは最終部分を紹介してみました。「詩話会」は現在の日本詩人クラブや日本現代詩人会に相当すると思ってよいでしょう。ちなみに白鳥省吾は日本詩人クラブの創設会員でもあります。

 白鳥省吾の「恋はやさしい野辺の花よ、こういう恋情を、詩と思っていられてはこまるのであります」、「詩は鬼でも幽霊でもクイズでもない、詩は路傍の草であり天の星である」などの言葉に驚かされます。当然と云えば当然なんでしょうが、現在でもこの見方は変わっていないと思います。まさに詩の神髄と云えましょう。
 なお、本文は16字で改行となっていますが、ブラウザでの見やすさを考慮してベタとしてとあります。ルビも同様の理由に由ります。ご了承ください。



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